金色の檻と、勘違いした英雄
招待客たちとの会話が自然に散っていく中で、キャサリンは数歩だけその場を離れた。
ジュリアンは、その一瞬の隙を逃さなかった。
席に座ったまま、アドリアンは一見まったく動いていないように見えた。
――だが。
彼の目は、すべてを追っていた。
ジュリアンが近づくのを見た。
マックスが計算された動きで位置を変えるのを見た。
スターリング社のサーバーに生じた、わずかなレイテンシ増加も見逃さなかった。
三つの異常。
三つのパターン。
ほとんど見えないほど、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
「英雄というものは、いつだって自分が物語を書いているつもりでいる……」
そう呟きながら、彼は給仕が差し出したグラスを受け取った。
ジュリアンの正面に立ったキャサリンは、分析的な好奇心を帯びて首を傾げる。
まるで、予想外に面白い実験でも観察するかのように。
数歩離れた場所で、マックスは社交的プロトコルを無視して歩調を速めていた。
彼のシステムは、次々と切迫したアラートを吐き出している。
広間の中央で――本人たちも知らぬままに――
相容れない二つの物語が、衝突を始めていた。
そしてアドリアン・ヴァルモンは、すでにその衝撃を
どう“不可逆な教訓”へ変えるかを計算していた。
「少し、お時間をいただけますか?」
「ご不快にさせるつもりはありません」
ジュリアンはすぐに付け加えた。
「ただ……ここは、金色の檻のように感じられて。
あなたは、そこに留まるための人には見えなかったんです」
キャサリンは、社交的に許されるよりも、ほんの一拍だけ長く彼を見つめた。
驚きではない。
――評価だ。
彼女は幼い頃から学んできた。
柔らかな笑顔で近づいてくる男たちは、ほぼ例外なく
“見えない契約”を懐に忍ばせている。
同盟を求める者。
名声を欲する者。
そして、最も無邪気な者たちは――
彼女が理解したことのない何かから、救おうとする。
ジュリアンは、その最後の類だった。
「……檻、ですか?」
キャサリンはそう繰り返した。
異国の言葉を味わうかのような、微かな興味を込めて。
「ええ」
ジュリアンは穏やかに頷く。
「完璧な場所、正しい人々……でも、息ができない。
そういう空間を、僕は見たことがあります」
彼女の表情は変わらなかった。
だが視線は、彼のスーツ、ぎこちなくも上品に持たれたトレイ、
わずかに前傾した姿勢をなぞる。
――初対面にしては、距離が近すぎる。
感情的親密さの早期形成。
キャサリンは、それを一秒もかからず脳内で分類した。
「興味深い比喩ですね」
彼女は続ける。
「たいてい、それを口にするのは……一度も中に入ったことのない方ですけれど」
ジュリアンは、場の核心に触れていると信じたときに与えられる、
あの穏やかな自信を帯びた笑みを浮かべた。
「中にいる人ほど、気づくのが遅れるものです」
キャサリンは、ほんのわずかに首を傾ける。
下がらない。
近づかない。
ただ、話させる。
それは、忍耐を脆弱さと勘違いする男たちと
無数の会議室で渡り合ってきた彼女が磨き上げた技術だった。
内側では、思考が外科手術のような精度で動いている。
物理的脅威は、検知されない。
検知されたのは――物語。
ジュリアンは、彼女に話しかけているのではなかった。
“彼女という概念”に語りかけている。
そしてそれは……
危険なほど、娯楽性が高かった。
「それで、ご提案は?」
キャサリンは外交的な柔らかさで問う。
「もしこれが檻だとしたら……あなたは、鍵をお持ちで?」
その瞬間、ジュリアンは宇宙が儀式的に扉を開いたような錯覚を覚えた。
システムが承認の電流を放ち、背骨を温かく駆け上がる。
彼女がそれを感情的な誘いではなく、
職業的仮説として提示したことに、彼は気づかなかった。
「劇的な救出は信じていません」
半歩、距離を詰めて彼は言う。
「人が、世界に選ばされる前の“自分”を思い出すことに意味があると思うんです」
「姓や、負債や、他人の期待が……運命になる前に」
――その瞬間。
初めて、キャサリンの内側が動いた。
感情ではない。
記憶だ。
父のオフィスに座る、若い自分。
スターリング家の負債を、末期診断のように語る顧問たち。
自分の姓が“遺産”ではなく、“義務”だと理解した、あの日。
ジュリアンは、本物の弦に触れてしまった。
――偶然に。
グラスを握る指に、わずかな力がこもる。
離れた場所で、アドリアンがそれに気づいた。
キャサリンは、企業政治に鍛え上げられた者だけが可能な優雅さで、
現在へと戻る。
微笑む。
ただし、その笑みには層があった。
「ヴェイン博士……」
彼女は意図的な正確さで姓を呼ぶ。
「あなたのような方は、自由を“感情”だと考えがちです。
でも私たちにとっては……貸借対照表です」
彼女は、防御しているのではなかった。
――領域を定義していた。
ジュリアンは、わずかに瞬きをする。
彼女は、彼がそれを拒絶と誤解する前に続けた。
「誤解しないでください。その視点は新鮮ですし……とてもロマンチックです」
その言葉は、メスのように選ばれた。
ロマンチック。
現実的ではない。
有用ではない。
ジュリアンは微細な修正を感じ取ったが、
システムはそれを“物語上必要な障害”として再解釈した。
キャサリンはシャンパンを一口含み、わずかに身を乗り出す。
親密さではない。
集中を強制するための、戦略的距離。
「でも、もし本当にこの“檻”を理解したいのなら……」
彼女は囁く。
「誰が鉄格子を作り……誰が中に残ると決めたのかを、考えることです」
その視線が、一瞬だけアドリアンへと流れた。
極小の動き。
ほとんどの者には見えない。
だが、
ジュリアンはそれを内的葛藤のサインと読み取り、
アドリアンは相互支配の確認と解釈した。
キャサリンは姿勢を正し、職業的な距離を取り戻す。
「良い夜を、博士。
それと……比喩にはお気をつけて。
こういう場所では、気づかぬうちに契約として署名されるものですから」
彼女は、存在するための許可など必要としない優雅さで、
彼の横を通り過ぎた。
ジュリアンは、その場に立ち尽くす。
システムが、矛盾する通知で溢れかえる。
[感情的進展を検出:41%]
[警告:対象は戦略的抵抗を示しています]
[新ミッション解放:「ヒロインの“本当の自分”を発見せよ」]
ジュリアンは、ゆっくりと笑った。
強いロマン的緊張を孕んだ会話だったと、確信しながら。
数メートル先で、キャサリンは振り返ることなく
アドリアンの隣の席に戻った。
腰を下ろした瞬間だけ、
呼吸がほんの半拍、長くなる。
「……面白かったか?」
アドリアンは彼女を見ずに尋ねる。
キャサリンは、グラスの中の液体を
ゆっくりと円を描くように揺らした。
「……ただの、愚か者よ」
「それとも、社交の梯子を登ろうとしているだけか?」
彼女は答えを量る。
「多くの人と同じ」
短い沈黙。
「でも、興味深くはないわ」
アドリアンは、ほとんど見えないほどの笑みを浮かべた。
そしてキャサリンは、
決して口にしないだろう事実を、心の奥で認めていた。
ジュリアンは、欲情も魅了も呼び起こさなかった。
だが――
もっと厄介なものを呼び覚ました。
“誰かが自分を救えると、本気で信じてくれる世界”への郷愁。
それこそが……
彼女が何よりも深く、埋葬する術を学んだ弱点だった。




