ハズバンドと祖父
ハズバンドはとてもおじいちゃんに懐いていた。
ハズバンドはおじいちゃんの姿を見ると、ワンワン吠えて尻尾をブンブン振って飛びついた。
本当に二人は信頼し合ってるようだった。
そんなことはなかった。そのことに気がついたのは、高校三年の秋だった。
「ねえ、おばあちゃんに柿を届けてくれない?」
その日は休日だった。
私は昼過ぎに起きて、昼ご飯になってしまったタコライスを食べていた。
最近勉強ばかりで部屋にこもりっきりの娘の気晴らしのつもりか、それとも最近私が全然遊びに行ってないので寂しがっているおばあちゃんに気をつかってか。
お母さんは起きぬけの私に手を合わせた。
「んー。いいけど」
大学受験生の私は高校三年の夏休みが終わり、やっと勉強にやる気を出したところだった。
そしてやる気を出したはいいが、山積みにされた問題集に飽きてきたところだった。
「わー、ありがとう! 友達から沢山柿が送られてきたのよ」
お母さんは手を叩いて大げさに喜び、玄関に放置してあったダンボールを取りに行った。
Lサイズのダンボールの中身はぎっしりと詰まった柿。
私の家を何人家族だと思っているのだろう。
お母さんはイソイソと柿の仕分けを始めた。
お隣さんとお向かいさんには4個ずつ……ブツブツ言っているのが聞こえる。
私は目玉焼きの黄身をフォークで突きながら言った。
「ついでにおばあちゃんンちにも渡してくればいいのに」
お母さんは私やおばあちゃんに気を利かせてくれているのだろう。
そう分かっていた私の意地悪のつもりだ。
ところがお母さんの返事はとても的外れなものだった。
「だって私、お母さんと電話でケンカしちゃったの。気まずいじゃない」
「あら、いらっしゃい。わざわざありがとうね」
両手いっぱいに柿を抱えた私は、ドアを開けることが出来なかった。
おばあちゃんの家は数え切れない程行ってるのに、インターホンは数回しか押したことがない私だが、しょうがないので押した。
おばあちゃんはびっくりしたようだったが、柿の入った袋を見せると納得したようで、快く迎え入れてくれた。
玄関に入るとハズバンドがのっそりとやってきた。
私の顔を見て尻尾をパタパタ振った。
「ハズバンド、久しぶりだねー! 二週間振りぐらい?」
私がハズバンドの頭を撫でると、ハズバンドはフガフガと柿の入った袋を嗅ぎ、フンっと鳴いて居間に戻ってしまった。
「あれー、ハズバンド柿嫌いなのかなー」
おばあちゃんにそう言うと、
「ハズバンドは食べたことがないんだろうなー」
と奥の方で声がした。
おばあちゃんの声ではない。
私は一瞬、ほんとーに、誰の声だか分からなかった。
おばあちゃんの家には何十回、何百回、数え切れない程行っているのに、その声をおばあちゃんンちで聞くのは正月だけだ。
今年の正月、家族で新年の挨拶でここに来て以来、十ヶ月振りに見たおじいちゃんは元気そうだった。
「お・おじいちゃん! 何でいるのー!?」
私はおじいちゃんと、おじいちゃんにピッタリと寄り添ったハズバンドを見比べながら聞いた。
「そらぁ、いるさ。ここは俺の家だぞ」
おじいちゃんは何でそんな質問されるのか分からない、と言う顔だ。
私は台所の隅に柿を置くと、急いでおじいちゃんの前に座った。
綺麗に磨かれた低いテーブルの上には、コスモス小さい花瓶にが活けてある。
「だっておじいちゃん、いつも家にいないじゃん」
いちゃ悪いか、と言ったおじいちゃんの横でハズバンドが「ブー」と鼻を鳴らした。
台所に立っているおばあちゃんが、フフッと笑って
「今日は佐々木さんと会う予定だったんだけど、佐々木さん、突然入院されてね。
お父さん暇になっちゃったのよ」
と教えてくれた。
佐々木さんは私も知っている。おじいちゃんの会社の同僚だった人だ。
おじいちゃんのお兄さんが一昨年亡くなったときにはお葬式にも出てくれた。
「佐々木さん、大丈夫なの?」
私が心配して言うと
「自分ンちの階段から二三段滑っただけで、足にヒビが入ったんだとよ。
日頃から運動してねーからだ」
とおじいちゃんは眉を寄せた。
「年を取ると体が動かなくなりますもの」
おばあちゃんがそう言いながら、剥いた柿を山盛り持ってきてくれた。
「そういう事じゃねーよ。意識して動けば歳くっても、元気でいられるっつーことだ」
おじいちゃんはフォークを無視して四等分してある柿をひとつ掴むと、ガブリと豪快に齧った。
「おじいちゃんは元気過ぎだよ」
おじいちゃんはいきなりすっくと立って言った。
「よし! 散歩行くぞ」
ハズバンドがウォンと鳴いた。
私はおじいちゃんの横を歩く。
私とおじちゃんの間には、リードを付けられたハズバンドがアスファルトをフガフガと嗅ぎながら歩いている。
おじいちゃんが無謀にも、片二時間は掛かる「海まで行くぞ!」と言ったので、私達二人と一匹はのんびりと歩き続けている。
会話が続かない。
一年に一度しか会わないおじいちゃんと何を話したらいいのだろう。
「勉強はどうだ」とおじいちゃん。
「まあまあ」と私。
「部活はやってるか」とおじいちゃん。
「もう引退したって」と私。
時々ハズバンドも「バフッ」と会話に入ってくれるが盛り上がらない。
それでも、暖かい気候とさわやかな風に吹かれて、ま・いいかーと私は歩く。
時々おじいちゃんの顔を見上げるハズバンドに気がついた。
よっぽどおじいちゃんに懐いているようだ。
「何で、ハズバンドはおじいちゃんに懐いているの?」
私は少し前を歩くハズバンドに聞いた。
「そりゃあ、飼い主には懐くだろう」
おじいちゃんが言った。
「それに、売れ残って値引きされたコイツを選んだのは俺なんだぞ
俺は保健所送りにされるところだったコイツを救ったんだ」
私は知っている。
ハズバンドを選んだのはおばあちゃんで、ハズバンドは値下げどころかペットショップに来たばっかり子犬だった。
いつだったか、おばあちゃんに聞いたのだ。
「うそつき」
「あれ。違ったっけ」
ワザとらしく「いい天気だなー」と空を見上げるおじいちゃんを、ハズバンドはやっぱりチラチラ見上げていた。
しかし道は長かった。
一時間程歩いたところで、ハズバンドがハアハア言い始めた。
私も足がだるくなってきた。
休憩しようよ、とおじいちゃんに言おうとした時、ケータイが鳴った。
私のではなく、おじいちゃんのだ。
「いつの間にケータイ買ったの?」
私は慣れた手つきで電話にでるおじいちゃんに驚いた。
ハズバンドが目をキラキラさせておじいちゃんを見上げる。
尻尾をブンブン振り回していた。
「悪い。俺は帰る」
楽しそうに電話を終えた後で、おじいちゃんが言った。
「え、何で?」
「急用が出来た。すまん。少しだけだが、これで何か食べろ」
そう言って千円くれたおじいちゃんはタクシーを捕まえると、去っていった。
走っていくタクシーに向って、ハズバンドがワンワン吠える。
もっと怒れ! ハズバンド!!
電話から聞こえた声は「これから呑みに行かないか」で明らかに遊びの誘いだし
おじいちゃんのケータイは私のより新しいモデルだった。
「おじいちゃんのバカー!」
私は小さくなって見えなくなったタクシーに向って、小声で呟いた。
一時間後、私とハズバンドは海にいた。
「海だよー、ハズバンド」
ハズバンドは海に向って二三回尻尾を振った。
「随分遠くまで来ちゃったねー」
潮風はベタベタと髪に纏わりついたが、意外に大きな波の音が私は好きだ。
「走るかー!」
リードを外したハズバンドは波打ち際をすれすれに走った。
私はハズバンドを追いかけて靴下まで濡れた。
季節は秋で、潮風が寒くて、私とハズバンドはくしゃみをした。
髪がバリバリになるまで遊んで、コンビニで買ってきたミネラルウォーターを二人で飲んだ。
海を後にしたのは、海に夕日が沈む頃。
落ちる夕日と競争するように帰った。
「さささささ寒い~」
私は凍えながら、おばあちゃんの家に帰ってきた。
さすがに砂だらけなので、玄関でおばあちゃんを呼んだら、すぐにお風呂に入らせてもらった。
ハズバンドと一緒に。
ハズバンドはシャワーが嫌いなのか、シャワーにワンワン噛み付こうとする。
「おばあちゃん、何でハズバンドはおじいちゃんに懐いているの?」
やっとのことでハズバンドを洗って、風呂から出し、私は湯船に浸かりながら聞いた。
脱衣所ではハズバンドがおばあちゃんに拭いてもらっている。
「フフフ。おじいちゃんはねぇ、ところ構わずハズバンドにおやつをあげるから」
ハズバンドがブルブルと水を切った。
「コラっハズ!」
と言うおばあちゃんの悲鳴が聞こえた。
おじいちゃんはいつも自分勝手だった。
自分が友達と遊びに行きたいと思うと、あばあちゃんの事なんかそっちのけで、孫の私にだって全然気を遣わなかった。
私はずっと、おじいちゃんは自分勝手な人なんだと思ってた。
おじいちゃんが死ぬまで、ずっと。
読んでくださってありがとうございます。
一話がとても長く、書いてる私ですら飽きてしまいそうです…
でも(今回は)最後まできっちりと考えてあるので、大丈夫です!
……大丈夫かな
問題点の指摘、ございましたらお願いします。