第十七話 捨てる神あれば拾う鬼あり
「あーもうヤダー、働きたくないのにー」
三郎は馬の首にもたれてボヤいた。あのあと、すぐに城から引き上げたのだった。澱んだ空気の中にいると、精神まで腐ってしまう。
「どうしてこんなことになるかなあ。私は静かに本さえ読めればそれでいいのに」
「……申し訳ございません」
後ろから舞耶がポツリと言う。普段の威勢がない。
「某が受けるなどと言い出さなければ……。けど、悔しくって……」
「わかってるさ」
え、と舞耶が顔を上げる。
「私がいくら侮られようと別に構わないんだ。なにせ、穀潰しの引きこもりの軟弱者の甲斐性なしなのは事実だからな!」
だが、と三郎は声を落とした。
「私のせいで、他の誰かが傷つくのは許せないんだ。……すまないな、舞耶」
舞耶は見た。振り返って優しい笑顔で呼びかける三郎を。そうだ、この笑顔に今まで何度救われたことか。
「三郎お兄様……」
「なんて言うと思ったか?」
「はい?」
見ると、三郎が目を皿のようにして見つめている。
「こうなったら舞耶にも働いてもらうからな、前の戦の比じゃないぞ」
「え、あの……」
「あと、あれだ、蔵書の予算、一割増やすこと。それに、朝は寝坊しても起こさないこと、貴重な資料をガラクタとか言って勝手に捨てないこと、無理矢理武芸の稽古をつけようとしないこと、それから……」
「なっ、この――」
甲斐性なしが! と舞耶が叫ぼうとすると、
「八咫殿ー!!」
という声に遮られた。
後ろから雄々しい武士が馬で追いかけてきていた。
「これは、秀勝殿」
あの『鬼』と呼ばれる南斗軍最強の将である。
「いかがなさいました、このような所まで?」
「ガハハ、八咫殿! 先程の物言い、実に気持ちよかったぞ! 知恵だけの小賢しい小僧かと思っていたが、なかなか気骨があるではないか!」
大声で笑いながら三郎の背を叩く。
鍛え上げられた筋肉から繰り出される張り手である、舞耶のとは比べ物にならない衝撃に、
「あいたっ、いたいいたいっ……ってうわああああ!」
と馬から転げ落ちてしまった。
「おお、すまんすまん。しかし、やはりお主、軟弱者よの!」
またガハハと笑う秀勝に、三郎は呆れて物が言えない。
「それで、一体なんの御用ですか、秀勝殿?」
まさか、本当に背中を叩きに来ただけとか言い出さないよな、このオッサン。
「おお、そうであった。……八咫殿、岐洲城の攻略、本当に八咫軍のみでなされるおつもりか?」
「ええ、まあ、主命でありますから」
実際は頼高と満久が主導した罠であるが、主君である秀仁もあの場には同席していたのである。主君のお墨付きであるのなら、形式上は主命に違いなかった。
「フム、しかしそれでは荷が勝ちすぎるのではないか?」
「まあ、一応策があるにはあるのですが」
「ほう、また奇策とやらか?」
「あはは、そういうことです」
フム、と秀勝は押し黙った。三郎はまだ秀勝の意図がつかめない。
「あの、秀勝殿?」
「……どうだ、八咫殿。儂が加勢してやろうか?」
「えっ、秀勝殿が!?」
三郎と舞耶は思わず見合わせた。南斗軍最強と謳われる『鬼秀勝』の軍である、協力してくれるならこれほど心強いものはない。
「三郎様、ぜひ加勢頂きましょう!」
舞耶は喜んだ。自分が調子に乗ったばかりに三郎を面倒事に巻き込んでしまった、その罪悪感があったのである。これで三郎が楽になるなら、多少はそれも薄れる。
しかし、三郎はしばし考え込んで、こう言ったのである。
「いや、秀勝殿。大変光栄ですが、今回はお断りさせていただきます」
「三郎様!?」
「なんだ、儂では貴殿の役に立たぬと申すか」
舞耶だけでなく秀勝もやや不服そうである。
「いえ、とんでもない! むしろ、秀勝殿に率いてもらって、私がその下働きをしたいくらいです!」
ですが、と三郎は続けた。
「ですが、今回は『八咫家単独で攻略せよ』との主命です。もし秀勝殿に加勢いただいたら、『八咫は嘘つきか』『主命に逆らってまで恩賞が欲しいか』と罵られることになります。私はこれでも小心者ですので、世間体を気にしてしまいます」
最後は嘘だ。バカにどれだけ言われようとまったく気にならない。
「そうであったか、これは無粋なことをした。こちらこそ配慮が足りんかった」
「いえ! 本当に嬉しかったです。しかし、なぜ私に加勢を? そのようなことをすれば、嘉納殿や鎌瀬殿に目をつけられてしまいます」
「あのような卑小な輩にどう思われようと一向に構わん! それに、儂はすでに厄介者扱いされておってな」
ああ、と三郎は納得した。実力がある上に、このズケズケいう物言いだ、さぞかし連中は手を焼いているのだろう。
「他の者も同じだ。皆、何を言われても反論する気概もない。あまつさえ奴らに便乗するばかりではないか! ……だが、貴殿は違う。あの場での行い、なかなか出来るものではない」
「……それが理由ですか?」
「他に必要か?」
三郎は頭をかいた。
ぶっちゃけ、恥ずかしくて照れていたのである。
同時に、一つの希望を胸に抱いていた。……この人は信頼できる。
「いえ、それだけで十分です」
三郎はしっかりと秀勝を見上げた。それに秀勝もうなずく。
「ウム、ではこれにて失礼する。八咫殿、ご武運を!」
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