天啓
春の前、田圃の中に男が一人いた。
鍬を振るうのに疲れ、汗を拭いながら休む所を探していると、外れ、畦の上に切り株を見つけた。
──丁度良い
男が腰掛ける為に近付こうとした時、物陰から影が、ひとつ飛び出してきた。
兎である。
どこか焦っているらしい羽のような耳を注視していると、その兎は勢いのまま、男の休もうとしていた切り株に衝き当たった。
動かない。
やれ、と思った男は切り株に近づき、動かぬ兎を手に取った。頭が毬の様に動いている。
頸が圧し折れたのだ。
肉が取れた、と思った。兎を殺した切り株が、そのまま不思議に思えた。
ならば、触れてみようかと思った。
男は切り株に、兎の尸を抱えたまま、座り込んだ。遠くに丘が在り、近くに木が在る。
冬の残滓に、土は乾いていた。それとは対蹠に、木が花を付け始めている。
──なかなか、映えている
男は空に映る花の輪郭を、星のように眺めた。
しかし、星とは違う。星が匂うわけが無い。
しばらく腕に兎の尸を抱えたことを忘れ、空気に身を任せて、ただ時を過ごした。
東から風が吹き、乾いた砂が巻き上がった。砂が、花の高さにまでいった。
その風景が、男の理屈をはっきりとさせた。
──そういうものだよな
男は己が農夫だったと思い出して、家へ帰ろうとした。
目を下げると、今まで見つめていた花を、枝に咲かせていた木の幹に気が付いた。
土から生え、上に伸び、八方へ拡がり、花果を秀かせている。
「ああ、はあ」
男は少し笑うと、兎を持ったままで家へと帰った。
家に帰れば、妻と子供がいる。子は気儘で、妻は癇癪を起こしている。
「私の夫は何してたの」
「すこし、ぼうっとしててな」
「だめじゃないの、まったく」
呆れた声を、男の妻は出した。そして
「で、その兎はなに」
ということを、男に問い質した。
男は仔細を話した。その話を、妻は興味深そうに聞いた。
「二匹目の兎を待ってたってことかい、くだらない。さっさと羹にするよ」
「そうだなあ。そういうことに、しておいてくれ」
はぐらかした男のことを、妻は再び呆れ返した。
誤解だ、と言うことも、男には勿体無い気がした。
すぐに、村中に男の奇行が知れ渡った。儔は皆が、男の固執を嘲った。
「お前はそんな偶然を、また求めたのか。痴呆だな」
そのような言われ方もしたが、男はただ
「そう言うな。天啓があったんだから」
と、只管に返すだけだったという。




