殿下、それは残当です
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小雨が降る深夜の王城。
ランタンの光だけがぼんやりと差す地下牢。その一つに、ついさっき廃嫡されたばかりの元第一王子アントニーが収監されていた。
いつもは綺麗に整えられた金色の髪は乱れ、質素なシャツとスラックス姿はとても先ほどまで王子だったとは思えない。項垂れるアントニーの耳に雨音以外の音が聞こえてきた。
「面会は一時間だけです」
「ありがとう、ダビド」
聞き慣れたその声にアントニーは慌てて這いつくばり、鉄格子にしがみついた。
「ミシェル!」
「ごきげんよう。王子殿下……いえ、アントニー様」
「殿下と呼べ」
ミシェル・デュプレシ公爵令嬢は、元第一王子アントニーに軽く礼の姿勢を取った。今まで見せていたディープ・カーテシーとは違い、わずかに膝を落とすだけの礼に、アントニーの表情が曇る。
しかし、すぐにアントニーはミシェルに鉄格子の隙間から手を伸ばした。
「来てくれたのか、ミシェル。さすがは俺の婚約者だ! 父上……国王も宰相も貴族議員たちも、何か勘違いをしているんだ。きちんと話せば誤解は晴れる。ミシェルから伝えてはくれないか!」
目を輝かせ、まるで地獄に差す一筋の光明を見つけたかのようなアントニー。その手を避けるように、ミシェルは鉄格子の手前で足を止めた。
「殿下が幽閉されたと聞いて、先ほど陛下にお会いして参りました。その場でアントニー様の廃嫡と……」
「そこまで話が決まっているのかっ!?」
「一通り陛下から説明は受けましたが、殿下からも伺いたくて参りました。陛下が勘違いされているというのは、本当でしょうか?」
「そうだ! 俺は悪くない。もうすぐ王太子になる俺が、なぜ幽閉されるのか理解に苦しむ!」
ミシェルが見る限り、アントニーは嘘は言っていない。まるで、自分がしたことが間違っていないかのように自信満々に言い切っていた。
「アリスとかいう聖女の件だよな? あんなことで幽閉されるとは」
「聖女アリス様ですか?」
ミシェルが思わず聞き返す。アントニーは力強く頷いた。
「あの女……聖女に良かれと思ってしてやったことを。俺は、嵌められたのかもしれない」
アントニーが悲しそうに俯いた。ミシェルは、芝居がかったその顔を黙って見つめた。
二年前。過去にない疫病に見舞われた王国。国王は仕方なく、禁断の書を開き「聖女召喚の儀」を行うことにした。そして召喚されたのが、聖女アリスであった。
まだ十四歳だというアリスは、戸惑い泣き喚いた。その身を預かり宥め寄り添ったのが、オコボ伯爵家だった。伯爵家の献身により心を開いたアリスは、間もなく聖女としての力を発揮した。疫病を治めるだけでなく、治癒や浄化にも尽力した。
特にアリスの心の支えになったのが嫡男のマキシムで、二人はアリスが十六歳、マキシムが十七歳を迎えた今年、婚約を結んだ。
「嵌められたとは、一体何があったのですか」
アントニーは答えに詰まった。
「聖女様が召喚された日。殿下は、泣き叫ぶアリス様に冷たかった……それが原因ですか?」
「確かに、泣き喚くだけで浄化のひとつもしない聖女を鬱陶しく思ったが、違う」
「鬱陶しいって。聖女様はあの時、まだ十四歳だったのですよ」
悪魔を見るような目でアントニーを見るミシェルに、アントニーは慌てて弁解した。
「今は違う! 婚約の報告に来た時、久しぶりに会った聖女は見違えていた! 十四歳だった聖女は十六歳になり、天真爛漫な笑顔が……その……」
「何ですか、赤くなって。気味が悪い……」
頬を染めて少し俯いたアントニーに、ミシェルが小声で呟いた。アントニーには最後の言葉が聞こえなかったようだ。
「『天真爛漫な笑顔だな』そう思われたから、殿下は今、幽閉されているのですか?」
「それは違うと思う」
首を傾げるミシェルに、アントニーは小さな声で答えた。
「聖女の婚約者、オコボ伯爵家の嫡男が辺境の前線に行くことになったと聞いた。寂しい思いをしていると思って、慰めてやろうと思ったんだ」
ミシェルは目を見開いた。
「仕方がないだろう! 婚約者の不在で心神耗弱になり、あんなに可愛い笑顔を見せなくなったんだ」
「それで?」
「それで慰めようと……聖女が一人で祈りを捧げている教会に忍び込んだ」
「……」
「勘違いするな! 結局、手も握っていない。聖女の悲鳴を聞いて、控えていた使用人が飛び込んで来たんだ」
「聖女様に悲鳴を上げさせるなんて、何をしようと思われたのですか」
アントニーは黙り込んだ。呆れたようにアントニーを見ていたミシェルだったが、ふと何かに気がついた。
「オコボ伯爵家は代々文官のお家柄。その嫡男であるマキシム様が、前線に出立されたというのは不思議です……」
頬に手を当てて考え込んだミシェルに、アントニーが悪びれずに言った。
「俺が命を下した。父上が不在の隙に」
「は?」
「悪気はない。聖女のためになると思っただけだ。聖女も難しい本ばかり読んでいる男より、鍛えている男の方が好みだろう」
「……婚約者を排除して、聖女様をどうしようと思われたのですか」
ミシェルが冷たい声で問う。一瞬言い淀んだアントニーだったが、すぐに開き直ったような笑顔をミシェルに見せた。
「あんなに悲しむとは思わなかった。だから俺は、慰めてやろうと思っただけだ」
「そんな貧弱なお体で……」
剣術嫌いで訓練を怠っているアントニーは、自分の細さを自覚しているのか、今度は顔を怒りで赤く染めた。
本当に気持ち悪い……ミシェルは口の中で呟いた。
「まぁ、聖女に勘違いさせた俺にも悪いところはあった。それにしては、廃嫡と幽閉は罪が重くないか?」
アントニーは悪びれた様子はない。ミシェルは反論しようとしたが、言葉を飲み込んだ。
「確かにそうですね。せいぜい、鞭打ちかと」
「そうだろう! だから、ミシェルからも父上に……」
「原因は他にあるのでは?」
ミシェルの言葉を受け、アントニーは腕を組んで目を閉じた。考え込んでいるアントニーの口が開くのを、ミシェルはただ黙って待った。
「心当たりがまったくない」
やっと出た言葉を聞き、ミシェルはため息を吐いた。
「オドレー・ピエール侯爵令嬢とは?」
アントニーの肩が揺れた。
「陛下のお話にオドレー様の名前が……」
「ははっ。あ、あれは遊びだよ!」
アントニーが不自然に笑い出した。
「遊び?」
「そう、遊びにもならない。ミシェルが気にすることではないよ」
ピエール侯爵家三女のオドレーは、最後までミシェルと共に、アントニーの婚約者候補の名前が上がっていた。選ばれたのはミシェルだったが、それ以降、アントニーとオドレーに接点はない。
「オドレーに嵌められたんだ……」
まるで自分が被害者のように、アントニーが大袈裟に頭を抱えた。
「オドレーから手紙が届いたことがあった。婚約が決まったので最後の思い出にお会いしたいと。一年ほど前の話だ」
アントニーは何やら思い出しながら話した。しかし、その口元にわずかに笑みが浮かんでいるのをミシェルは見逃さなかった。
「思い出の一つぐらい作ってやってもと思っただけだ。オドレーは私の婚約者になれなかったんだから、可哀想だろう」
「お優しいことで」
ミシェルの嫌味を受けたアントニーはニヤリと口角を上げた。
「何だ。嫉妬しているのか」
「殿下の仰る嫉妬と、私の知っている嫉妬は違うようです」
「可愛いところがあるじゃないか」
「牢屋の中で格好をつけられましても」
ミシェルは顔色ひとつ変えない。アントニーは、それを強がっていると解釈していた。
「しかし、オドレーとのあれこれは一年ほど前の出来事だ。それが廃嫡の原因になるとは到底思えない」
首を傾げるアントニーに、ミシェルは一歩だけ歩み寄った。
「殿下」
「何だ」
「それです」
ミシェルは納得したような表情を浮かべた。対してアントニーは疑問しかない。
「理由を言え!」
「殿下はオドレー様の嫁ぎ先をご存知で?」
「たしか、近隣国のベルジュ皇国の皇太子だったか。停戦の証として婚姻が結ばれたと記憶している」
「ええ。皇族も皇国民も、黒い髪に黒い瞳を持つ、あの国です」
ミシェルは深刻そうに頷いた。
「赤い髪に赤い瞳を持つオドレー様は、先日、皇太子様との間に第一皇女をご出産されました」
「ほう……。それはめでたいが、何か関係あるのか?」
ミシェルはアントニーの青い瞳から目を逸らさずに続けた。
「皇女の髪は殿下と同じ金色で……」
アントニーがごくりと喉を鳴らした。
「皇女の瞳の色は……殿下が代々引き継がれた、そのロイヤルブルーだったそうです」
「な!? そんなのは偶然だ!」
アントニーがミシェルを怒鳴りつける。ミシェルは少しも動じずに続けた。
「陛下も、初めはそのようにお考えになりました」
「そ、そうだろう! 当たり前だ」
「オドレー様がお認めになるまでは」
「!?」
アントニーは驚きのあまり鉄格子から一歩、また一歩と退いた。
その様子を、ミシェルが憐れみのこもった目で見つめた。
「俺の、この処分は……」
掠れた声を絞り出したアントニーに、ミシェルは言った。
「それが原因でしょうね」
停戦のために両国が結んだ婚姻。送られてきた花嫁が、相手国の第一王子の色を持つ子を産んだ……。
この事実は、とても重い罪となるだろう。
「停戦のために嫁いだ皇太子妃が、かつて敵国だった我が国の第一王子の子を産んだのですよ」
「それが、どうかした……あっ」
ことの重大さに気づいたのか、アントニーの顔から血の気が引いていく。
「国王陛下は我が国の陰謀だと思われる前に、第一王子である殿下をいち早く切り捨てられた。殿下個人の愚行として処理されることで、ベルジュ皇国との停戦を守ろうとお考えになったのでしょう。実際、個人の愚行ですし」
そんなアントニーを見つめたまま、ミシェルが眉ひとつ動かさずに言い切った。
「違う、違う! あれはオドレーが言い出したことだ。俺は何も悪くないっ」
アントニーは鉄格子を掴むと、力いっぱい揺さぶりながら叫んだ。
「殿下は何も悪くないと?」
「ああ。頼まれたから情けをかけてやっただけ。そうだ、俺はオドレーとベルジュ皇国に謀られたのだ!」
アントニーは唾を飛ばして必死に弁明する。
「実は、オドレーはミシェルを忌々しく思っていたんだ。俺は、ベッドの上で何度も聞いた。王太子妃争いに負けたのが悔しかったと」
何度も……。ミシェルが小さく呟いた。アントニーはそれに気づかない。
「オドレーは言った。地位が無理ならば、俺自身を奪ってしまおうと……。ああ、確かにオドレーはそう言っていた!」
勝ち誇ったように叫ぶアントニーの顔は醜い。ミシェルにはそう見えた。
「だから、全部あいつの策略だ。ベルジュ皇国に唆されたのかもしれん。ならば、俺は被害者だ!」
地下牢にはアントニーの叫びだけが響く。ミシェルは黙ってそれを聞いていた。
未来に光が見えたのだろう。アントニーは高揚していた。
「だからミシェル。お前から父上に……」
再び鉄格子から手を伸ばしたアントニーに、ミシェルは黙ったまま首を横に振った。
「いいえ。それはなりません」
「なぜ!?」
ミシェルは冷ややかな目でアントニーを見つめる。逆に、ミシェルを見つめるアントニーの目は血走っていた。
「私はもう殿下、いえ、アントニー様の婚約者ではありません」
「……は?」
アントニーは、まるでミシェルの言葉の意味がわからないように、口をポカンと開いた。
「我がデュプレシ公爵家は、王太子ではなくなったアントニー様に私を嫁がせる必要はないと判断しました。国王陛下の温情と謝罪により、この婚約解消は即時受け入れられました」
「そ、そんな……」
鉄格子を掴んだまま、アントニーはズルズルと膝から崩れ落ちた。ミシェルはその様を、黙って見下ろしていた。
そのうち、泣いているのかアントニーから鼻を啜り上げる音がし出す。ミシェルはアントニーに向けて、先ほどよりもより軽い礼をし、その場を後にしようとした。
「俺は……こんな、酷い仕打ちを受けないとならないのか」
ミシェルの背中に向かって、アントニーが弱々しい声を上げる。ミシェルは一瞬立ち止まり、そして振り返らずにこう言った。
「殿下、それは残当です」
アントニーからは、もう声がしない。ミシェルは再び姿勢を正した。
「失礼。もう殿下ではありませんね」
それだけ言い残すと、ミシェルは今度こそ地下牢を後にした。
地下牢がある塔から出ると、深夜の真っ暗な空からは雨が降っていた。ミシェルは濡れるのも構わず、湿った地面を歩き出した。しかし、後ろからその背中に外套が掛けられた。
「元殿下は納得されたか?」
外套を掛けたのは、先ほど牢まで案内してくれた騎士ダビドだ。
「納得していないんじゃないかしら? 自分の責任を自分で負うのは、初めての経験だろうから」
ミシェルは苦笑いしながら続けた。
「私はしばらく領地に戻ることになったわ。王太子妃教育もなくなっちゃったし」
笑顔のままのミシェルを、ダビドは苦々しく見つめていた。
「じゃあ、俺の男爵家に寄ればいい。幼い頃、よく公爵家の庭を抜けて忍び込んで来ただろう」
思い出したのか、ミシェルは目を見開いた後、口を開けて笑い声を上げた。幼い頃、よく親に叱られた笑い方だった。
「本当ね。考えておくわ」
「ああ。あの時のように、いつでも塀に穴を開けて待っているよ」
二人は微笑みあった後、迎えの馬車が待つ裏門まで並んで歩いていった。




