第十二話 三次川の戦い・本戦 伍
八咫軍は拓馬軍の横を突いたばかりか、そのまま敵軍を突破、前後に分断することに成功した。
ここで拓馬軍は一気に浮足立った。
不意を突かれての側撃の時点で全軍に大きな動揺が走っていた。それだけでなく、前後に分断されては後方の大将の指示が前線に行き届かないのである。
そしてその孤立した前線が戦っているのは、南斗軍最強、『鬼』と謳われる南斗秀勝である。
「敵の動きが止まったぞ! 今だ、圧し潰せェーッ!!」
この機を逃す秀勝ではなかった。
秀勝自ら槍を振るって敵陣に切り込む!
秀勝が操るのは天下三名槍と呼ばれた『陽炎切』である。全長およそ四メートル、穂先だけでも七十センチに及ぶ大身槍だ。
秀勝が陽炎切を振れば、その穂先は陽炎のように煌めきを発する。
光が闇を照らすたびに、一つ、また一つと敵兵の首が飛んだ。
秀勝の勇戦に、配下の将たちが続く。秀勝本人に負けず劣らずの剛の者揃いである。
先刻までの優勢とは打って変わり、拓馬軍の先陣はここに来て大混乱に陥った。
拓馬軍の総大将、拓馬光貞は陣中で大声を張り上げていた。
「うろたえるな!! 敵は我らより少数なのだ! もう一度押し返せ!!」
おかしい、ついさっきまで有利に進めていたはずだったのである。闇に乗じて敵の縦深陣を八段の内、七段まで食い破ったのだ。あと僅かで敵の本陣に届くというのに、こんなところで手をこまねいてしまうとは。
それもこれも、
「あの小賢しい八咫共めええええええええ!!」
そうだ、八咫軍があのタイミングで側背を突かなければ、こんなことにはならなかったのである。
「八咫の小倅め、我らをどれだけ苦しめれば気が済むというのか!!」
光貞は怒りを顕にした。彼には三郎を恨むだけの理由があったのだ。
申し上げます! と伝令が注進する。
「中央の部隊が、八咫軍に突破されました!」
「なんだと!?」
「その後も、後方の我らに向かって弓を打ちかけています!」
「ええい、うろちょろしおって!! もはや許せん!!」
彼は息子をつい先の戦いで亡くしていたのだ。将来を渇望されていた、拓馬光信を。
「前線など放っておけ! 八咫の小童をなんとしても、打ち取るのだ!!」
「さて、ここまでは前例通りだ」
三郎は『姉川の戦い』を思い返していた。
前後に伸び切った敵の横を突き、形勢を逆転させる。それが鍵だったのである。
その再現には成功したが、未だ拓馬軍は戦線の崩壊には至っていない。中央を突破して前後に分断したとは言え、南斗軍で戦っているのは、秀勝の第八陣と八咫軍だけなのだ。拓馬軍はまだそのほとんどが残っている。
「というわけで、ここからはアレンジだな」
「申し上げます! 敵の後方が我らに向かって来ております!」
伝令の報告に、舞耶が続けて問うた。
「三郎様、如何なさいますか? 敵は三千を超えております。我らだけでは持ちこたえられません!」
この時、八咫軍はわずか百余名だった。昨日の戦いで死者は出なかったものの、負傷者が出ており、残った中でも戦に長けた者を選抜していたのである。
「うん、だから、他の連中に任せよう」
「任せるって、一体誰にですか!?」
「そろそろのハズなんだ」
三郎は後方、敵から見て右翼、味方から見て左翼にある森を指して言った。
「全軍、あの森に向かって逃げろ!」
その森の最中では、とある軍がひしめき合っていた。
南斗軍の第一陣から第六陣、その生き残りである。
彼らのほとんどはすでに戦場から逃げ去っていた。
ここに逃げ込んだのは、その中でもまだ戦う意思が残っていた連中である。
散り散りになった各陣を再編し、ようやく千五百人程度の戦う集団が整いつつあった。
そこへ、戦場から駆け寄ってくる軍があった。
「なんだ、敵襲か!?」
陣の再編に奔走したかつての第三陣の将、日俣行成が声を上げた。
すると、闇の中から陽気な声が返ってきたのである。
「やあやあ、これは日俣殿!」
戦場から逃げてきた三郎であった。
「なんだ、八咫殿ではないか。貴殿、『遊軍』ではなかったのか、こんなところでなにをしておる?」
三郎とわかった途端に態度がガラリと変わる。
だが、そのすべてを無視して三郎は問いかけた。
「日俣殿、こちらの軍は?」
「ああ、残った者を再編しておったのだ。それで、戦況は――」
「良かった。間に合ったか」
「おい、何を言って」
「それでは、お任せ致します!」
そう言って三郎は陣の後方へと通り抜けていった。八咫軍、およそ百名がそれに続く。
「お、おい、待て! 任せるとは、一体何事か!?」
「ああ、なんかけっこう怒ってるみたいなんで、気をつけてください!」
「怒って? おい、待たぬか!!」
普段から言動に理解出来ぬ所があったが、ついに奴め頭でもイカれてしまったか。と行成が悪態をついていると、その耳に地響きと怒声が聞こえてきたのである。
おいおいおいおい、怒って? 任せる? 間に合った?
「殿ーッ!! 敵です、拓馬軍です!!」
八咫の穀潰しがあああああああ!
行成はここに至って気づいた。三郎は、行成達がここにいると知った上で、敵を誘導してきたのだ。
「うろたえるな!! 応戦、応戦しろ!!」
この時、開戦からおよそ三時間が経過していた。
南斗軍の第八陣、『鬼秀勝』の部隊およそ一千は、拓馬軍の前衛三千の内およそ半数をすでに敗退させていた。しかし、残ったおよそ一千が頑強に抵抗し、徐々に混乱を治めつつあったのである。
一方の拓馬軍後衛四千は、三郎に誘い込まれて、行成によって再編された千五百と正面から激突した。行成の軍は数で劣るものの、森の中に敵を引き込むことで地の利を生かして互角の戦いを繰り広げている。
双方の戦線が膠着し、互いの本陣は未だ無事なのである。
全体の戦況としては、まだどちらも決め手に欠け、勝敗の行方はいずれに転んでもおかしくない。
この場にいる者の誰しもがそう思った。
拓馬軍の総大将、拓馬光貞もその一人だった。
光貞は本陣を動かさずに戦況の把握に努めていた。
三郎を追わせたはずの後衛部隊が戻ってこないのである。
「あのような小勢を相手に何をしておるか!」
三郎は息子の仇である。将来を渇望され、若き獅子ともうたわれた光信を失った悲しみは大きかった。しかも、あの穀潰しの刀も振れぬ八咫の小倅ごときに討たれてしまったのが何より許せなかった。
「まだか!? まだ奴の首は取れぬのか!?」
光貞は地団駄と共に叫びを上げた。
その時、戦場に一陣の光が差し込んだ。
日の出であった。
徐々に増えていく光量によって、戦況が明らかになっていく。
正面前方では前衛が南斗軍第八陣と打ち合っている。
そして右手前方、三郎を追っていたはずの後衛が、森の近くで南斗軍の残存部隊と交戦しているではないか。
「八咫は、八咫の兵はどこへ行ったのだ!?」
「――殿、あれを!!」
将の一人が右手を指して叫ぶ。
振り向くと、一隊が真一文字にこちらに向けて駆けて来るではないか!
その旗印は、三本足の黒鳥――烏の家紋である。
古代より伝わる神話において導きの神とも、太陽の化身ともされるこの神聖なる鳥を家紋とする家はそう多くない。
まして、この戦場において使用する軍など、一つしかないのだ!
「八咫です、八咫軍が迫ってきております!」
「八咫だとおおおおおおお!?」
八咫軍は後衛部隊が追っていったはずではなかったのか!? こちらは追いかけていたはずなのに、なぜ奴らがこちらに向かってきているのだ!?
そうして、ようやく光貞は気づいた。
こちらの本陣が、戦場で孤立していることに。
先程まで怒りに燃えていた身体が、一瞬にして冷えていく。
「だれか、誰かおらぬのか! ワシを守れ、守るのだ!!」