女帝の誕生
職員たちが去った後、オフィスには完全な静寂が残った。
セレナは窓際に立ち、街の灯りを見下ろしていた。その光の多くが、いまや彼女のものになっている。
ガラスに映る自分の姿は、もはや野心的な実業家ではなかった。
——もっと巨大な存在。
——巨人へと変わり始めた女。
アドリアンは椅子に座ったまま、彼女が新たに背負わされた世界の重みを受け止める様子を、静かに観察していた。
「その沈黙は似合うな、セレナ」
やがて、氷のように冷たい声で静寂を破る。
「最初の十億を手にした者だけが聞ける音だ。ほとんどの人間は、それを聞けば傲慢に狂う」
セレナはゆっくり振り返った。瞳には新しい輝きが宿っている。
「傲慢じゃないわ、アドリアン。視界が広がっただけ。明日、どんなクラブや取締役会に入っても……地面の震え方が違って感じるでしょうね」
彼女はマホガニーの机へ歩み寄り、体を預けながら彼と視線を合わせた。
「五十パーセントの提案。対等な契約。
でもあなたは、敬意で何かを与える人じゃない……有用だから与えるのよ。
三億ユーロ以上の価値がある“ちょっとした頼み”って何?」
アドリアンはティーカップを机に置き、身を乗り出した。
「屋敷に寄生虫がいる」
彼は遠回しな表現を一切使わなかった。
「ジュリアン・ヴェインという医者だ。妹の精神を妄想と反抗で汚染している。自分を“白蓮”——乙女を救う救世主だと思っているらしい」
彼はわずかに目を細める。
「だが、どんな男にも弱点がある。
——手の届かない女に認められたいという欲望だ」
セレナは眉を上げた。捕食者の笑みが浮かぶ。
「あなたの家から追い出せばいいのね?」
「違う」
アドリアンは静かに訂正した。
「仮面を剥がしたい。君の美しさなら簡単だ」
セレナは低く笑った。
「つまり……私が綺麗だと知っているのね。あなたの無関心には少し苛立っていたのよ」
アドリアンは動じない視線で見返した。
「君がどれほど美しく……危険かも理解している」
「やめて、アドリアン。私は無害よ」
皮肉を帯びた微笑み。
「君を味わった男は全員、依存症になる。それくらい分かる」
セレナは首を傾げる。
「あなたは味わっていないでしょう?どうして分かるの?」
数秒間、空気が張り詰めた。
最初に沈黙を切ったのはアドリアンだった。
「オーロラ・キャピタルにバイオテクノロジー部門を作る。
彼に国家で最も重要な男だと思わせる契約を提示しろ。
東向きのオフィス。無制限の予算。
そして……君の関心を与えろ」
アドリアンは立ち上がり、机を回り込んで彼女の数センチ前に立った。
「餌になれ、セレナ。
ジュリアンは、機会を与えれば君の影に溺れる男だ。
クララに見せたい——彼が君の部下になる姿を。
君の輝きに魅了され、“守る”と誓った退屈な富豪の少女を忘れる姿を」
セレナはゆっくり笑った。
「つまり私は誘惑役……
彼が天へ昇っていると思い込む間に、聖人像を壊すのね」
アドリアンは即答しなかった。
高リスク投資を評価するように、じっくり彼女を見つめる。
「仮面を剥がしてほしいだけだ」
「見返りは?」
「部門の五十パーセント。
そして商工会議所での永久投票権。
君は不可侵になる」
セレナは首を傾げ、彼を観察した。そして手を差し出す。
契約の握手ではない。
——跪く権利か、噛みつく権利を与える女王の手。
「私を武器として使いたいのね」
「自分に牙を向ける可能性のある武器しか使わない」
セレナの瞳に危険な火花が走った。
「妹を守りたいのね……」
彼女は一歩踏み出し、挑発的な距離まで近づく。
「ねえ……私も同じように守ってくれる?
それとも、支配できるものだけ?」
アドリアンは彼女の手をゆっくり取った。
すぐには握らない。
指を絡め、決断の重さを感じさせるように、意図的にゆっくり閉じる。
「俺は人を支配しない」
低い声。
「観察するだけだ……自分から残ると決めるまで」
彼の親指が彼女の肌をかすかになぞる。
——愛撫ではない。
——警告だった。
セレナは手を引かなかった。むしろ半歩近づいた。
「男は私を選んだと思うの」
囁く。
「でも気づくのよ……必要な場所に置いたのは私だって」
アドリアンは初めて、暗く本物の笑みを浮かべた。
「だから君はまだここにいる」
沈黙が重くなる。
セレナはアドリアンの手首を指でなぞった。脈を確かめるように。
「ジュリアンを飲み込む前に、知りたいことがある」
「言え」
「すべて終わったら……私は味方のまま?
それとも次の問題?」
アドリアンは顔をわずかに近づけた。
「俺を獲物にしようとするか次第だ」
セレナは微笑む。
「もしそうしたら?」
「その時は……狩られる価値があるか考える」
その握手は、もはや契約ではなかった。
——賭けの始まりだった。
「契約成立ね」
「成立だ」
それでも、どちらも先に手を離さなかった。




