Over The Rainbow
過去作品です。
さっきまで降っていた雨がもうすぐやみそうだ。
ふと思う。世の中というのは、どこが中心なんだろう。
例えば、生きたくないのに生きる人と、死にたくないのに死んでしまう人の中心はどこなんだろうと、時々考えてしまう。
僕は、今年で二十歳になる。
あの頃は望んでいなかった、大人への入り口に立つ。
だけど、一緒に立ちたかった、僕の大切な君は、僕とは反対の世界へと旅立って行ってしまった。
そう、僕のいる位置から、どこかにある中心を軸とした点対称の位置に君はいるのかもしれない。
元気か?
うまくやってるか?
もし二人がその中心に歩いて行く事が出来たのなら、そう声を掛けてあげよう。
もっと気の利いた言葉の方がいいかもしれないけど、君にはそれで十分だろう?
「僕は、君との約束を果たしたい。だけど君はもういない。
それでも僕は、大人になる」
君と出会ったのは、10年前。僕が急性の虫垂炎で手術した翌日だった。
***
「もう大丈夫だからね。オナラが出たら退院できるよ」
先生が僕の頭を撫でながら言ってきたけど、そんな事、みんなの前で言って欲しくなかった。
僕は恥ずかしくて、顔が真っ赤になる。
お母さんがニコニコと笑っていたけど、本心はわからない。
「もういいから!あっち行ってよ!」
そんな我がままも、個室だから許されるのか。
「マーくん、先生になんて事を言うの?」
「まあまあ、マコトくんも急だったから疲れてるんですよ。な、マコトくん」
子供の事は全部知っているような顔をしている大人が嫌いだ。
何も知らないくせに「何でも知っているよ」と勘違いしている事が、僕を冷たい檻の中に閉じ込めてしまうなんてわからないんだろう。
僕は悔しくて、唇を噛んだままそっぽを向いた。
僕が救急車で運ばれ手術を受けたって、顔を出さないお父さんも嫌いだ。
どうせ「盲腸だったら、大丈夫だろ」とか勝手に決め付けてるに違いない。
何が大丈夫なんだろう?
僕は全然大丈夫なんかじゃない。
お父さんが、そうやって何でも自分の都合の良いように決め付けてしまうから、僕は、全然大丈夫じゃない。
***
窓の景色を見ていた。
薄明るくて白い空だけが見えた。
薄く広がった雲が、まるで大きな蛍光灯のように見える。冷たくて寂しい空。
誰かがドアをノックした音が、空洞に響くように僕の胸に響いた。
「あの……マコトくん?……だよね?」
スライド式のドアをスルスルと少しだけ開けて、白い顔を覗かせたのが、君との出会いだった。
「誰?」
「あ、えっと……僕、イシノカエデです」
「……誰?」
「う、うん。さっき廊下を歩いていたら、君の声が聞こえて……そ、それで……
ごめん、邪魔だったよね?僕、戻るよ……」
僕から見たら、信じられないほど気の弱そうな少年だった。
「……入れよ」
「え?いいの?」
「いいから、入れよ!」
僕は不機嫌だった。だから、君も怖がっていた。
今なら、ごめんと謝る事も出来るかもしれないけれど、その時は、そんなに出来た人間じゃなかった。
「君は、なんで入院したの?」
唐突に、なんの脈略もなくそう聞いてくる君に、僕はもっと不機嫌な顔になった。
「不治の病。僕、もうすぐ死ぬんだ」
「え……!?」
おかしかったなあ。僕の適当な嘘に、君は白い顔を、もっと白くしたっけ。
「ご、ごめん……」
「嘘。嘘に決まってんじゃん」
「え?そ、そっかー……びっくりした」
リズムに乗り損ねて、ワンテンポずれて踊っているように、君はいつも佇んでいた。
「僕は、センゴクマコト。不治の病は嘘だけど、もうすぐ死ぬのは本当」
「え!?ど、どうして?」
綺麗な瞳を覆う、少し眠そうな瞼を大きく見開いて、君が心配そうに聞く。
僕は、少しおかしくなって笑いそうになった。
「僕は、大人になりたくない。だから死ぬんだ」
「自殺……するって事?」
「そうだよ。僕はもう直ぐ死ぬ。死んでやる」
何か言いたげだけど、君が何も言わなかったから、僕はどんどん大きな気持ちになっていった。
「だってそうだろ?僕達子供には”遊んでないで勉強しろ”とか、”困るのは自分だぞ”とか偉そうに言ってるくせに、自分達は毎日お酒を飲んで遊んでるんだ。大人になったらみんなそうなるんだ」
君は少しだけ寂しそうな顔で僕を見つめた。
「でも……僕は大人になりたい……」
消え入りそうな声で、少し俯きながら君は、呟いた。
***
入院中、お母さんは毎日来てくれたけど、病院の先生達にペコペコと挨拶し終わると、すぐに帰っていった。
社交ダンスの大会が近いから、忙しいんだろう。
お父さんは僕が入院してから一度も来ない。会社の経営で忙しいんだ。たぶん、今夜も取引先の社長とお酒を飲みに行くか、ゴルフにでも行っているんだろう。
だけど、僕は全然寂しくなかった。
「マコトくん!」
「おー!カエデ!もう大丈夫なの?」
「うん。今日の注射は痛かったけど、もう慣れたから」
君の病気がなんなのかなんて、全然気にしていなかった。
僕が退院して、君が退院して、外で遊ぶ日だけを考えていた。
「今日は、僕の夢手帳を持ってきたんだ」
「”夢手帳”?」
「うん。秘密の手帳だよ。マコトくんにだけ見せてあげる」
君は、僕を病室から連れ出し、院内学級という部屋へ連れて行ってくれた。
そこは、病院の中の学校らしい。
「へぇ……病院の中にも学校なんてあるんだ」
「うん。僕は小さい頃からずっとここにいるんだ」
「小さい頃から?」
「あ……う、ううん……うん……」
病院内の学校に驚いた僕に、君は自慢げに話したけれど、その意味がどういうことか気付いた時、僕も君も言葉を失った。
「ひ、秘密の手帳みせてよ!」
気まずいと思って、僕は何も気付かなかったフリをして話を切り替えた。
まるで、大人達のように……
--絵描きになる。
でも、僕は絵が下手だから難しいかもしれない
--医者になる。
病院の先生は、いつも僕を励ましてくれてかっこいい。
いっぱい勉強しなくちゃ
--サッカー選手になる
テレビでみたワールドカップの選手達はかっこよかった。
僕は体が弱いけど、病気を治してトレーニングしたい。
--パイロットになる。
空を飛ぶ飛行機を窓から見てると、僕もあの飛行機に乗りたくなる。
数え切れない程の夢が、綺麗な絵と共に描かれている。
それは君が思い描いた未来の手帳だった。
「なんだよ、普通の夢ばっかり」
「そうかな……ごめんね……」
でも、君は夢を持っているだけ、すごいとも思った。
なぜなら、僕は夢を持っていなかったから。
「これ、なんだろ?」
何ページも捲った先に、今までの夢とは少し違った絵が描かれていた。
そして、
--虹を超えたい
と、ただそれだけの文。
「あ、……ま、前に本で読んで、そ、それで思いついたんだ」
照れくさそうに言う、君の顔が優しかった。
「マコトくんは虹をみたことある?」
「うん」
「そっか……いいなあ」
「カエデはないの?」
「……うん」
そう言って、また寂しそうな顔をする。
「今度見に行こう。雨が降ったあと、天気が良くなれば必ず見えるよ」
「ほんとに!?」
虹なんていつでも見える。
別に不思議な事でも珍しいことでもないんだから。
***
やがて、僕の退院の日が来た。
でも、カエデはまだ退院できない。たぶん……この先、ずっと退院できないかもしれないと何となく考えてしまっては、首を横に振って一生懸命に他の事を考えた。
「退院しても、遊びにくるからな」
「ほんとに!?」
それは、僕たちの約束だった。
学校が終わると、毎日病院に通った。
塾をサボって、サッカーのクラブをサボって。
時々、「治療中」で会えない事もあったけど、それでも毎日、カエデに会いに行った。
そんな日々が数ヶ月続いたけど、ある日からカエデに全く会えなくなってしまったんだ。
僕は退院したんじゃないかとドキドキしたけど、違かった。
カエデは、意識を無くし集中治療室に入った。
それは、僕がカエデのお母さんを見つけて、教えてもらったこと。
カエデのお母さんは、笑顔を作って僕と接してくれたけど、すぐに涙をポロポロと零し始めた。
不治の病なのはカエデだったんだ。
「マコトくん……毎日ありがとうね。カエデはいつもマコトくんのお話ばかりしてたのよ。
本当にマコトくんの事が好きだったのよ。」
僕は、どうしていいかわからず、ずっと俯いていた。
「マコトくん。これからもカエデの事、忘れないでね……」
「いやだ!」
「マコトくん……」
嫌だ!嫌だ!嫌だ!!
僕はカエデの事を忘れてしまう。
元気だったカエデの事を忘れてしまうんだ。
気がついたら、カエデのお母さんが僕を抱きしめていた。
僕は、大声で泣き続けた。
***
あの後、しばらくして僕はカエデのお母さんから手帳を渡された。
わざわざ、僕の家を見つけて届けに来てくれたんだ。
「カエデが、どうしてもここに書いてある事、マコトくんに叶えて欲しいって」
手帳には、本当ならカエデが叶えなくてはならない夢が書いてある。
だけど、もうそれは無理なんだ。
だから、カエデのお母さんは僕の所に来た。
僕はお礼も言わず、ただボーっとカエデのお母さんを見ていた。
カエデのお母さんもずいぶんとやつれてしまったように感じた。
それで分かったんだ。
もう、一生会うことはないんだって。
”夢手帳”の頁を捲る。
普通の夢の後、あの虹を越えたいという夢。そして最後のページを見たとき、僕は胸が苦しくなった。
--生きたい
カエデは大人になれなかった。
僕は悔しくて悔しくて、ずっと涙が止まらなかった。
***
雨が止んだ。
雨雲が遠くへと去って行く。
夕日がその雨雲を追って、光を放つ。
七色の虹が上から少しずつ現れ始めた。
いつか越えられるよ。
虹が、僕たちの中心にある。
そして虹の先に、君がいるような気がする。
虹を越えて、また会おう。
その日まで、僕は精一杯生き続ける。
僕は君と一緒に大人になれなかった。
僕の夢は叶えられなかったけど、僕は君の夢を叶えたい。
ありがとうございました。




