パピーと父
お母さん視点で、昔の話です。
お父さんはとても良い父親だった。
仕事が忙しい時以外は家に早く帰って来て、勉強を教えてくれた。
日曜日は当然家族サービス。
毎週毎週、家族でドライブに行った。
お父さんは戦後すぐの生まれだが、男尊女卑することなく、お母さんを敬っていたし、愛していたんだと思う。
私はとても幸せな子供だった。
家に帰ったら優しいお母さんがいて、怒ると恐いけど頼りになるお父さんがいて。
一人っ子だったこともあって、本当に大事にされて育った。
けれど大きくなるにつれ、家族を窮屈に思うようになった。
沢山の恩に気がつかず、早く家を出たいと思っていた。
大学生になって、私は家を出た。
全然家に帰らず、就職先も両親に相談せず決め、知り合った今の夫と結婚することに決めた。
結婚式を控えて、実家に戻ったとき、お父さんは変わってしまっていた。
毎日毎日、何処かに遊びに行き、帰ってくるのは夜遅く。
仕事の日は毎晩呑みに行って、帰って来ない。
最初、その変貌は私の所為だと思った。
一人娘がフラフラしているから、ストレスが溜まって気が変になってしまったんじゃないかと思った。
それぐらい衝撃的だったのだ。父の変貌が。
けれど、違った。
それは結婚式の前の晩。
お父さんに泣いて謝ったときのこと。
私とお母さんはお父さんの帰りを待っていた。
こんな大事な日なんだから今日は外に出ないだろうと思っていたお父さんが、お母さんの制止を振り切って、遊びに行ったまま帰って来ないからだ。
「遅いわね」
アルバムを見ていたお母さんが時計を見て呟いた。
時間は22時。
チクタクと時間を刻む針の音が聞こえるほど、静かな夜。
「今日は仕事の後輩と桜を見に行くって言ってたけど」
お父さんは、毎日友達と会う約束をしている。
「まさか夜桜まで楽しんでいるのね」
お母さんはタメ息を吐いた。
私はいたたまれなくなった。
明日は私の結婚式。
隆久を紹介したときは歓迎してくれたが、本当は結婚を反対しているのかもしれない。
私が家に帰ってから毎日、外に出るのは抗議の印か。
「お母さん、お父さんは私の結婚に反対しているの?」
「そんなことないわ、隆久さん、とってもいい人じゃない」
私の夫とは合コンで出合った。背が高くて、顔も良くて、何より穏やかな人だ。
「でも、お父さんは認めてないんじゃないの?
私が帰ってから、全然顔を合わせようとはしないじゃない」
お母さんは考えるように目を瞑った。
「あなたには言わなくてもいい話だと思っていたんだけど。
一息おいてお母さんは言った。
「お父さんが毎日毎日、外出しているのはね、お友達が死んでからなの。
私とお父さんの友人で、お父さんの幼馴染の方が、二年前に亡くなってね。
それからは毎日色んな知り合いに会いに行ってるみたい」
お母さんは入社した会社で、お父さんと知り合った。
お母さんは受付譲。お父さんは販売員。大きくも小さくもない会社だったから、顔は知っていた。
お父さんに声を掛けられて親しくなり、友達を紹介された。
それが亡くなったお父さんの幼馴染。
「三人でよく遊んだわ。会社の帰りに花火を見に行ったりね。」
三人で遊ぶうち、お父さんとお母さんは付き合うようになった。
「それからは私が紹介した後輩の子と四人でいるようになって。
めでたく、お互い上手くいって、結婚して。
結婚してからはあまり会わなくなっちゃって、疎遠になってたのよ」
でも、話したことはお父さんには内緒よ。そうお母さんは言った。
「余り触れられたくない話題みたい。とても大切な友達だったから」
お父さんは大切な友人を亡くして、寂しくなってしまったのだろうか。
だから毎日誰彼構わず遊んでいるのだろうか。
やっぱり、私が家にいなかったから?
「あら、泣かないの!」
私はいつの間にか泣いていた。
お父さんが可哀想で、側に居てあげなかった自分が許せなくて。
お父さんが帰ってきた。日にちは結婚式当日になっていた。
「そう言えば、そうよ」
私は実家で犬を飼ったことを聞いて、見に行った。
変な名前の真っ黒い子犬を見ながら、思い出していた。
「私の結婚式の前の日、お父さん呑んだくれてベロベロになって帰ってきて!」
「そうだったけか」
お父さんはとぼけていたが、お母さんはクスクス笑って
「そうですよ」
と言った。
娘の春子がそっと子犬の尻尾を触っている。
さっきまでお母さんに犬のことを色々聞いていたが、質問するのに飽きたのだろう。
息子の隆は果敢に子犬の口元を触っては、甘噛みされてイテーイテーとはしゃいでいる。
二人は走り出した子犬を追ってリビングから出て行った。
「変なもの食べさせちゃダメよー」
私は二人の背中に言った。
思えばあれから随分時間が経ったようだ。
私に子供だ出来ている。二人も!
「お父さん、幸せ?」
私はお母さんが台所に立ったのを見計らい、お父さんに聞いてみた。
「俺か? まあまあ幸せだよ」
お父さんはお爺さんらしく「うんうん。幸せですよー」と言い直した。
「まだ、毎日遊んでいるんでしょ」
私はずっと聞きたかったことを聞いた。
お父さん、孫が二人も出来て、もう寂しくないでしょ。
「なんで?」
「何でってそりゃあ」
お父さんは珍しく口を濁した。
「お友達が亡くなってからって聞いたよ。
寂しかったんじゃないの?」
お父さんは「違うよ」と言った。
お母さんがお茶のおかわりを持ってきて座った。
「そうじゃねーよ。アイツが死んで、何も出来なかったことを後悔したんだよ。
もう後悔しないように、ダチ作ったら、時々会うようにしてる」
後から聞いた話、お父さんの幼馴染は借金を苦に自殺した
らしい。
私は何も言えなくなってしまった。
お父さんはいつか、いなくなってしまう友達を大切にしようとしている。
でもその所為でお母さんは毎日家に一人ぼっちだ。
「お母さんは寂しくないの?」
「前は寂しい時があったけど、今はハズバンドがいるから」
お母さんはいつもお茶で手を温めながら、笑っていた。
「お母さんにとっての『ハズバンド』なんでしょ」
「あの犬か?」
「そうよ」お母さんが力強く答える。
私は想像した。
きっとお父さんは昔のようにお母さんを想ってる。
お母さんが寂しくならないよう犬を飼ったのかな。
だったら自分が側にいてあげればいいのに。不器用なんだから。
「だったら私のパピーだ。この犬は」
いつの間にか机の下に隠れていた子犬。
春子と隆が、二階で子犬を探している声が聞こえた。
「お前まで俺を認めないつもりか」
お父さんが呆れて言った。
私はニコリと笑って
「お父さんって意味のパピーじゃなくて、子犬って意味だもん」
と言ってやった。
お父さんは苦く笑ってから
「そう言えばお前も酔っ払ってたじゃないか」
と思い出すように言った。
「そうでしたね」
お母さんが言う。
「ほら、結婚式の前の日。お父さんが遅くに帰ってきて」
そうだった。
私は帰ってきたお父さんに負けないくらいデロデロに酔って、
泣いて謝ったんだった。
記憶が鮮やかに蘇って、あの時の二日酔いまで思い出し、頭が少し痛くなった。
「結婚式、頭、痛い痛いって大変だったじゃないの」
「ホント。新婦の顔が真っ青なんて、親としてかっこ悪かったなぁ」
親不孝でごめんなさい。ごめんなさい。私、幸せになるから。
そう言って、酔っているお父さんに泣いて謝ったんだ。
懐かしくて恥ずかしい。
でもお父さんは言った。
「俺が反対しても子供は生まれるんだろう。反対なんて出来ないさ」
酔っ払って歌うように言った。
「幸せになれよ、一人娘。大事にしろよ、腹の娘」
「そうだっけ」
私は惚けた。
お母さんが「しょうがないわねえ」と笑った。
あの時と同じように。
読んでくださってありがとうございます。
時間軸が分かり難く、また今回の主人公も前回と違っていたので、読み難かったと思います。
最初はお母さんの結婚式の前日の回想。
それからおばあちゃんがハズバンドを飼って、初めて娘と孫がハズバンドに会うシーンです。(一話にちょこっと出てた所です)
次回はまた孫の春子視点になります。
ありがとうございました。
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