「溶けかけのアイスと崩れる英雄」
その時、建設トラックの轟音が、通りのノスタルジックな静けさを打ち破った。
ヴァルモントグループのロゴが刻まれた大型車両が三台、二重駐車する形で停まり、交通を塞いだ。
それでも、誰一人として文句を言おうとはしなかった。
腕にヘルメットを抱えた技師が店内に入り、埃をかぶったカウンターの上に大量の設計図を広げる。
「ヴァルモント様、チームは準備完了です。掘削機は一時間以内に到着します。構造変更の最終承認の署名だけお願いします」
アドリアンは設計図を一瞥すらしなかった。
彼は書類フォルダを自然な動作で手に取り――
テーブルの上を滑らせ、クララの前へ置いた。
ちょうど、半分溶けたアイスクリームの隣に。
クララは瞬きをする。
設計図と、外で進み始める整然とした混乱を交互に見つめる。
「……何をしてるの?」
「見れば分かるだろ」
彼は頬杖をつきながら答えた。
「アイスクリーム店だ」
クララは眉をひそめ、書類をめくる。
「アドリアン……ここは小さいわ。思い出としては価値があるけど、立地は平凡。収益性は低い」
「金を稼ぐためじゃない」
彼は絶対的な落ち着きで言った。
「誰もお前を見ていない、なんて言わせないためだ」
クララはゆっくりと顔を上げた。
「この店はお前のものになる」
アドリアンは続ける。
「コンセプトも、経営も、完全な所有権も――全部だ」
沈黙がテーブルを覆う。
クララは再び設計図を見た。
青い線を指でなぞる。
壊れてしまいそうで、触れるのを恐れるかのように。
それは――
鋼鉄とガラスと大理石で再構築された、彼女の幼少期だった。
「これ……何百万も損するかもしれない……」
彼女は囁く。
「俺は毎日、何百万も失ってる」
アドリアンは答えた。
「違いは――これは価値がある」
クララは息を飲んだ。
アドリアンは、彼女の前で溶けていくアイスを見つめた。
「商業登録には名前が必要だな」
彼はわずかな悪戯心を滲ませて言った。
「お前の本質を表す名前を考えてた。例えば……『泣き虫妹』とかどうだ?」
クララは本気で愕然とした顔をし――
そして突然、笑い出した。
ここ数週間で初めての、本物の笑いだった。
彼女は丸めたナプキンを投げつける。
「最悪! バカ!」
「じゃあ自分で決めろ」
彼は立ち上がった。
「技師が測量を終えるまでだ。それまでに決めなければ……俺の案で登録して制服まで刺繍させる」
クララは彼を睨みつけた。
だが、笑みは完全には消えなかった。
アドリアンは出口へ向かう。
外から機械の低い唸り声が徐々に聞こえ始めていた。
彼はドアの前で立ち止まる。
「それと、クララ……」
彼女は顔を上げた。
「ジュリアンがタダのアイスを求めて来たら――警備に通すなと言え」
クララは目を回したようにため息をつく。
「本当に面倒な人」
アドリアンは扉を開ける。
外の騒音と冷たい風が流れ込む。
「違う」
彼は静かに訂正した。
「ただ……お前の兄だ」
短い沈黙が落ちた。
「お前を傷つけようとする奴がいたら――
お前は一人じゃない。
最初から、ずっとな」
彼は振り返らずに出て行った。
それ以上そこにいれば、今の言葉の重さが露わになりすぎると分かっているかのように。
一方その頃、ジュリアンのオフィスは壮観だった。
ガラス。大理石。そして街を見下ろす完璧な景観。
だが三日目の午前十時になる頃には、その輝きは薄れ始めていた。
ジュリアンはセレナのデスクの前に立っていた。
手には「従業員向けホリスティック医療提案」と題された企画書。
一晩かけて作り上げたものだった。
セレナはモニターから視線を上げない。
ワイヤレスイヤホン越しにドイツ語で会話しながら、キーボードを高速で打ち続けている。
「セレナ、少し時間があれば……」
ジュリアンは入念に練習した笑顔で話し始めた。
「研究部門向けの調和プロトコルを設計したんだ。休息周期を整えれば――」
「ヴェイン博士」
彼女は画面から目を離さずに遮った。
「第四段階用ポリマーの毒性レポートは完成しましたか?」
ジュリアンは瞬きをする。
完全に不意を突かれた。
「いや……その……スタッフの幸福度を優先していて。平和なチームこそ――」
セレナの動きが止まった。
続いた沈黙は、空調より冷たかった。
彼女はゆっくりイヤホンを外し――
まるで表計算のエラーを見るような目で彼を見た。
「博士、あなたに七桁の報酬を払っているのは、スピリチュアルカウンセラーを雇うためではありません。
市場投入を可能にする技術認証に署名してもらうためです。
社員の幸福は――ボーナスが期日通り支払われることで維持されます。そしてそれは、あなたが管理業務を果たした時だけです」
【ジュリアン・システム:警告!
対象の好感度:0%
現在の評価:「非効率資源」】
「理解している。でも僕のビジョンは――」
ジュリアンは一歩前へ出て、“磁力的存在感”を発動しようとする。
「あなたのビジョンは、証明されるまで経費控除対象です」
セレナは言い放ち、再びイヤホンを装着した。
「今すぐ退室してください。三分後にドバイとの会議があります。
それから――そのサンダルウッドの香水、やめてください。気が散ります……安っぽいスパの匂いです」
ジュリアンは頬を赤くしながら廊下に出た。
自動ドアが閉まる音は――どこか嘲笑のように聞こえた。
【システム:DING!
新たなペナルティ検出:「傷ついた英雄のプライド」
カリスマ −50
推奨:乙女を救出して経験値を回復】
ジュリアンは拳を握りしめる。
彼の頭の中では、自分は巨人と並び立つ運命の男だった。
だがセレナの現実では――高価な署名要員に過ぎない。
「これは始まりに過ぎない……」
彼は必死に誘惑スキルを探しながら呟く。
「俺の真価を知った時、きっと後悔するはずだ」
その時、スマートフォンが震えた。
経理部からのメール。
新任監査責任者――クララ・ヴァルモント名義。
ヴェイン博士へ
オフィス用クォーツ水晶の経費申請は却下しました。
ヴァルモントグループは疑似科学的装飾品に資金を提供しません。
生産的な一日を。
ジュリアンは、自分の世界が縮んでいく感覚を味わった。
彼を見ない上司と――
今や予算の一銭一銭を支配する「泣き虫妹」。
その間に、彼は完全に挟まれていた。




