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オメガ ―破滅の魔女、失墜の黒騎士―  作者: 白河マナ
第3章 魔法士
14/42

3-5


 魔法士学院『シリウス』の生徒たちには週に一日だけ休みがある。

 今日がその日だ。

 生徒たちは、クラスメイトや宿舎の友だちと街に出たり、図書館で本を読んだりとそれぞれの休日を過ごしている。


 しかし。

 一、二年生は、当番制で宿舎の掃除を行うことになっている。そんな日は、せっかくの休みの午前中がつぶれてしまう。


「……」


 カチュアは自分の二の腕を押さえる。

 掃除を張り切ってやり過ぎたせいで腕を痛めてしまった。だがその甲斐もあって、カチュアが雑巾がけをした宿舎玄関からの廊下は、見違えるほどピカピカになった。

 掃除を終えたカチュアは、昼食を食べてから自室で勉強をしていたが、あまり集中できずに外に出た。休日でも学院の図書室だけは開いている。


 カチュアは図書館で一冊の本を借りた。

 古い本だった。皮のカバーは後でつけたらしく綺麗だったが、各ページはカビ臭く黄色っぽく変色している。


 背表紙には『始まりの終わり』と旧文字で書かれていた。

 小説が好きなカチュアが普段手にしないような本だったが、全文旧文字であるということが興味をひいた。

 旧文字は、最近授業で習ったばかりだ。その知識で少し読んでみたが、とても難しく、どうにか魔法士のランクについての本らしいことだけわかった。



◇ ◆ ◇



 カチュアが宿舎に戻ると、玄関前にシナと見知らぬ男が話をしていた。黒髪の男は年齢は二十代半ばくらい、そしてなぜか全身びしょ濡れだった。

 しばらく二人は何かを言い合っている様子だったが、話は終わり、男は宿舎内に入っていく。濡れたままの格好で。

 玄関先の廊下は、カチュアが一生懸命雑巾がけをした場所だ。

 男が一歩あるくたびに、床が泥っぽい水で濡れていく。カチュアは、男に話し掛けようと服を引っ張ろうとしたが──金髪の少年に止められる。

 カチュアのクラスメイトの子だった。


「な、なにしてんだよ!」


 少年は凄い剣幕で怒っていた。


「なにって……あの人に注意しようとしたの。せっかく床を掃除したばかりなのに……」


「やめとけって。腰の剣を見てないのか、そんなこと言ったら斬られるぞ」


「でも……」


「でもじゃないだろ!」


 と小声で言い合いながらも、カチュアたちは男の後をついていく。いつの間にかカチュアのクラスメイトの数人が後をついてきている。今日は掃除の日だったので、皆、宿舎内にいたらしい。

 男は途中、一人の生徒に浴場の場所を聞いた。廊下を濡らしながら、浴場の入り口に立ち、そこで振り向く。


「なにか用か?」


 黒髪の男が無愛想に言うと、数人は逃げ出して、金髪の子などはカチュアの後ろに隠れてしまう。

 カチュアは勇気を出して、


「あ、あの……」


「なんだ?」


「……廊下……今朝、みんなで綺麗にしたばかりなのです……けど」


(言うなって言っただろ、カチュア!)


 背中から金髪の少年が声を抑えて怒鳴る。


「それで?」


「え、それで、って……」


 思いがけない言葉だった。

 カチュアは必死で返す言葉を探したが、なかなか出てこない。


「俺にどうして欲しいのか言ってくれ。でないと、わからない」


「……お、お風呂から上がったら……廊下を拭くのを手伝ってください」


 髪が跳ねるほどの勢いでカチュアは頭を下げる。


(バカ! ホントに殺されるぞっ!)


 金髪の少年がカチュアの両肩を後ろから掴んで、引きずるように男から遠ざけようとする。

 カチュアは深く頭を下げる。


「……」


 男は無表情でそれを見ていたが──ふと、表情が翳らせ、

 そして。


「悪かったな。手伝うから顔を上げろ」


 謝罪の言葉とともに鞘に入った剣を投げてよこす。カチュアはそれを胸のあたりで受け止めた。


「俺のモジュレータだ。風呂から上がるまで、貸しといてやる」


 そう言い、男は浴場に入っていった。



◇ ◆ ◇



 男はジード=スケイルと名乗った。

 浴場から出てきたジードは、約束通りカチュアたちと一緒に床の雑巾がけを手伝った。そんなジードに、掃除が終わるころには生徒たちの警戒心はなくなっていった。


「もういいだろ。疲れた。寝かせてくれ」


 ジードはウンザリとした様子で言った。

 既に夜の十時を過ぎている。

 掃除を終え、ジードが部屋で食事をしていると、生徒たちが次から次へと入ってきた。色々な話をせがまれ、二時間ほど経つ。

 しかし、やはり相手は子どもなので、徐々に眠くなって自分の部屋に戻ってしまう。残るはあと一人だった。


「なあ、」


「最後に……私の話を聞いてくれませんか?」


 ジードの部屋に最後まで残っていたのは、カチュアだった。二人になってから、ずっとなにかを言いたそうにしていたが、ようやく決心がついたらしい。

 窓の外はもう真っ暗だった。

 昼間とは違うひんやりとした冷たい風が、カーテンをゆらゆらと揺らしている。部屋は静まり返り、廊下からも話し声などは聞こえない。


「それを聞いたら自分の部屋に戻ってくれるか?」


「はい」


「なら聞いてやる」


 カチュアは首飾りを外して、ジードに見せる。


「モジュレータか……」


「私のお母さんの形見なんです。私はずっとこれがただの首飾りだと思っていました。これがあの違和感に関係しているとは思ってもみませんでした」


「違和感?」


「器のことです。幼いころからずっと感じていた、ひどく空虚な感覚……」


「面白い表現だな。まあ、違和感と呼べなくもないか」


「ジードさんは、魔法で……人を傷つけたことがありますか」


「そりゃあな。さっきは包み隠してたが、正直、戦争で何人殺したかわからない。俺は生きるために殺さなければならなかった」


「私、お父さんに……魔法で大怪我を負わせてしまったんです。魔法の使い方なんて、わからなかった……それでも、そんなことは言い訳でしかなくて……」


 力無く、カチュアはうつむく。

 泣いてはいないようだったが、込み上げてくる感情を抑えているのがわかる。


「そうだな。言い訳に過ぎない」


 ジードは冷たく言う。

 目の前の少女は、正面から現実を受け止めようとしている。ここで慰めても、いつまでもカチュアを苦しめることになる、そう思っての言葉だった。


「だからお前はここで学ばなければならない。魔法は確かに危険な力だ。それはアルファだろうが、関係ない。だが、その力で救える人がいるってことも忘れるな」


 カチュアは肩を震わせながら頷く。


「それでいい」


 ジードはカチュアの頭を優しく撫で、


「泣くなよ。俺が泣かしたと思われるからな」と、初めて優しい笑顔を見せた。



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