第11話 (サイドA)
彼が避暑にきてもうすぐ1か月が過ぎようとしている。
いつ彼は王都に戻ることになるのだろう。
時々、会うことはあるのに、いつ戻るのかを尋ねることができないでいた。
「そろそろ王都に戻ろうと思っています」
彼の言葉に、とうとう、と思った。
彼が、目の前でカップを手の受け皿の上へ載せる。
ゆっくり息をはき、落ち着いた口調であるように気を付けながら、口を開く。
「そうですか。寂しくなります」
「ナファバルアー嬢は、王都へ戻られないのですか?」
彼の”戻る”という言葉に苦笑する。
王都へ”行く”ことはあっても、もう戻る場所はここなのだから。
「王宮へご挨拶には行くでしょうが、社交界に出る気はありませんし」
王都へ戻る気がないことが、私の言葉で知れたのだろう。
彼の視線が自分を見ているのがわかる。
顔を上げず、膝の上に持っているカップの中で揺れるお茶を見つめる。
「まだ、お若いのですから、もう一度社交界へ出られては?」
彼が、静かな声で、そう言った。
彼の言葉の真意はわからない。
でも、私の望むものとは違うだろう。
彼の目を見つめ返し、答えた。
「もう社交界へ出たいとは思いません。ここで、静かに暮らしていく方が、私には似合っていると思います」
「ここでは…」
言葉を詰まらせている彼。
何の言葉が続くのだろうか。
だが、私を見つめたまま、彼はその後を口にしない。
言いにくい言葉なのか、言いたくない言葉なのか。
「私は、あなたが好きです」
ほろりと私の口からこぼれ出た言葉。
彼は目を見開いて、私を見ている。
しばらくの沈黙のあと、彼は私から目を逸らした。
「俺では、あなたに相応しくない」
「それが、あなたのお気持ちなのですね?」
目を逸らせたまま、何も言わず、動かない彼。
それが、彼の答えなのだ。
告白は1度きり。
断られたら、彼から離れる。
彼に感情を押し付けたりしないように。
もう、終わったのだから。
言いたくない言葉を、口にする。
「ごめんなさい。今の言葉は忘れてください。親切にしていただいたのに、いつも困らせてばかりで、ほんとに、ごめ、なさ」
涙が零れて、もう言葉が続かない。
顔を伏せ立ち上がる。
鼻水まで出てきた。
みっともない。
手で涙を拭き、歯を食いしばる。
目をパチパチさせ、なんとかこれ以上泣かないようにしながら、足早にドアに向かう。
ここにいたら、彼の前で大泣きしそうだった。
彼の前では泣いてばかりだから。
前とは違って大人になったと、せめて、そう、思われたい。
ドアまで後数歩というところで、後ろから腕が回され、前に進めなくなる。
背後から抱きしめられているのだ。
彼は、私の頭の上に頬をのせて。
「あなたは、俺には手の届かない人だ。あなたが幸せなら、それだけでいいと思って」
彼が言葉を詰まらせる。
背中に、まわされた腕に、彼を感じながら。
沈黙のなか、息を詰めて、その先の言葉を待つ。
一瞬のような、ひどく長い時間のような。
「愛してる」
聞こえてきたのは、ずっと待ち望んだ言葉だった。
ため息とともに、新たな涙が溢れる。
力が抜け、膝が折れそうになる。が、気付いた彼が、後ろから腕に力を込め抱き込んだ。
聞き間違いだったら、もしも私が無理に言わせたのなら、いろんな思いが錯綜する。
彼の顔を見ることもできず、私を支える彼の腕を握りしめながら。
「ほんと、ね?」
小さな声で問いかける。
「本当に。あなたを愛している」
ううう~ぅっ。
何か言おうとして言葉にならず、うめき声になる。
涙が止まらなくなり、結局、そのまま大泣きしてしまった。
前と変わらず、子供のように。
彼の腕の中で宥めてもらいながら「結婚しよう」と言ってくれるのに、うなずくことしかできなかった。