第8話:3件目の殺人予告
WEB小説)
3件目の小説が公開された。小説なので、3話目と言った方が正しいのかもしれない。
『3件目は自然死に見せかけた殺人を行った。ここで一部を紹介する。伏字の部分や、書いていない詳細は出版社に送付した原稿にしたためた。今後出版された時に確認してほしい。
早速、内容を知らせる。ターゲットは〇〇〇〇。彼が眠った状態の時にATPを注射した。すると、彼の心臓はほどなく停止した。今回は警察の現場検証は行われたが、自然死として処理された。死因は心臓麻痺。またしても私の殺人は成功した。それでは、もう少し詳しく知らせよう……』
これが小説の冒頭だった。前書きともいう。小説を書く前の簡単なコメント。それだけで十分惹き付けられた。殺人トリックを冒頭から説明してしまっているが、WEBの小説内ではミステリー小説形式で記載されていた。
犯人もトリックも分かっているミステリーが成立するだろうか。普通は殺人という結果だけがあり、犯人も動機もトリックも探していくのは探偵の仕事だ。犯人もトリックも分かっているなら読者としては退屈な物語になってしまう。
しかし、古くは刑事コロンボなどでは最初からの犯人も殺害方法も、場合によっては動機すらも冒頭で語られる。この場合の読者の楽しみ方としては、コロンボがどうやってその事実を見つけ、真実に近づいていくかの点にある。
WEB読者は時間がない。「文豪」の場合2〜3分で内容が分かり、読みたいと思ったらその後読み進められるようになっていた。読者がわくわくする点としては、読んだ小説が数日後に本物のニュース番組で報道される点にあった。そして、どこまで公開されたか、に注目されていた。つまり、現実に行われる殺人の内容を世の中の人よりも先に知ることになるのだ。軽い預言者の様な気分だ。
さらに、WEB小説が後に書籍化される際、より掘り下げて人物の心情を書いたり、違う人物視点で同じエピソードを描き下ろしたりする。「文豪」の小説は個人名や殺人の詳細などは出版社に寄稿した物の中に記載されていたのだ。
そういった意味では、暴露本として「文豪」の小説を出版する価値はありそうだった。現在では、ほとんどの出版物にタブーはなく、読みたいと思って本を買う人がいれば出版する様になってしまった。
「文豪」は確実に現代の流れにマッチした動きをしていた。




