2話 引き籠りと天体観測
誰かの声が聞こえる。
――ろ――きろ――
何を言っているのか、上手く聞き取れないがたぶん、女性の声。
――オ――起きろ――
起きろ・・・って言ってるみたいだ、こんな引き籠りに起きろなんて、一体何を言っているんだか、俺にとっては平日も休日もなんら変わらんのですよ。
というわけで、昼過ぎまで寝ます。お休みなさい。
「さっさと・・・起きろおおおおおお!」
激しい怒声に耳を劈く鉄と鉄のぶつかり合う音。突如身体に強力なGがかかるのを感じ、次の瞬間に俺の納まっている空間ごと何かにぶつかる衝撃で後頭部が思い切り後ろの壁に押し付けられ、危うく俺は首の骨を折るところだった。真っ暗闇の中なのに目の前でちかちかと星が見えている。
開く天井。いや、正確には蓋。宝箱の蓋が開けられたのだ。わけあって俺は宝箱の中に入って生活している。その安全地帯に大地震を起こした人物は目の前で腕を組んで仁王立ち。箱を開けた本人であるナターシャはこちらを一瞥して侍女のごとくおしとやかに後ずさって俺の前を開ける。部屋の奥にはもう一人の少女、ハーネリアスが今日も真っ黒の服に身を包んで黙々と本を読んでいる。
「あ、アンネリーゼさん、おはようございますぅ、いいお天気ですね☆」
俺はこの箱の蓋が開いているというかなり精神的にしんどい状況でできうる限りの笑顔をアンネに向けた。ここが宿の部屋の中でなければ冷や汗だくだくであっという間にへばっていただろう。
ちなみに、これまた訳あって俺は外、得に知らない人間が多い場所に出ることにとてつもなく抵抗がある。過去に色々あったのが原因だが、それは、今はいい。
そんなわけで俺はお日様の真下では吸血鬼のごとく生命力を失ってしまうのだ。今は知らない土地で、知り合って丸一日経つか経たないかの少女達と同じ部屋にいる。外の世界となんら変わりはなかったが、なんとか嘔吐感やら頭痛の諸症状が出ないように頑張っているのだ。
・・・この後を考えると頭痛と嘔吐感におとなしく苛まれていた方が楽だったかもしれないが。
アンネの表情がゆっくりと笑顔に変わっていく。それと反比例して殺気は露骨になっていった。
「あ、トシオ君、おはよぉ~、お昼が近いのに起きないなんて、いい度胸だね★」
黒い!今、黒い星が見えた!まさか、死兆星ってやつ!?
直後俺はアンネの持つ剣の鞘で気付けの一発を御馳走になり、その後は正座でとくとくとこの世界の常識を教えられた。
まず、基本的には夜明けとほぼ同時に起床すること。夏と冬とでは時間差もあるだろうが、その辺は習慣しだいなのだそうで。
食事が朝、昼、夜と一日で三度なのは俺の『元居た世界』と変わらないらしい。
『元居た世界』と説明しているからには、ここは元居た世界ではないわけで、詳しいことは不明だが、経緯だけを説明すると、俺は自室に籠って古臭いゲームをしていたのだが、いざ、魔王を倒そうかというときに、魔王が俺の前に現れ、俺をゲーム世界に引きずり込み、宝箱の中に閉じ込めた。と、そういうことらしい。夢や幻覚ということも考えられるが、現にさっきから首が痛い。痛みは夢でないことの証明と誰が決めたのかは知らないが、とにもかくにも、これが夢でないことを証明する材料は今のところそれしかない。
「で、何ゆえ俺は叩き起こされたのでしょうか」
それを聞いたアンネは深~いため息。ナターシャに目配せしてみても、アルケミックなスマイルを浮かべるだけだった。まるで御仏のようだ、顔だけ。ハーネリアスは・・・だめだ、本に没頭している・・・と、思ったらあいつ、ちらちらこっち見て嗤ってやがる!
救いは無いのか・・・。悲しいことだ。
ふぅ、と短く息をつくアンネ、表情からは怒りがスッと影をひそめ、いつもの雰囲気に戻った。どうやら怒りは済んだらしい。
「昨日、野盗やっつけたでしょ?」
けろりとした表情が逆に「裏あるのでは・・・」と疑念を抱かせるが、まぁそんな念は放っておいて、俺は首を縦に振る。態勢をいつものように、箱の淵と蓋の淵で挟まれるような状態に落ち着かせながら。
「はい、確かに」
「で、この町の領主様から謁見のお誘いが来たわけ」
ずいぶん話が飛躍するな、と思う。野盗をやっつけて領主と謁見する・・・うむぅ、繋がりが見えない。
わからない時は素直に聞く。ただでさえ俺が時間を無駄に浪費してしまっているしな。
「なんで謁見になるんだ、栄誉賞とか貰えんの?」
「さぁね、一体領主様が何をお考えなのやら・・・ただ・・・」
「ただ?」
聞き返す俺、再びため息なアンネ。
「指定された時刻まで、もう時間がないの」
「そうなの?」
「そうなのって・・・誰の所為だと思ってるわけ?」
また死兆星が見えそうになって慌てて頭を箱の中に退避させながら付け加える。
「わ、わかった!ならばすぐに行こう!うん、急ごう!」
三度ため息のアンネをナターシャがまぁまぁと宥め、俺は怖々様子を確認。
アンネを落ち着かせたナターシャはさっさとどこかに行ってしまうし、ハーネリアスは動く気配なし。アンネはすでに肩から荷物袋を提げている。
「二人は?」
二人とは当然、ナターシャとハーネリアスの事を指す。
「行かないってさ」
アンネが掌を仰がせて首を左右に振る。
「なんで?」
「ナターシャは用事があるって、ハーネは『あんな豚の醜悪な顔面を見るぐらいなら本とにらめっこしていた方が一万倍マシで一億倍有意義だ』って」
アンネがハーネリアスの顔真似をしながら説明する。本人は目の前――正確には後だが――に居るのに。
というか、酷い言われようだな、領主。
「じゃあまた二人きりで出かける訳か」
そういうとアンネの頬が俄かに染まった。
「もうっ、遊びじゃないんだから、さっさと行くわよ!」
ぷいとそっぽを向いてしまうアンネに首を傾げながらもその背中を追って部屋を出る。
部屋の中にはハーネリアス一人が残され、静寂が訪れた。彼女は本から目を逸らし、窓の外に目を向ける。眼下には通りが一本、その通りに見慣れた赤い髪と宝箱。声こそ聞こえないが、その二人の姿が通りの向こうへ消えてしまうまで彼女はただじっとそれを見つめていた。
「でさあ」
道中、口火を先に切ったのは俺の方だった。宝箱に入ったままピョンピョンと飛び跳ねるように移動しているため、振動で蓋が開いて閉じてを繰り返す。むしろそれで位置を把握しているわけだが。
「領主ってどんな人?」
先ほど宿ではハーネリアスに散々なことを言われていたが・・・。
「ん~、そうねぇ、この町の領主の名前はカクタス=ゴールドって言ってね。もういい歳のおじさんで、金がとにかく大好きで全身金の装飾だらけなのよ、この付近の金山全部牛耳ってて、小太りで丸っこいから町の人が付けた蔑称が『金豚』。・・・確か娘がいるはずよ」
「・・・詳しい解説どうも」
どうやらその金豚、あまり町の人間からは好かれていないらしいな。そこで先日のアンネの言葉を思い出す。
民を犠牲に自分だけ生き永らえる。そんなことをしている人間を好きになれって方がどうかしてる、か。金はあるけど人望は・・・ってことかな?
そんな奴が栄誉賞なんてくれるのかねえ・・・。
と、考え事をしていると目の前から何かが突っ込んできた。それは丁度この宝箱よりも少し小さいぐらいのサイズで、蓋が開いたところに丁度飛び込んできたのだ。
「うぉあ!?なんだ!?」
視界が急に悪くなったのと同時に「わっ」という短い悲鳴のような声も聞こえた。態勢を戻そうと苦戦しながら、突っ込んできたものが何なのかを確認する。む、柔らかい。ミルクっぽいような・・・甘い匂いがする。俺が思うに、これはたぶん、子供だな、ぶつかった拍子に飛び込んで来たんだろう。で、俺の態勢が、箱の中に横向きになって足だけ外に放り出している状態で、この子が俺の上に覆いかぶさっていて、蓋が閉まりかかっているせいで薄暗いし、よく見えない。
蓋を開ける前に、この子が大丈夫かどうかを確認せねば。顔に髪の毛が当たっているので、すぐそこにこの子の頭があるのは間違いない。手を動かして子供の頭に置く、俺の唇が柔らかいものが触れた多分・・・頬?だと思う。
「あ、ごめん」
「え・・・だれ?」
お互いに顔ははっきりと見えていないが、声でこの子が女の子だということが分かった。
「え、えと、お兄さんは・・・ミミックです。あ、魔物じゃなくて、割と優しいミミック」
泣き出しそうに掠れていた女の子の声にテンパって意味不明な説明を施してしまった。なんだ、割と優しいミミックって?
「・・・ミミックさん?」
「うん、そう。ミミック」
うん、もう、ミミックでいいや。
「い、今・・・ほっぺにチューした・・・でしょ?」
「え・・・えっとぉ・・・」
俺は言葉を濁す。しかし内心は正直に白状していた。
はい、しました。
わざとじゃないけど。
不可抗力だけど。
事故だけど。
確かに、確かにしました。ほっぺにチュー。いたいけな子供を穢してしまいましたごめんなさい・・・。
とまぁ、こんな具合に言い訳にもならない言い訳を漏らしながら。
「し・・・しました」
「な、なんでチューしたの?」
なんでときたか、まぁ、子供はどんなことにも疑問を持ちたがる物だものな、何かあるたび「なんで」「どうして」と尋ねてくるのが子供ってものだろ、それに対して「なんでも」とか「どうしても」とかそっけなく返す大人の心の余裕のなさよ・・・。ここは適当なこと言えないぜ、ミミックとして、ファンタスティックでロマンティックな台詞を・・・!
「え、えと、君が可愛かったから、僕の宝物になる呪い掛けちゃいました」
最後に「てへっ」と付け加えて。
うん、何言ってんだ、俺。ファンタスティックというより、ロマンティックというより、ただの変態ではないか!どうしてこうなった?
その時、宝箱の蓋が開かれた。女の子の顔が光に照らされて鮮明に映る。俺は思わず、ほぅと息を漏らしていた。幼いが、パチリとした目、並びのきれいな歯、目鼻立ちの整った将来確実に美人なるという予感を感じさせるかわいらしい少女だ。その少女が自分の真上でそのふっくらと柔らかな(感触は確認済みの)頬をほんのり桜色に染めて黙りこくっている。そんな様子がかわいらしさをより引き立てていた。
その向こうにもう一つの顔がある。こっちは、青筋が立ってて、腕を組んで仁王立ちしてるから、可愛くない。
「なに、してんの?」
「えっと・・・女の子に呪い掛けてました☆」
「じゃあ、あたしがあんたにすっごく安らかに眠れる呪い掛けてあげようか★」
死兆星。
アンネの剣がカチャリと音を立てる。やめてください、本当に死んでしまいます。というかその安らかに眠れるってそもそも呪いとかじゃなく物理攻撃だよね?
「ちょっと待ってくれ、アンネ!これは事故だって!」
慌てる俺に対してアンネは冷静に「冗談だって」と言った。やはり、表情は元通り、ううむ、演技力がありすぎて本気なのか冗談なのかわからない。どちらにしたって、心臓によろしくない。
しかし、この子はどうして前も見ずに走っていたんだろう。
「君、何か急ぎの用事でもあったのかい?」
「え、えぇと・・・あ!うん、探し物!」
少女はぐいと顔を近づける。ただでさえ異性に耐性の無い俺は年の差十ほどもありそうな女の子の顔のドアップにすら思わずたじろぐ、しかし、身体を逃がす隙間などなどないわけで、結局お互いの顔の距離は吐息も掛からんやという位置になっていた。
「さ、さがし、もの・・・?」
聞き返す声に抑揚などなく、この時俺はすでに箱の外、日の光と周りの人間の視線が俺を貫いていく。
頭がクラクラする。吐き気は感じないが、冷や汗は著しい。
太陽が俺を見下ろしている。二つの太陽が。一つは天高く燦燦と煌めき、もう一つはすぐ目の前に、曇りを見せていて、今にも雨が降り出しそうな表情をしている。
星やら太陽やら、今日は何度も天体を見る日だ。なんて考えてから、思考を本筋に戻す。
「一体何を・・・」
緊張感、動悸、不安、恐怖、あらゆる感情が俺の精神をギリギリと音を立てて削っていく。
だがそんな中で俺は己の瞳で少女を見つめていた。困っている小さな子供より、自分の精神状況を心配するようなことはしない、それが、紳士ってものだろ?
少女は呟く、小さな声で。
「あのね・・・ペンダント、まん丸で、鎖が付いてて・・・首から下げてたのになくなってて・・・」
「どこかで鎖が切れちゃったのね」
アンネが呟く。いつの間にかアンネは箱の横にしゃがみ込んでいた。この子を怖がらせないように目線を合わせているらしい。その瞳は真にこの子を心配しているようだった。
「アンネ、この子の探し物、手伝おう」
アンネが眉間に皺を寄せて目を糸のように細くする、口はへの字に曲げて、また腕を組んでいる。
「・・・そりゃ・・・できればそうしたいわよ?でもね、あたし達にだってやるべきことがあるでしょ?」
そりゃそうだ、俺たちはこれから金豚様にお目見えしなければならない。だけど、ここでこの今にも泣きだしそうな少女を放り出してまで、行く必要があるのか?そも、どちらか一つだけなんてけちい事言うなよ、例えばこれがゲームで言うところの選択肢で重要な分岐点だったとしても、今そこに立ってるのは俺なんだし、ここは欲張りに両方ゲットだろ。
「アンネは領主のところへ行け、俺は探し物してから行く」
「はぁ!?」
アンネはその目を大きく見開いて驚きをアピールする。
「止めてくれるな、アンネ。男には、やらないといけない時があるんだよ!」
決まった。
精神的苦境に立たされながらも少女のために立ち上がる、それでこそ男で、それでこそ紳士というものだ。
「いや・・・止める気はないけど、アンタ、領主の居場所わかるの?」
「・・・」
心が折れた音がした。
それもそうだ。俺は領主がどこにいるのかわからないんだから、この子を助けた後アンネと合流する術がない。やはり選択肢はどちらか一つなのか・・・。
「地図とか描けない?」
「描いてみてもいいけど」と若干渋った様子を滲ませながらも、彼女は剣鞘の先で地面に大まかな地図を描き上げていく。俺は箱の中で少女と並んでその様子を見つめていた。
周りの人間はその様子を奇異の目で見つめていた。それに気づいているのは、三人の中でただ一人、アンネだけだった。リオも少女もアンネの微妙な表情には全く気付かず地図をしげしげと眺める。
なるほど、これは・・・無理だ。
俺の心を諦めが支配する。
領主の邸宅まで、距離がありすぎる。そもそも道がかなり複雑だ。聞けば幾つも似たような通りがあるというし、例えどれだけ豪奢な建物が聳えていたとしても西にあるものを東に探していては見つからない。俺のように土地勘のない人間がそれを探すのは至難だろう。
そう思って肩を落とし、隣にいる少女に謝ろうと思って横を見ると、少女が不意にとんでもないことを言い出した。
「ここって・・・私のお家?」
「え?」
俺とアンネの声がきれいに重なる。どちらも間の抜けた声だった。その直後、絶叫にも似た「ええええええ!?」という叫びが続く。
「き、君、金豚・・・いやいや、えーっと、領主様の娘さん・・・なのかい?」
こくん、と少女は小さく頷いた。
隣でアンネも「信じられない」とつぶやいている。
「私のパパ、この町のりょーしゅ様やってるよ?」
冗談にも間違いにも嘘にも聞こえない。彼女の純粋な瞳がただ真実を述べていることを俺と、アンネに等しく伝えている。
その後ふと隣の赤髪のお姉さんにちょっとした疑問を抱く。
「アンネ、お前、気付かなかったのか?」
領主の娘ともなれば、そりゃ有名だろうに、なぜ今まで気付かなかったんだ、と視線で訴える。
「いや、あの領主、とんでもない娘愛好家だから、娘をほとんど家から連れ出さないらしいのよ」
なるほど・・・確かそれにピッタリな言葉があったはずだが、どうやら俺の辞書には載っていないな。載ってないったら、ない。
「にしても、これで問題は解決だな!俺はこの子と探し物、アンネは領主のところへ行く。万事オッケー!無問題、無問題」
二人は「モーマンタイ?」と首を傾げたが、身振りだけで軽く流しておく。長らく時間を取りすぎた。
「じゃあ、頼むぞアンネ」
「・・・しょうがないなぁ」
大きなため息をつきながらもアンネは立ち上がり、さっさと簡単に足元の地図を消した。
「じゃ、そっちもすぐに終わらせなさいよね」
「おうよ」と意気揚々と返事を返し、アンネを見送る。
彼女に言うとたぶん怒るだろうが、俺は感心していた。最初こそ暴力のすぎる女の子かと思っていたけど、大抵の暴力には何かしら事情があるし、何より俺の我儘を苦い顔しながらも聞いてくれるその器の大きさに素直に感心する。
「おっと・・・俺もそろそろ限界・・・ちょっと君、一旦出ようか」
「・・・なんで?」
なんで、ときたか。そうだよな、子供はそういうものだよな、なんにでも疑問を持って云々かんぬん、時には理由や理屈より事情を優先しなければならない時が有るわけでお願いですもう限界です蓋を閉めさせてください!
結局、二人して縮こまって箱に収まった。
「で、君の名前は?」
暗がり、二人の間には鍵穴から差し込む光が一本。窮屈なのに、最初よりも箱が大きくなっている気がする。気のせいだけど。
「リリィ・・・」
リリィか、やっぱりかわいい名前だ。ここの領主は確かカクタス・ゴールドという名前だから、この子はリリィ・ゴールドということになるのかな。今はまだ幼いし、リリー(ユリ)というよりはタンポポと言ったような感じだが、後何年かすればきっとユリのように美しい淑女になっていることだろう。
「お兄ちゃんは・・・なんていうの?名前・・・」
「ん、お兄さんはリオでいいよ」
当たり障りのない自己紹介。
「さて、探し物はペンダントだっけ?」
リリィは「うん」と小さく返事をした。この暗がりでは声だけが相手の感情を掴む術となる。少女の返事は湿り気をたっぷりと孕んでいた。暗い空間で、静かになったためか、失せ物をしたことを思い出して辛くなってしまったのかもしれない。或いはお父さんなり、家の人に怒られると心配しているのか。どちらにせよ、さっさとそのペンダントを見つけてやって、この子を領主の元まで送り届ければすべて解決だ。
余談すぎることだが、通りのど真ん中で箱に籠って話し込むと当然邪魔になるのでそこは配慮して箱を道の隅に寄せて話をしている。さらに余談に余談を重ねてしまって大変恐縮ではあるが、どうやら二人納まった状態でも『ミミック根性論』は発動するらしかった。
リリィの話を聞いて、ペンダントの大体の形状を把握する。まず、まん丸である。そして首から下げられるくらいの長さの鎖が付いている。懐中時計みたいなものだろうか、開け閉めできて、中は鏡になっているらしい。外装は星と月を模った装飾が施されている。色は綺麗な銀色。
ふむ、かなり詳しく形状は把握できた。ここまで明確にいえるなら、彼女がそれを所持していたことは間違いなさそうだ。もとより疑ってないけど。
そしてもう一つ、形状が分かると同時に浮かび上がる、忌々しき問題がある。それはもちろん、そいつが金目の物っぽいというか、ほぼ間違いなく金目の物ということだ。もしかしたらすでに持ち去られている可能性すらある。
「急いで探さないと・・・」
俺は決意新たに、静かに呟き、さらに情報を得ようとリリィにいくつかの質問を投げかけていた。
さて、リオが箱の中でリリィに質問攻めをしている頃、アンネは困った事態に遭遇していた。
「よぉ~姉ちゃん、今日は一人かい?」
聞き心地の悪い低い声。目の前にはガラの悪い男が数人立ち塞がっている。なに、この人たち?こんな所でこんな人たちに絡まれる覚えは・・・あ、あるかも。
「昨日はよくも俺らの仲間をやってくれたな」
やっぱり。
アンネは泣きたくなった。と言っても、比喩でだ。実際にはため息をついて内心、ゴロツキにも拘らず仲間意識だけは一丁前ね。と悪態をついていた。
「人違いじゃないですか?アタシ急いでるんでそこ、退いてください」
とりあえず下手に出て様子見。なんならもと来た道を取って返して、別の道を通ってもいい。こっちから手を出すなんて、もっての外だしね。
だが、どうやらアンネの冷静な判断は功を奏さなかったようだ。
「人違いなわけねえだろ、てめぇの面はしっかり把握して宿から監視させてるのによお」
うわ、と思わず顔を歪める。つまり、宿から、いやもっと前からここまでストーキングされていたわけだ。
「全然気づかなかったなぁ、女の子のお尻追っかけまわすのが得意なのかな?」
毒を吐いたのはさっさと仕掛けさせるため、引き返すより、目の前の二、三人を片付けて正面突破し、そのまま領主邸へと駆け込んだ方が早いし安全と踏んだのだが、すぐに彼女はとちった!と舌打ちすることになる。
アンネの後方にある住宅の間の猫しか通らないような路地から数人の影が現れる。そう、端から退路も断たれていたのだ。毒づいたのはいいが、結果を見てみればたった一人で男七人に囲まれる格好となっていた。これにはアンネも焦りを禁じ得ない。
「ちょっと、これはやりすぎなんじゃない?」
眉間に皺が寄って、眉尻が下がる。冷や汗を痩せ我慢しているときでもなかった。
「やりすぎもくそもあるかよ、やられたらやり返す、それだけだ!」
男が唾を飛ばしながら叫び、隣にいた歯欠けの男がナイフを手に飛び出す。突に構えたそのナイフが狙っているのは右腕あたりか。向こうもこちらの獲物を認めているだろうから、その狙いはあながち間違いでもないだろう。ただ少しばかり気が急きすぎだ。こちらが無手の時にそんなことをしても、こんな風に、突き出された腕を脇腹で簡単に固定されて、蹴りを入れられると、脱臼することになる。説明と全く同時にアンネは脳内に浮かべる言葉を実行に移していく。目の前で男が「ぐぎゃあっ!」と悲鳴を上げて無事な左手で右肩を押える、かばう右腕はだらりと力なく垂れ下がり、ナイフは足元に転がった。
「テメェ・・・!」
「正当防衛よ」と肩をすくめて見せるも、逆効果。
周りを取り囲っていた六人(一人はたった今無力化済み)のうち三人がその足を動かした。前から二人、後ろから一人。
アンネは正面に二人の男を睨み付け、もう一人には背を向けている。脳内に描かれるビジョンをそのまま体の動きとして現わす。向かって右の男の鉄パイプを右手に嵌めた腕甲で受け止め、左の男のメリケンサックが顔面のど真ん中を狙って突き出されるが、身体を右に寄せて回避、腕甲に頬を密着させるような状態のアンネに後方から男が迫る。後ろをちらりとも見ないアンネを見て、男は勝利を確信していただろう。だが、それすらもアンネの算段でしかない。アンネが腰に携えた剣の持ち手の柄頭を思い切り抑え込むと、その剣はベルトの紐を支点に、鞘を勢いよく持ち上げた。そしてそれは綺麗な弧を描き、男の顎を下から上へと強かにかち上げた。
唾液と共に歯も一本口からこぼれさせながら後方の男が天を仰ぐ。同時に剣は地面と水平な位置まで戻ってきて・・・二人の男をまとめて切れる位置へとやって来た。ビジョンはもう2人の男をまとめて横一文字に薙ぐ様子を鮮明に映し出している。後は剣を抜くだけだが、それは叶わなかった。
突如として目の前が明滅する。花火のような破裂音に似た音を聞き、彼女の体を何かが貫いた。一瞬の出来事に何が起こったのかもわからぬまま地面に倒れ伏す。細かく肌を叩くような感覚。バチバチという音を耳が拾っていた。
「あ・・・う、あ・・・」
言葉がうまく紡げない。舌の感覚がない。手の感覚も無く、筋肉が収縮し、拳を握った状態のまま開くこともできない。それが雷の魔法だと気付くまでにどれほどの時間を要しただろうか、未だにその残滓を残す電流に筋肉が反応し、細かく痙攣を起こす。
「ハハッ!ざまぁねえぜ、手こずらせやがって」
魔法を放った男(最初にアンネと言葉を交わした男らしかった)がせせら笑う。倒れ伏すアンネに歩み寄り、その腹部に容赦のない蹴りを入れる。
「ぅごふっ」と一気に空気の抜ける音。同時、口に溜まった涎がぼたぼたと零れ落ちる。
激しく咳き込みながら痛みと吐き気に耐える。
それも一時のものでしかなかった。
意識が朦朧として、視界すらもはっきりとしない。誰かが体に触れる感触がしたが、もう体を動かすどころか、目も開けていられない。ほどなくしてアタシの意識は途切れた。
この世界に於いて魔法は誰にでも扱えるわけではない。大きな力を手にするためにはそれに応じた努力が必要不可欠だ。
少しの才能と飽くなき探求心があれば、魔法は使える。
そうやって努力を積み重ねて魔法が使えるようになった者がどうして外道に落ちるのか、ハーネリアスには理解できなかった。今も、分厚い書に目を通し、自分の知的欲求を満たしている。しかし、そんなことをしている最中でも先に述べたことをふと思い出している。なぜと問いかければ答えは返ってくるのだろうか。なぜ、道を踏み外した?なぜ、お前はその生き方を選んだ?
ふぅ、とゆっくり息をついて、ハーネリアスは面を上げ、窓の外に目を向ける。そして静かに呟くのだ。
「カクタス=ゴールド、貴方の様な大魔法使いが、なぜ・・・」
ない、ない!ない!!どこにもない!
銀の丸くて鎖のついた星と月の装飾がある鏡が、どこにもない!
箱の中に入っている態勢だから普通の人より目線は低いから見つけやすい筈なのに、どこにも、それらしいものなんてない。
リリィに聞いて、彼女が通った道は今ので最後、他には寄り道もしていないし、いつの間にかアンネと別れた場所に戻ってきてるし、人通りも全く変わらねえのに太陽の位置だけ変わってきてるし・・・。
「なあ、リリィ、他にどこか行ったりしてない?」
「ううん・・・どこにも」
顎に手を当てて考える。彼女の移動経路を一から整理すると、同じ場所を何度か通っているようだった。まるで、何かから逃げているような・・・。
(走って逃げていたから俺とぶつかった?いや、違う、俺とぶつかったときには目的はすでに探し物にシフトしていた。仮に彼女が探し物をする前、何者かに追われていたとすれば・・・)
「リリィ・・・そのペンダントは本当に君のものなんだな?」
俺の言葉にリリィは何も返さなかった。どうやら裏があるらしい。
それはつまり事態の好転と彼女を追い詰めることの両方を意味する。
「なぁ、教えてごらん?何があった?」
俺は自分でも気持ち悪く思うほど優しい声で問いかける。威圧してしまっては言い出し辛くなってしまうだけだろうから。
それでもリリィは頑なに口を開こうとはしなかった。
「・・・怖いか?怒られるのは」
「ん」と掠れた声が聞こえた。もしかしたらもうその頬を涙が伝っているのかもしれない。
「俺は、怒らないよ、リリィがなにをしてたって怒らない。だから、お父さんや家の人に話す前に、俺に話してみな?」
「友達が・・・」
リリィがポツリと言った。
「友達が欲しいって言ってたの」
「友達が?」
プレゼントだったのだろうか。
「それで、私・・・いけないことだって思ったけど、友達にペンダントをあげたくて、お家からこっそり・・・」
「持ち出したのがばれたんだな?」
かすかに布の擦れる音。たぶん彼女が首を縦に振ったのだろう。
なるほど、彼女は家の人間から逃げていたわけだ。もしかしたら家の人間が拾っている可能性も考えられる。でもそれは彼女にとってあまりうれしい可能性ではない。おそらくリリィはペンダントを自分で回収して、例の友達に届けようと思っているのだろう。その間に俺がワンクッション挟んで、彼女の道を正してやるのが俺の役目だろう。
さて、それはそうと、もう一つの疑問を俺は抱えている。
どうしてペンダントは彼女の手元を離れてしまったのか、ということだ。走っているだけで鎖が切れてしまうとも考えにくい。他にも彼女に何かアクシデントでもなければ、ペンダントを落としたりしないと思うのだが・・・。
「ちょっと、ごめんよ」
「え?」
断りを入れてはいるが、向こうの了解も得ずに俺は失礼だと思いつつも彼女のおなか周りをポンポンと抑えてみる。
「ふえ?お兄ちゃん・・・?」
「あ、いや、服の中に入ってないかと思って」
嘘だけど。
「くすぐったい・・・」
「ごめんごめん、もう済んだよ」
失礼、というか、めちゃくちゃ失礼だとは思うけど、俺は自分の掌を鼻に近づける。
あ、決してそういう趣味があるとかそういうんじゃないぞ、勘違いするなよ?
それはさておき、予想通り、彼女の服はほぼ乾いてはいるが、少し湿っているところがあった。それに最初に出会った時のミルクの匂い。おそらく彼女は牛乳屋とぶつかって牛乳をぶっ被った。(さっきも見かけたが、この世界では牛乳屋が荷車を押して牛乳を売り歩いている)
「たぶん・・・そうだろ?」
横目でちらりとリリィを窺う。帰って来たのは肯定の言葉だった。
「なら、その牛乳屋とぶつかった場所まで案内してくれるな?」
彼女の案内で再び俺は移動を始める。
通りを突き進んで道を右に折れ、そこから今度は左に折れたあたりでぶつかったらしい。その場所をしばらく探せば、道端に積み上げられた樽の影から延びるチェーンを発見した。
「リリィ!あったぞ」
「ほんと!?」
リリィの顔がパッと明るくなる。安心感の満ちた顔だ。俺からペンダントを受け取ると、彼女はそれを大事そうに自分の胸に押し付けた。
「さて、じゃあ今度は君のお屋敷まで案内してくれるかな?」
そういうと、彼女の表情は一変、ばつの悪そうな、決まりの悪い顔になった。
「やっぱり・・・行かなきゃダメ?」
箱から出てペンダントを探していた彼女は箱の淵に手を掛けて、地面に膝をついたまま上目づかいで訪ねてくる。とんでもない破壊力だった(何が破壊されるのかは知らない)が、俺もそれに屈しているわけにはいかない。
「ああ、行かなきゃダメ。お父さんに話をして、ちゃんと許してもらってから渡しに行こう、俺もついていって、一緒に頼んでやるから」
「・・・ほんとに?」
まだ、上目づかい、瞳も潤んでいてそろそろ俺の中で何かが覚醒してもおかしくない頃だったが、ふとアンネの顔が脳裏を横切る。今朝も見た死兆星を感じさせる殺気立った笑顔だ。おかげで俺は覚醒せずに済んだ。
「ああ、だから、すぐに行こう。アンネもきっと俺たちが来るのを待ってるから、アンネにも一緒に頼んでもらおう」
「うん!」
俺とリリィはもう一度歩き始める。
今度は、この町の領主、ゴールド=カクタス。この子の父親の元へ向かって。
目を開けるとそこは湿っぽい石造りの床の上だった。
ここどこだっけ、なんでアタシ、こんなとこに寝て・・・。
そこまで考えて先の光景がフラッシュバックする。
そうだ。アタシあのゴロツキたちにやられて・・・。
手を自然と腰の横の剣の位置までもっていくのは癖のようなもので、特に意識はしていない行為だったが、今回は違和感をひしひしと伝えてきた。いつもあるものが、そこにない。当然、彼らが奪ったのだろう。丁寧にそのままにしておく方がどうかしている。手が縛られていないことにも違和感を覚えるが、縛る必要がないと判断したから縛っていないのだろう。狭い部屋に扉は一つ、窓はあるけど、遥か頭上に光を取り入れるためのもので、とても通れない。
「はぁ・・・やらかしちゃったなぁ・・・」
出るのは深いため息ばかり、なんでこうなるかな。
先の威勢も、正義感も心の強さはどこかに息をひそめて、後にはアンネリーゼという少女の殻を被った弱気な感情だけが残った。
これからどうなるんだろう。
そんな考えばかりが頭の中を支配する。この薄暗い部屋で、おそらく誰も助けに来ないであろう状況下で、最悪の光景を思い浮かべて身震いする。痛めつけられるとか、殺される方がまだましとも思えるほどの、女性として最悪の仕打ちを受けたりしたらどうしよう。
そう考えると目頭すら熱くなってくる。というか、そうなる可能性の方が高いんだから、もう泣いてもいいと思う。
壁を背に部屋の隅に小さくなって膝を立てて座り、両膝に額を付ける。
剣を奪われると同時に強い自分もどこかへ行ってしまった。昔みたいな弱い自分に戻ってしまったようだ。
「ハーネとナターシャ・・・心配するかな・・・」
上を見れば小さな明り取りの窓。まだ外は明るいのに、私の心は暗く冷たい。
膝の上に冷たいしずくが落ちる。それは一粒では止まらない。何粒も何粒も溢れてきて、膝を濡らしていく。
誰か・・・。
「助けてよ・・・リオ・・・」
以前なら、兄の名前を呼んでいたことだろう。この時、兄を差し置いてリオの名前が出てきたことが可笑しくて、首も少し持ち上がった。相変わらず頬は冷たく濡れるが、さっきまでの嫌なイメージはリオがいつの間にか払拭していた。彼と交わした他愛のない会話が心を満たしていく。
初めて会ったとき、リオはアタシに自分は強くないなんて言ってたけど、知らない場所でこんなにも笑顔を見せてくれているんだもの、そんな人が弱いはずないよ。リオ、あんたって自分が思ってるよりずっと勇者に向いてると思う。だから、アタシはもう少しの間、囚われのお姫様気分であんたが颯爽と登場してくれるのを、待つことにするわ。
いつの間にか涙も晴れた。剣はなくとも、心には少しだけど、まだまだ小さいけれど、希望の炎が灯った。もうちょっと頑張ってみるから、あんたも早く、助けに来てよね。