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秋津皇国戦記  作者: 金剛愛宕
プロローグ
2/12

戦力検証


 行為が終わった後、俺は桑原狐々阿(くわはらここあ)少将に連れられ、シャワーを浴びた。

 水は海水らしく、しょっぱかった。この時代の軍艦は、お風呂まで浄水する様な贅沢は出来ないのだ。


「はぁ・・・」


 それにしても、思わず溜息を出してしまう。

 軍医ちゃんと流れでヤっちゃった事に、時と共に罪悪感が増してくるのだ。あんな無し崩しでしちゃってよっかったのだろうか?


「服を着た?じゃあ、戻るわよ」


 ここあちゃんが脱衣所に入ってきて言った。


「戻る・・・はい」


 気が重い。そんな中、俺はここあちゃんに連れられ再び医務室に戻ってきた。

 やはり、俺の居場所は医務室らしい。


「・・・/////」


 部屋には軍医ちゃんが居た。

 その軍医ちゃんこと佐藤岬は、体育座りで枕を抱えて悶えていた。


「赤ちゃん、デきちゃう♡」


 その蕩けるような表情は、先程の行為の時と同様にエロい。そして、とても嬉しそうにしている。童顔な彼女が三角座りで顔を赤らめているのだ。可愛くない方が不思議である。


「できちゃう。えへへ」

「・・・」


 俺の心配は杞憂だったらしい。


「軍医ちゃん?」

「ふぇっ!? い、何時から居たのです?!」

「今さっきですよ」


 俺に気付くと、軍医ちゃんは慌てて顔を隠した。

 真っ赤になっちゃって、可愛い。


 可愛い軍医ちゃんに和んでいると、俺の中に様々な疑問が溢れ始めた。

 それは、心に余裕ができた証拠だ。


「ところで。聞きたい事があるんだけど」

「さ、さっきのHの話? い、嫌よ。恥ずかしい・・・♡」

「いや、ちげえよ」


 彼女の照れる表情が妙に可愛くて、ずっと見てていたいが、今は状況を整理したいのだ。

 可愛いに勝る重大事項である。


「今日は何年の何月何日だ?」


 そう。これが一番大事だ。

 今のところ、目覚めたら家がなくて空母に居て気絶させられ、目覚めたら交尾をして風呂に入っただけだ。整理が全く追いつかないビックリ展開だ。


 さて。

 重要なのは、俺が今乗艦しているのがマリアナの深海に鎮座している筈の空母『瑞鳳』である事だ。

 つまり、戦前・戦中の昭和と言う事だ。


「今?何を改まって・・・1941年12月8日だよ?」

「・・・?!」


 やはりと言うか、なんと言うか・・・

 それは偶然か、必然か・・・


 1941年12月8日、それは日米開戦の日。つまり、真珠湾攻撃機の日であった。

 そして、日が開けている今、真珠湾攻撃は終わっている(・・・・・・)証拠でもあった。



ーーーーー



 今、俺が乗っている軽空母『瑞鳳』が所属するのは、第三航空戦隊だ。

 先ずは、第三航空戦隊について述べようと思う。



 1936年、水上機母艦『神威(かむい)』と第28駆逐隊で編成されたのが第三航空戦隊の始まりで、戦隊司令官は戸狩貴子(とかりたかこ)少将である。

 その後、錦明乃(にしきあけの)少将が司令官になるが38年12月15日に解隊している。


 1940年11月15日、第三航空戦隊は再編成され、第一艦隊麾下(きか)となる。

 軽空母『鳳翔(ほうしょう)』と『瑞穂(みずほ)』、駆逐艦『羽風』『秋風』『太刀風』の戦力で、司令官は角田花凛(かくたかりん)少将である。

 軽空母『瑞穂』は史実では水上機母艦である。史実では軽空母『龍驤(りゅうじょう)』が編成されている筈だが、この世界では『龍驤』が建造されていないらしい。


 1941年4月、軽空母『瑞穂』が第四航空戦隊へと転出され、入れ替わるように第四航空戦隊の軽空母『瑞鳳(ずいほう)』が編入された。

 この時の戦力は、軽空母『瑞鳳』『鳳翔』、駆逐艦『三日月』『夕風』である。


 同年9月には角田花凛少将が第四航空戦隊司令官となり、第三航空戦隊には桑原狐々阿(くわはらここあ)少将が()てられ、今に至る。

 桑原少将はこの戦隊の司令官になって、二ヶ月と言う事になるな。


 俺の居た世界の歴史になぞれば、第三航空戦隊は1942年4月に解隊される。


 6月初めのミッドウェー海戦敗北の影響で、軽空母『瑞鳳』が第一航空戦隊に編成される筈だ。軽空母『鳳翔』も1943年1月15日に軽空母『龍鳳』と第五十航空戦隊を編成する。


 1943年12月、水上機母艦から空母へと改造が為された『千歳』『千代田』の二隻で第三航空戦隊が再編される。その後、マリアナ沖海戦に参加し、軽空母『千代田』が損傷する。


 1944年8月10日、第一航空戦隊から正規空母『瑞鶴(ずいかく)』、軽空母『瑞鳳』が第三航空戦隊に編入され、第三艦隊が直率(ちょくそつ)する。

 この時の戦力は正規空母『瑞鶴(ずいかく)』、軽空母『瑞鳳』『千歳』『千代田』の四隻である。

 そして同年10月、レイテ沖海戦で"全て撃沈"される事になり、第三航空戦隊も解隊される。



 これが秋津皇国第三航空戦隊の歴史であり、大日本帝国第三航空戦隊の未来である。

 ここまでの秋津皇国海軍の第三航空戦隊は若干の差異はあれど、日本の史実と同じ様に進んらしい(差異は史実の軽空母『龍驤(りゅうじょう)』が建造されていない事に起因すると考える)。


 これから先、秋津皇国は日本海軍と同じ運命にあるのかもしれない。

 と思ったが、他の事も聞いていると、それは否定できた。


 第二次大戦開戦前、史実の日本海軍は戦艦主力の艦隊にも最低限の航空能力は必要とされていた。航空機の戦力は侮れないものであると位置付けていたからだ。そのため、主力艦隊である第一艦隊には第一航空戦隊が所属していた。

 だが、開戦直前に航空戦力を更に重視し、第一航空戦隊と第二航空戦隊を集結して"第一航空艦隊"を新たに編成した。

 そのため、攻撃空母としては多少弱い軽空母で編成される第三航空戦隊が、第一航空戦隊の代わりに第一艦隊に所属したのが日本の史実である。

 その際、淵田美波(ふちたみなみ)中佐が第三航空戦隊参謀を務めていたが、真珠湾攻撃ために赤城飛行隊長に転出した。


 ところが、秋津皇国海軍は違っていた。


 日本海軍は戦艦主力の艦隊にも最低限の航空能力は必要とされているのは変わらない。だが、主力艦隊である第一艦隊には最低限の航空能力として、常時第三航空戦隊が所属していた。そして、本来第一艦隊に所属する第一航空戦隊は、かなり前から"第一航空艦隊"に所属していた。


 つまり、航空艦隊の創設が早いのだ。しかも、空母の有用性にいち早く気付き、史実以上に空母を建造していたのだ。この功労者としては伏見宮藍子王ふしみもみやあいこおうをはじめ、山本六花、小沢治子、井上鳴海、福留千津代らの尽力によるものだ。


 1933年に編成された第一航空艦隊は二個航空戦隊、空母『赤城』『天城』『加賀』『土佐』で編成された。

 ちなみに当時、第一航空戦隊司令官は山本六花(やまもとりっか)少将、第二航空戦隊司令官は加藤陽子(かとうようこ)少将であった。


 この編成は史実とは全く違うと言えるだろう。


 その後、空母『土佐』が第五十航空戦隊に移動し、水上機母艦『能登呂(のとろ)』とが編入され、4隻体制が続く。


 1937年には、水上機母艦『能登呂』が秋中戦争に参加する為に転出する。

 代わりに編入された最新鋭の実験中型空母『雲龍』が就役すると、『加賀』の僚艦を務める。この空母は軽空母『鳳翔』の代艦分8370tと残りの建造枠5730tで建造(もちろん、実際の排水量17000tを14100tと公表)されている。

 建艦構想は史実の軽空母『龍驤』、性能は史実の空母『蒼龍』に近いものと思えば良いだろう。


 ちなみに、軍縮条約明け直後の空母は大小含めて9隻、排水量27万9000総tにもなる。基準排水量で換算すると、制限一杯の17万7000tと軽空母『鳳翔』の8370tである。


 天城型空母の『天城』『赤城』、加賀型空母の『加賀』『土佐』、試験装甲空母の『陸奥』、中型空母の『雲龍』、翔鶴型空母の『翔鶴』『瑞鶴』、軽空母『鳳翔』だ。


 第一航空艦隊は秋津が持つ大型空母8隻を中核とし、練度共に現世界最大の機動部隊となっている。

 第二航空艦隊は大型空母2隻・中型空母2隻を中核とし、後の史実の規模とは全く違う艦隊となっている。


 航空艦隊に所属しない他の空母は、第四航空戦隊(南遣艦隊所属)が『瑞穂』『陸奥』、第四艦隊付属が『大鷹(史実では特設航空母艦『春日丸』だが、この世界では既に航空母艦扱い)』、第三航空戦隊(第一艦隊所属)が『瑞鳳』『鳳翔』、

 これらの空母はそれぞれ、艦隊の制空権を担っているのだ。


 ここに、秋津の艦隊は正規空母10隻、軽空母6隻を有する大海軍となった訳である。

 ワシントン軍縮条約にて戦艦を空母への改造が認められ、17万tの保有が認められていた背景が原因である。その枠内で戦艦を空母に改造し、翔鶴型や『雲龍』を就役させていった。

 1940年後半には、改翔鶴型空母『麟鶴』『飛鶴』と大和型航空母艦『大和』が竣工し、現在の規模に至る。


 ちなみに軽空母『龍驤』は、空母『翔鶴』『瑞鶴』建造後に実験空母『雲龍』が軍縮条約枠内ギリギリで建造されたため、建造枠消失で起工すらされていない。

 そして、史実の空母『蒼龍』『飛龍』が建造されておらず、時期をずらして条約明けで改翔鶴型空母『麟鶴』『飛鶴』が起工、現在も工事がなされている。


 その後、軽空母『瑞穂』『日進』『祥鳳』『瑞鳳』『大鷹』が軍縮条約失効後に艦種変更の改装が施され、就役している。


 ちなみに、この時の空母は大小含めて16隻、排水量48万総tにもなる。

 この事から、秋津皇国はかなり準備の整った中で開戦した事が分かる。


東郷治三郎は主人公ではありません。

あくまで海戦シーンメインの物語です

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