刻まれた証(きざまれたあかし)
アドリアンの部屋に着いた時、雨が窓を叩いていた。
冷たく、激しく、途切れることなく。
ナラにとっては二年。
二年の距離。
二年の沈黙。
そして今、彼女はそこにいた。
濡れた髪。
夜から切り取られたような姿。
アドリアンは彼女の手を取り、部屋へ導く。
じっと見つめる。
無事かどうか。
壊れていないかどうか。
手が震える。
頬に触れる。
「ナラ……」
だが彼女は、言葉を許さなかった。
背伸びして――キスをする。
激しくはない。
だが、必要だった。
空白を埋めるためのキス。
最初はためらい。
やがて――
息を奪うほどに深くなる。
互いにしがみつく。
溺れる者のように。
寝室。
濡れた服を脱ぎ捨てる。
ナラの肌は冷たい。
アドリアンは抱き寄せる。
その先にあったのは――
優しさでも、激しさでもない。
その中間。
痛みに近いほどの強さ。
問いかけ。
ここにいるのか。
まだ繋がっているのか。
やがて静寂。
雨音と呼吸だけが残る。
アドリアンの指が、彼女の背をなぞる。
そして――
止まった。
傷。
細く、真っ直ぐな線。
肩甲骨の下。
彼の思考が一瞬で冷える。
再会の余韻は消えた。
彼女は、別の人生を生きていた。
痕を残すほどの。
「……ナラ、それは何だ」
低い声。
震える指。
彼女は視線を落とす。
そして――
崩れた。
声は出ない。
ただ、涙。
「事故じゃない」
沈黙。
「……彼が来た」
そして名前。
「カエル」
空気が変わる。
「知ってたの。私が戻ることも、守られてることも」
震える声。
「あなたは異常だって。天が想定していない存在だって」
アドリアンは動かない。
「連れて行こうとした。あなたのチームは……止められなかった」
目を閉じる。
「怒ってた。戦ってたんじゃない」
沈黙。
「殺すつもりはなかった」
傷に触れる。
「刻むためだった。忘れないように」
顎が強くなる。
「帰る前に言ったの」
視線をぶつける。
「あなたを殺すって」
空気が張り詰める。
「どうして言わなかった」
責めではない。
痛みだった。
沈黙。
理解。
ナラが泣いているのは、傷のせいじゃない。
意味のせいだ。
二年。
一日。
その一日で――
戦争が始まった。
アドリアンは電話を取る。
迷いはない。
三コール。
「封鎖ファイル」
カティの声。
「神罰プロトコルを起動しろ」
沈黙。
「まだ早い」
「もう遅い」
静かな圧。
「……了解」
通話終了。
その瞬間。
都市の下で――
何かが動き出した。
追跡不能の資金。
存在しない名前。
止められない決定。
すべてが静かに噛み合う。
その夜。
嵐が都市を引き裂いた。
偶然ではない。
予兆でもない。
終わりの始まり。
英雄も、選ばれし者も――
堕ちる。
そして盤上で、
誰も想像できなかった一手が打たれた。




