第二十五話 岐洲城の戦い・第八次攻略戦 参
継信の軍およそ二千は安立川、続けて大威川を音もなく渡った。無灯火によって忍び寄り、八咫の陣を奇襲しようというのである。
一方の八咫軍は灯りが付いているものの、静まり返っている。大方、酔いつぶれてひっくり返っているのだろう。奇襲するには好都合だった。
「よいか、敵は油断している上に少数なのだ、皆殺しにしてやれ!」
継信の鼓舞に兵たちは無言で頷いた。ここしばらくのフラストレーションをようやくぶちまけられると、皆戦意を昂ぶらせていた。
「だが、女は殺すな! 必ず生きて捕らえるのだ、わかったな!!」
継信としては、それが一番気がかりであったのだ。
噂によるなら、一人は豊満な肉体に溢れんばかりの色気を漂わせる美女だと聞く。
そしてもう一人は、あの拓馬光貞・光信父子を討ち取った武勇の誉れが高く、なおかつ気高さと美しさを兼ね備えた姫武将だというのだ。
この二人を同時に手にすることが出来れば、継信に取ってその喜びは百万石の領地を手に入れたに等しい。
「よし、上陸しろ! 一気に攻め立てるのだ!!」
おおーッ!! と兵たちが勇んで八咫の陣に襲いかかる!
ククク、ひとたまりもないわ、と継信がほくそ笑んでいると、一人の武者が駆け寄ってくる。
「と、殿!!」
「なんだ、どうした?」
「敵が、敵が一人もおりませぬ! 敵陣は、もぬけの殻です!!」
「なにいいいいいいい!!!????!?!?」
そして、兵たちが継信の後ろを指して叫んでいる。
つられて振り返った継信が目にしたもの、それは――、
「八咫の小倅めえええええええええええ!!」
炎に包まれる、岐洲城であった。
岐洲城、本丸。
「三郎様、要所はあらかた押さえました!」
「うん、それじゃあ、消火を急いでくれ。じきに敵軍が戻ってくる」
ハッと頷いた舞耶が近くの将に指示を出している。
三郎は物見矢倉に登って戦況を見渡していた。
「まさに、色情に溺れるとは、このことだな」
三郎は笑おうとして、ふと考えた。
……私も気をつけないとな。
最近どうも、自分には女難の相が出ているのではないかと思うフシはあるのだ。
「それにしても三郎様、まさかここまで上手くいくとは思いませんでした」
舞耶が三郎の横に立つ。戦場だと言うのに、舞耶がいるだけでその場が華やかになる。
「なぜ敵は今になって城から出てきたのですか? それも全軍で?」
「んー、まあ、今回は三宅継信の心理を利用させてもらったんだ」
三郎が今回用いた策は、三段構えである。
「一つ目は、『南斗家が中入りする』って噂だな」
この噂は三郎が仕組んだ罠であった。通行人たちに情報を流し、わざと継信の耳に入るようにしたのである。この噂を聞いた継信がうかつに城から出てこれなくなるように。
「二つ目が、敵の目の前でのどんちゃん騒ぎ。しかも美女二人の特典付き」
三郎は継信をずっと挑発していたのである。女好きの継信にとって最も効果的な方法で。
「にしても度が過ぎていたのではありませんか!」
不満そうに言う舞耶だが、美女と言われて満更でもない様子である。
「三つ目が大戸水軍による海上封鎖。これは京が協力に応じてくれなかったら、成功しなかった」
三郎はふと、あの夜のことを思い返す。いまだに京は得体の知れないところがある。
「ここでさらに『南斗家本隊が出港して中入りする』と聞けば、継信は出陣を決断せざるを得ない。だが、目の前に散々挑発させられた我々がいるんだ、先にそっちを叩こうとするだろう」
「それはわかりますが、なぜ全軍で向かってきたのですか? 我らは三百足らずですから、例えば千人を城に残して、もう千人で出撃してもよかったのではありませんか?」
「それは、継信としては選択しづらいだろうね」
舞耶が不思議そうに首をかしげる。
「継信は河口を封鎖された時点で、国境警備の責任者としては一つ失敗を犯してるんだ。かくなる上は名誉挽回のために戦果を上げなければならない。しかも、南斗家の本隊が迫ってるんだ、時間的に余裕もない中で迅速に行わなければならない。つまり、短時間での勝利を必ず成功させる必要があったんだ」
「なるほど! それで失敗しないように全軍で襲ってきたのですね!」
「あとは、継信は女好きだしね、戦場で美女が二人もうろちょろしてたら、欲しくなっても仕方ないだろう。な、美女の舞耶?」
な……! と、舞耶が顔を真っ赤に染める。
「まあ、そんなこんなで、継信が全軍で出撃するように、誘導したわけなんだ。城に籠もっていられたら攻めようがないからね。そして実際に向こうが城から出てきた時を見計らって、こちらも城を攻めたんだ」
三郎は予め、今日は酒は飲まないよう皆に指示を出していた。そして、日没を迎えると同時に全軍を密かに海岸線に移動させたのだ。陣をそのまま残し、あたかも寝静まっているように見せかけて。
その後、海側から船に乗って羽支国側に渡ったのである。河口は大戸水軍が封鎖しているため、岐洲城からはその動きを察知することが出来なかったのだ。
そうして八咫軍は敵に動きを知られることなく、岐洲城の羽支国側を突いたのである。
「あっ! だから城兵たちは我らが攻めた時に慌てふためいていたのですね」
「そりゃあ、継信軍からしてみれば、自分たちが攻めているはずの八咫軍が、突然反対側に出現したように見えただろうね」
岐洲城は拓馬家が国境警備のために建てた城だ。そのため、その防御施設は勢良国側に集中しており、羽支国側は手薄になっている。その上、わずかな城兵しか残っていないのだ、たった三百の八咫軍でも難なく陥落させてしまったのである。
「今回はちょっと策を弄しすぎたかもしれないけど、これが一番味方の被害が少ない方法だったんだ。我ながら慎重過ぎるかもな」
三郎が笑ってみせると、舞耶は腕を組んで目を逸らした。
「その通りです! 三日も宴を続けた時は敵の目の前で何を呑気なと、焦りました! それに、秀勝殿の助力は断ったのに、主家の援軍などいつの間に話を付けていたのか……」
「ああ、それ。全部ウソ」
「はいいいいいいいいいいいいい!!!???」
「継信の行動を制限するための偽情報さ。だいたい、今の南斗家に一万五千なんて動員が出来るわけ無いだろ? 嘘をつくなら大胆にって言うからね」
「だって、援軍が来るから存分に戦えってさっきも……」
「敵を騙すならまず味方からってね、まあ悪かったよ」
三郎はすました顔で舌を出してみせた。
舞耶はこの時、三郎に末恐ろしい何かを感じた。このお人は、単なる本好きの頭でっかちなんかじゃない、人間の機微を感じ取る戦場の支配者ではないのか。
「というわけで、この城は我々だけで守り抜かなきゃいけないんだ。もっとも、彼らがそのまま逃げてくれればいいんだけど……」
申し上げます、とはしごを登ってきた武者が言う。
「継信軍が、船を返してこちらに向かっております!」
それを聞いて、三郎は大きなため息を吐いた。
ハァ、やっぱりバカは自分が痛い目に合わないと治らないんだな。
「よし、高矢倉から矢を射かけるんだ。奴らにこれまで自分たちがやってきた行いを思い知らせてやれ!」
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