プロローグ
初投稿です。
重い瞼をこじ開ける。ガンガンと痛む頭、鉛のようにだるい体。クーラーのよく効いたナースステーションで、俺、中村大介は机につっぷしていた。徹夜明けの思考能力はゼロに近い。朦朧とする意識の中、隣から声がかかる。
「センセー、この処方のロキソプロフェンって3錠分3ですよね。」
危ない。また間違えるところだった。薬を3錠のところを勢いで30錠とか書いて処方しかねない。慌てて処方箋を修正する。齢30を過ぎてくると、徹夜明けは本当に頭が回らない。昨日は通常勤務後、当直という名の夜勤、そして本日の日勤。連続勤務時間は32時間以上。労働基準法なんてこの業界では絵に描いた餅だ。こんなブラックな環境からすぐにでも逃げ出したいと何度も思ったが、ずるずるとこの生活を続けている。
俺は中村大介、市中病院でドクターをしている。年は33。貴重(笑)な童貞だが、魔法使いにはまだ成れていない。呪文を誰も教えてくれないのだ。性格は真面目、と言えば聞こえはいいが、つまりは根暗でシャイ。職場には絶対に言えないが、オタクでエロゲーが好きだ。学生の頃は友人もいたが、働きだしてからは関係もめっきり薄れてしまった。合コンでモテると言われる医師という職業に、新人の頃は期待したものだが、そもそも合コンは友人がいないと誘われない。当然、自分から行動する勇気もない。職場のチャラ男たちの自慢話を聞くたびに羨ましかったのは遠い昔。今では、恋愛や華やかな人間関係は自分とは無縁の別世界のことだと、半ば悟りの境地に達している。伊達に魔法使い(見習い)してないぜ。いや、魔法使えないんだけどね。
17時30分、営業時間終了のチャイムが鳴り響く。その音を合図に、俺は脇目もふらずに病院を飛び出した。ふう、解放された。まだ日は高い。この徹夜明けハイテンションなら、何でもできそうな気がする。この勢いで本屋に突撃して、気になっていたラノベを根こそぎ買ってしまおう。そんなことを考えながら、最寄りの駅までの帰り道を歩いていると、
みーみーみー、みーん、みーん、みーん、みーみーみー。
やけに耳につく蝉の声。顔を向けると、街路樹から一匹の蝉が飛び立ち、脇道の奥へと消えていった。何かに導かれるように、興味本位でその脇道を覗いてみる。そこは急な下り坂になっており、道沿いの家々の玄関先には、色とりどりのおしゃれなプランターが並び、まるで競い合うように花が咲き誇っている。こんな道があったのかと、少しワクワクしながら足を踏み入れた。花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。赤い花、黄色い花…名前は分からないが、その美しさに心が和む。
ギギ!
さっきの蝉が、再びけたたましい鳴き声と共に飛び立った。今度は、まっすぐ俺に向かってくる。やばい、子供の頃のトラウマが!蝉におしっこをかけられた夏の悪夢が脳裏をよぎる。
ここは華麗に避けてやる!と、右にステップを踏んだ。しかし、蝉も同じ方向に軌道を変えて飛んでくる。やるな、この蝉!だが、これならどうだ!と、さらにもう一歩、大きく横に跳ぼうとして…
ごんっ!!
見事に足が滑り、後頭部から地面に叩きつけられた。ああ、まだ30過ぎの若年なのに平らな道で転ぶなんて、運動不足すぎる…orz、誰かに見られていないだろうか…?そんな思いが頭を駆け巡ったのを最後に、俺の意識はすーっと暗転した。
(そのとき蝉の背中の紋様が光り、世界が歪んだ気がした…)
(ふむ、我ながらラノベの読みすぎか…)
**********************************************
がば!
勢いよく飛び起きると、目に飛び込んできたのは、どこまでも続く緑の絨毯。なだらかな丘一面が、鮮やかな緑の草原で覆われている。頭上には、見たこともない色の空が広がっている。まるでPCの壁紙みたいだ…いや、待て。どういうことだ?
確か俺は、蝉を避けて道端で派手に転んで、後頭部を打ったはずだ。そして、あの忌々しい蝉に聖水をかけられて…屈辱。可愛い女の子ならばご褒美なのだが。。。。誰かが倒れている俺を発見して、ここまで運んでくれたのか?周囲を見回すと、大きな女性が慌てた様子で駆け寄ってくる。30代くらいの栗色の髪をした、ややふくよかな体格の女性だ。西洋風の丈の長いスカートを履いている。優しそうな雰囲気を纏っているが、とにかく大きい。俺の身長は165cmだから、彼女は…推定3メートルくらいあるんじゃないか?いや、まさか。そんなの人類には不可能な身長では…。
「だいじょうぶですか、デイヴィッド様?」
そう言いながら、その大きな女性は俺を軽々と抱き上げ、頭を優しく撫でてくる。まるで幼児をあやすような手つきだ。デイヴィッド?明らかに俺をさしているが、盛大な人違い?そして、この圧倒的な体格差は何だ?
「蝉を追いかけて転んじゃったのね。あら、お顔が汚れていますよ」
懐から取り出した清潔なハンカチで、俺の顔を丁寧に拭いてくれる。ああ、あの屈辱の聖水を拭いてくれているのか。ありがたい…。
「あーうー」(ありがとうございます)
声を出そうとしたのに、うまく言葉にならない。何故だ?失語症か?まさか脳挫傷?医師としての知識が、混乱した頭の中で警鐘を鳴らす。
混乱してもがいていると、地面に立たせてくれた。恐る恐る、自分の手でグー、パーを繰り返す。ややぎこちないが、左右ともちゃんと動く。よかった、明らかな麻痺はないようだ。というか、自分の足でしっかり立っている。改めて自分の手をまじまじと見る。丸っこくてかわいい手だ。腕毛も指毛も生えていない。これは本当に俺の手なのか?ふと気になって、わがムスコを確認してみる。ちゃんと「ゾウさん」はある。しかし、毛が生えていない。なんということだ。ムスコが可愛らしい「若ゾウ」にジョブチェンジしてしまった??
再び自分の手足を見て、愕然とする。やっぱり小さい…これは今までの俺の体じゃない。まさか、幼児化?。。。からだはこども?頭脳は大人?真犯人は?。。。混乱する頭で、懸命に状況把握する。夢か?現実か?両者の答えなど哲学的すぎて証明しようもない。
「デイヴィッド様、お外で服を脱いではいけません。」
大きくふくよかで優しそうな女性が、まるで幼児に言い聞かせるような口調で声をかけてくる。そういえば、パンツを下ろしたままだった!しまった、恥ずかしい!赤面しながら慌ててパンツをずり上げる。
ひとまず、子供になったという仮定で、この異常な状況を乗り越えていくことにした。
路上で転倒し、意識を失った俺が見ている夢の可能性も高い。現実の俺がどうなっているのか、病院に運ばれているのか、大変不安ではあるが、とりあえず今の状況をロールプレイしよう。こういう夢を楽しむのもオタクの醍醐味といえよう。
「そろそろおうちにかえりましょうか」
あらぬ妄想にふけっていると、ふくよかな女性に手を引かれた。この人が、この夢の中での俺の母親なのだろうか。しばらく歩いて疲れてくると、軽々と抱きかかえられ、家まで連れて行ってもらった。
家は、まるで絵本に出てくるような、可愛らしいお屋敷だった。シルバニアファミリーのお家をそのまま大きくしたような…。中に入ると、
「おかえりなさい、リリア。それにデイヴィッド」
まだ20代前半くらいの、黒髪の若い綺麗な女性が出迎えてくれた。身に纏う服も、なんともゴージャスだ。貴族様だろうか?
「ただいまもどりました、エレノア様」
なるほど、ふくよかな女性はメイドのリリアさんで、このエレノアさんがこの家の主人、つまり偉い人なのか。もしかして、この人が夢の中での俺のお母さま?
…いや、待て。だいぶ若いぞ?現実の俺より年下じゃないか?試しに呼んでみよう。
「マンマ」
「あら、どうしたのデイヴィッド 」
エレノアさんが、優しい笑顔で答えてくれる。よし。この人がお母さまでいいみたいだ。ってことは、俺も貴族の子供なのか?さすが俺の夢。都合がよろしいことで。
もう少し、この状況を楽しんでみよう。甘えてみるか。
ニコッと笑って、両手を上げて、「ママ、だっこ」 ーーー幼児の必殺技である。
「あらあら、こっちにおいで」
エレノアさんが抱きかかえてくれる。俺も反射的に抱きつく。柔らかい肩…甘い香りがする。女性に触れたのは、一体何年振りだろうか?いい夢だ。ぎゅっと抱きついてみる。
「まあ、デイヴィッドったら甘えん坊さんね」
リリアさんが笑いながらからかってくるが、俺は気にせず若い女性の抱き心地を堪能する。どこか、現実世界では感じられなかった安心感がある。…しかし、わがムスコが反応しないのは母という設定だからだろうか。
しばらくして、
「ただいまデイヴィッド、パパだよ」
玄関から、朗らかな男の声が響いた。こちらが父上か。見上げると、西洋風の鎧を纏い、腰に剣を携えた金髪碧眼の美男子が立っていた。こちらも20代前半くらいだろうか。若い。美男美女の羨ましい家庭だ。若くして子供にも恵まれて…。あ、子供は残念ながら俺というわけか。すまぬな、親御さんよ。俺は34だ。実は中身は君たちより年上なんだよ。…まあ、夢ならなんでもありか。かわいそうだからサービスしてやろう。
ニコッとして「パパ、パパ」 ーーーふたたび必殺技を放つ。
「おー、デイヴィッド。今日はどうだったかい?」
俺の声を聞いた途端、父上の顔が満面の笑顔になる。これは間違いない。。親ばかだ。
食事中、両親とは別に幼児食が用意された。スプーンをうまく使えず、何度も食べ物をこぼしてしまう。両親の楽しそうな会話をBGMに、食事に全力を注いだ。ものを食べるという行為が、こんなにも大変だったとは。
ところで、両親の話を聞きながら、いくつか気づいたことがある。このお屋敷の雰囲気、両親の服装、そして部屋に飾られた鎧や剣。どう考えても、ここはいわゆる中世ファンタジー風世界だ。まさに夢の世界、ありがとうございます。そして、家は貴族の家柄っぽい。実は両親が話している言語は、どう聞いても日本語ではない。何を言っているのか、ほとんど理解できなかった。そして、さっき俺が発した幼児語も、日本語ではなかったはずだ。一体どうなっているんだ?俺の頭の中で考えている言葉は、日本語のはずなのに。俺は現実では中村大介、ラノベとエロゲーを愛する隠れオタクな日本人医師だ。それははっきりと覚えている。だが、自分の本当の両親のこと、兄弟や昔の友人の顔…それらが、どうしても思い出せない。夢だからか?それとも、本当に忘れてしまったのか?分からない。そもそも、ここが本当に夢なのかどうかも、確信が持てなくなってきた。
…いろいろと思案したが、分からないことは考えても仕方がない。今の体の状態、言語レベル、運動レベルから判断するに、おそらく2歳児相当だろう。できることは限られるが、とりあえずラノベとエロゲーで培った知識を活かしつつ、この状況を全力で楽しむと心に決めた。夢から覚めるまでは、この異世界ロールプレイを満喫してやる。そのためには、まずここがどこで、どういう世界なのかを調査しよう。魔法とか、ファンタジー要素があるなら、ぜひ体験してみたいものだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
面白かった、続きが気になる、と思っていただけたら、ぜひ「いいね」や「高評価」をお願いします!
皆様の応援が、執筆の励みになります!