後宮勤めのスーさん
「スー、ちょっと来てくれる?」
コーネリア王国の後宮。正妃エカテリーナはとある女中を呼んだ。
呼ばれてすぐ現れたのは、肩まである癖のない黒髪と女性にしては少し太めの眉、そして三白目がちな瑠璃色の眼が特徴の小柄な女中だった。
「正妃様、いかがなさいましたか?」
「着替えを手伝って。この子、少し怪我をしてしまって……」
エカテリーナは傍らの女中に眼をやる。赤毛の女中は手首が腫れており、着替えが手伝えそうもない。何故彼女の手首が腫れているかは解らぬが、スーと呼ばれた女中は別の女中に赤毛の子を手当てしてほしいと願うと、長い女中服の袖をまくった。
「お召し変えでございますね」
スーはクローゼットを開くと迷いも無く黄色いドレスを選び、運び出す。そしてエカテリーナが纏っていた白いドレスを丁寧に脱がし、コルセットを閉めなおすと、また器用にふわりとドレスを着付けする。
「髪型はいかがなさいますか?」
「ドレスのイメージに合わせて。次は」
「アマリリス様とのお茶会にございますね。でしたら……」
スーは手を動かしながら次のスケジュールを確認し、髪を丁寧にブラシで梳く。そして金髪の二房を三つ編みにすると後頭部あたりで1つに纏めリボンをあしらった。
「アクセサリーには陛下からいただいたこのカメオをつけては?」
スーは宝石箱からそれを取り出して胸元に添える。鏡を見ていたエカテリーナが頷けば手早くそこへ装着させる。
あっというまに着替えが終わると次は化粧直しである。そのまま椅子に座ってもらうと、スーは何処からとも無く台を取り出し、化粧道具を広げる。
そして必要以上には口を開かず、丁寧に化粧を整えるとちらり、と時計を見た。
「アカシア、お茶会は午後2時、スミレの間でしたよね?」
「は、はい」
スーの問いにアカシアと呼ばれた赤毛の女中が答える。スーは十分間に合ったと思いながらも花瓶に活けられていた赤いバラを1本手にし、髪にあしらった。
「スー! スワン!!」
「何でございましょう、イフリエッタ様」
王妃の着替えが終わると、次は燃えるような赤毛の側妃に呼ばれた。彼女は目の前に現れた黒髪の女中に、鋭い眼を向けてこういった。
「貴方、お茶を入れなさい」
「かしこまりました」
スーは一礼し、さっそくお茶の準備をする。これからアマリリスの茶会があるというのにここで飲むと言う事は、またハブられたのか、と内心で吟味しつつスーは黙って紅茶を淹れる。
序列ではイフリエッタの方が上なのだが、アマリリスは辺境伯の娘である彼女を『田舎者』として馬鹿にし、ことある毎に嫌がらせをしている。正妃は恐らくこの事をそれとなく茶会で窘めるかもしれない、と思いながら、スーはお茶菓子にホワイトチョコレートをかけたバウムクーヘンを用意した。イフリエッタはこれが大好きなのだ。
「スー、貴方はこの後宮にいる15人の妃全ての好みを把握していると聞くわ。凄いわね」
「いえ、私に出来る事は限られております。皆様方のお好みを覚えておく事も、出来る事の1つですので」
スーはそう静かに答える。イフリエッタは「そう」と相槌を打つと淹れられた紅茶を口にし、少しだけ表情を緩めた。だが、顔色が少し優れないようにスーには思えた。
「イフリエッタ様、お体の調子は如何ですか?」
「うん……、この所食欲が落ちてしまって。後で医者に見てもらう予定よ」
苦笑するイフリエッタを心配しつつ、スーは夕食について料理人に一言伝えたほうが良いか考える。イフリエッタ付きの宮女が報告するだろうか、と気にしていると……にわかに辺りが騒がしくなった。それはイフリエッタの元にも近づいてくる。
「何事ですか」
ドアを開き、イフリエッタ付きの宮女が騒ぎの主に問いかける。と、思いもよらぬ言葉が彼女から齎された。
「国王陛下が落馬され……」
それが聞こえたとたん、イフリエッタの顔が真っ青になる。口元を押さえた彼女はしゃがみ込み、何かを察知したスーは空いた皿を用意し、すかさず差し出した。
宮女たちの悲鳴と、イフリエッタが嘔吐する音が、重なった。
人間と言うものはあっけない物だ、とスーは棺を見ながら思った。王が落馬し崩御したという知らせは、後宮を揺るがせ、今も妃たちを震わせている。
葬儀を済ませ、前王の後宮は解体される事となった。子を産まなかった側室たちは皆、別の嫁ぎ先を斡旋されたり、自分の家へ戻っていた。女中たちも全て面接を経て己の主についていくか、新たな後宮に仕えるかを選ぶ事が出来た。
既に世継ぎを出産している正妃は心労から森の離宮へ、その他の子を持つ側室も比較的近郊の離宮へ移る事になり、前王の子を身ごもっていたイフリエッタもまた正妃とは違う離宮へ移る事になっていた。彼女のことを心配していたスーもまた、彼女についていきたかったのだが……。
「君が、スワンか」
新たな王、カシアスに呼ばれ、スーは一礼する。彼はまじまじとスーを見るとこんな事を言い始めた。
「スワン・ネフィーラ。君には我が正妃の替え玉をやってもらいたい」
「……替え玉、ですか?」
スーの問いかけに、カシアスは静かに目を細めた。
「我が妃、ユインは何者かに命を狙われていてな。事件が解決するまでの間でいい。それが終わればイフリエッタの女中に戻そう」
その言葉に、スーは内心で表情をしかめた。別に王族のために命をかけるのは嫌な事ではない。むしろ誉れである。が、今の懸念は、イフリエッタの事だった。
イフリエッタは愛する人を失った悲しみと、初産であるが故の不安などで少しやつれたように見えていた。それに、今自分が後宮で働いているのは、彼女のお陰だった。傍にいたいと思うのも、当たり前の事だろう。だが、王が直々に命じてきたのだ。逆らうわけにはいかない。
カシアスは、前王の第一子たる正妃の子(王子)が成人するまでの中継ぎらしいが、前王の子らが皆幼いという事もあって結婚する事になっていた。まぁ、前々からお付き合いしていた女性(辺境伯の愛娘)と近々結婚予定だったらしいが、繰り上げになったようだ。
だが、カシアスが王位についた事で面白くないと思った連中や、自分の娘を正妃にしたいと考えた連中が差し向けたのだろう。何者かがユインの命を狙った。
「……何故、君に白羽の矢が立ったかわかるか?」
「見た目が似ているからでしょうか?」
「その通りだ。君は知らないだろうが、本当にユインそっくりなのだよ、君は」
カシアスの言葉が、腑に落ちた。似ているのならば、いたし方あるまい。
「わかりました。スワン・ネフィーラ、陛下の命に従います」
スーは一礼し、一旦カシアスの前から立ち去ると衣服を着替えるべく別の部屋へ向かった。
着慣れた女中の衣服を脱ぎ、代わりに淡い水色のドレスを纏う。黒髪には白い花の髪飾りをつけ、紅を貴族の淑女だけが許される珊瑚のような桃色に変えた。
「……っ!」
その姿を見たカシアスは、言葉を失う。先ほどまで宮女だったとは思えないほど、スーの姿はしっくりきていた。その立ち振る舞いが婚約者に似ている、とカシアスは息を飲む。
「いかがなされましたか、陛下」
「!?」
スーが問いかけたとたん、カシアスは耳を疑った。彼女の声が、ユインの物に聞こえたのだ。
「ここまでそっくりとはな」
「陛下、貴方様が知るユイン様の嗜好や趣味、癖、欠点などを全て教えてください。模倣して見せます」
「……え?」
「襲撃者を騙すためです。やるからには徹底的にやらなくてはなりません」
「あ、ああ。わかった」
スーは頭を下げ、カシアスは息を飲みつつ頷く。その全てを水を飲むかのように憶えこむスーの姿に、見ているもの達は皆戦慄を覚えたという。
スワン・ネフィーラ。
後に伝説の女中と呼ばれる事になる彼女の物語は、ここから始まる。
* * * * *
「と、いう夢を見たから原稿にしてみた。モデルになった面々は君以外了承済みだ☆」
カシアスの言葉に、スーは目を丸くした。
スー……スワン・ネフィーラはカシアス付きの女中である。このカシアスというのは現王の末の弟であり、現在の王位継承第一位である。そして、密かに小説家『アクア・マリン』としても活躍している。
「これが、新作にございますか?」
小説に書かれた通りの、肩まである癖のない黒髪と女性にしては少し太めの眉、そして三白目がちな瑠璃色の眼が特徴の小柄な女中……スーは少し怪訝そうな顔をした。
「私は、三白眼ですかね殿下」
「うん。りっぱにな。あと、もう少し胸が欲しいところだ」
「残念ですが巨乳がお望みならばロビンにお頼みください。それとも、絶賛『クー様絶許モード』のユイン様に土下座してください」
「ちょっ?! スーさんそれマジなの?!」
カシアスがちょっと茶化すような事を言うと、スーは真面目な顔でそういい、次の瞬間にはカシアスの顔が青ざめていた。
「ユインさまがお出かけしたいというのにカシアスさまは執筆と仕事にかまけてしまってらっしゃいましたからね。涙目で私に『クー様なんてロビンの胸で窒息してしまえばいいのよ』と言っておりました」
「確かにロビンは巨乳だけど彼女婚約者いるし! 寿退職間近でしょ! そうじゃなくてユインはいったいどこ?」
スーは「さぁ?」と首を傾げ……カシアスはすぐさま勢いよくドアをあけてユインを探しに行った。その後に舞った原稿用紙を纏めて机におくと、スーは「さて、掃除掃除」と真顔で道具を取るのだった。
おまけ
イフリエッタ「うぅ、アマリリスが悪役っぽいです」
アマリリス「だって、悪役やってみたかったんですもの」
エカテリーナ「きゃ~♪ スーちゃんかっこいい~♪」
3人「カシアス殿の小説ってやっぱり楽しいですわねぇ♪」
現王(俺の後宮マジ平和でよかった……)
本当は仲良しな正妃と側室2人+ほっとしている現王。
ここまで読んでくださりありがとうございます。