できごころ
小学生の頃の彼は、決して恵まれてはいなかった。
いや、家庭環境やそれに伴う金銭面でそうなのではなく、むしろ若干ではあるが余裕のある家庭環境であった。
恵まれていなかったのは、家庭以外での環境。
彼は、虐められてはいなかったのだが、およそ友人と呼ぶべき対象が、誰一人としていなかったのである。
その原因は、彼には判らなかった。
友達になろうと話し掛けても、暫く話すうちにすぐ離れて行ってしまう。
誰に話し掛けても、人気のテレビ番組や芸能や、みんながやっているゲームのといった、いわゆる流行りの話題で話し掛けても、最初は聞いてくれるのだが、やがて誰も聞いてくれなくなる。
どうしてそうなるのか、彼には理解出来なかった。
そんな幼少期を過ごし、やはり友達と呼べる対象がほぼいないまま大学生となり、そして成人を迎えたある日――
熱帯夜にうんざりしながら、エアコンの効いたアパートで涼んでいると、ほぼ着信がない彼の最新のスマホに、見たこともない番号から着信が入った。
また詐欺か迷惑電話か?
そう思ったが、番号が「0120」だったり「050」から始まる胡散臭いIP電話ではなく、ちゃんとした市外局番からの着信であったため、訝しみながらも通話をタップした。
『――くんでしょうか』
電話に出ると、子供のような声で自分の名を呼ばれた。それに更に訝しみ、だが「そうだ」と答え、そして訊き返す。
――お前は誰だ?
子供の知り合いはいない。そもそも友達と呼べる人だって、いないのだから。
『ボクを覚えていないの? ほら、十年前に――くんのおじいさんがいるからってお盆休みに××県の田舎に来たでしょ。そのときに一緒に遊んだ――だよ。覚えていないなんて、酷いなぁ』
言われて、彼は記憶を辿る。
確かに、小学生の頃に其処へ行ったことがあった。想像を絶するほどの田舎で、テレビ番組も地方のローカル局だけだし、もちろんネット環境などあるわけもなく、当たり前に携帯電話も圏外であった。
ここは本当に日本なのだろうか。
本気でそう思ったほどだ。
『思い出してくれたかい? それは良かった。友達に忘れらているんじゃないかって、心配していたんだよ』
安心したように、その声は安堵の溜息を吐いたようだ。
だが正直なところ、そこに行ったという記憶はあるものの、そのときに誰と知り合い、そして友達になったかまでは覚えていない。
あんなド田舎にいるゲンシジンなんか、はっきり言ってどうでもいい。
そう思いつつ、だが電話の向こうで楽しそうに喋る、友達を名乗るその声を無碍にも出来ず、そのまま暫くどうでも良い会話を続けた。
『ところでさ、あのときみんなで、かくれんぼしたよね』
はぁ? かくれんぼ?
そんなこと、覚えていない。
だがそうはっきり言えば、きっと気分を害してしまうだろう。
せっかくの「友達」なんだから、話を合わせないと。
『廃品処分場でかくれんぼしたよね。あのときさ――』
――キミ、ボクをロッカーの中に閉じ込めたよね。
声にトーンが一段低くなり、楽しそうな先程とは打って変わって淡々と喋り始める。
『あのあとさ、大変だったんだよ。ボクが帰って来ないから、村中大騒ぎになって――
『村の傍の山には熊も出るから猟師も駆り出されて――
『それでも見付からないから、警察とか消防まで巻き込んで――
『そうしているうちにお盆休みが終わってね、廃品処分場も動き出したんだよ――
『それで、大騒ぎになったんだ。プレスしたロッカーに子供が入っていた――て』
電話の先でそう言い、今度は楽しそうに笑い、そして――
『やっと、見付けた』
彼は慌てて通話を切り、今の通話を反芻する。
あのときそういえば、することがないから田舎のガキどもとくだらない遊びをしていた。
そのとき、はっきりものを言わないでウジウジしているガキを、確かにロッカーに閉じ込めたような気がする。
え?
そのロッカーが?
プレスされた?
そんなことって、あるのか?
いや、なにかの間違いだ。
そうに決まってる。
そうしている彼のスマホに、再び着信が入る。
それは、先程と同じ番号だった。
今度はそれに応じず、やがて着信音は消えた。
だがすぐにスマホのバイブが震え、留守電が入ったのを告げる。
恐る恐る、それを再生すると――
『酷いじゃないか、いきなり切るなんて。でも大丈夫。すぐにそこに行くから』
え?
待て。
来る?
ここに?
どうして?
いや、
どうやって?
スマホの着信履歴にある電話番号を、もう一度見る。
見たこともない番号。だが市外局番がある。これは間違いなく固定電話だ。
だとすれば、一体誰がこんな嫌がらせをしたのか。
考えられるのは、閉じ込めたガキの親族か。
冗談じゃない。
あれはもう十年前のことで、とっくに時効だろう。それに子供の悪戯に、いちいち目角立ててんじゃねぇよ。
最初は驚いてビビったが、考えるほどそれは有り得ないことだと思考が掏り替わり、そして彼は完全に開き直った。
来るなら来てみろ! 昔のことを引っ繰り返されたって、子供時代にしたことなんて罪にならないだろう!
そんなことを考えていると、再びスマホが着信を告げた。
そう、例の固定電話だ。
完全に開き直った彼は、それを完全に無視する。そしてなにかあったときの証拠として、その番号をメモした。
×××-×××-0110
厄介ごとだったときに、この番号を出してやろう。
それにしてもバカなヤツ。番号表示拒否しなければ、相手にも判ってしまうのに。かけるときに「184」付けるの、知らねーのか? ああ、田舎モンだから知らねーか。
喉の奥で笑いながら、テーブルに置いてあるタバコを手に取ってベランダに行こうとし、だが熱帯夜である外には出たくないと思い、コンロすらなくシンクに汚れた食器が貯まっているキッチンに行く。そして換気扇の下でタバコに火をつけ煙を燻らせる。
そうしているうちに、先程の出来事がとても下らないと思い始め、どうせただの悪戯だろうとすら思い始めた。
タバコを咥えながら、スマホを見る。
また留守電が入っていた。
『今、出たよ。そんなに時間が掛からずにそっちへ行くよ』
……どこかで聞いた都市伝説かよ。
鼻で笑い、だがその番号がそのままで、それが酷く滑稽で笑いが止まらない。
そうしているうちにまた着信があり、やっぱりそれを無視すると、案の定留守電が入る。
今度はなんだと思って聞くと、
『今××××ってコンビニまで来たよ』
ああ、まるっきりあの都市伝説じゃねぇか。
シンクの生ゴミ入れにタバコを放り込み、水を掛けて火を消す。
そしてリビングに戻ってソシャゲを始めた。
だがその途中でも、例の番号から着信が続き、そして無視しても留守電が必ず入る。
『××っていう交差点を曲がったよ――
『×××ってファミレスを通り過ぎたよ――
『×××ってアパートが見えたよ――
『――――――
『――――
『――
いい加減に鬱陶しくなり、その着信を拒否した。
これでやっと落ち着いてソシャゲが出来る。
そう安堵した矢先、今度はチャイムが鳴った。
今度はなんなんだ?
苛立ちながら、居留守をしようとも思ったが、部屋の明かりで在宅なのが丸判りであるため、仕方なくドアアイから覗き見る。
そこには、マンションの管理人がいた。
こんな時間になんの用だ? 家賃は親がちゃんと入れてるだろうし、それに自慢じゃないが騒いだりはしていない。
友達いないしな。ってほっとけ!
などと脳内で一人ボケツッコミをしながら、ドアを開く。
なんの用かと訊く前に、管理人の横にいたらしいガタイのでかい親父が三人現れ、彼に掴み掛かって拘束した。
誰だ! 一体なにがしたい!?
そう口走る前に、その親父どもが怖い笑顔を向けながら、
「はーい、警察だよ。大人しくしろよ。――くんでいいかな? キミには殺人未遂の容疑がかかっていてね。管轄は××県警なんだけど、県外にいるってことでうちの署が代わりに動いたんだよ。はい、これ逮捕状」
意味が判らない。殺人未遂? そんなの心当たりなんてない。
ことの成り行きに呆然とし、だがすぐに我に帰るとそんなことはしていないと彼は叫いた。
「あー、記憶にないか。まぁ仕方ないかな。被害届が出ていたのは十年前だし――」
親父――警察? 刑事? がそこまで言うと、その親父の懐にある携帯電話が鳴った。
親父は彼を他の二人に任せると、それで話し始めた。
そして僅かの後、その携帯電話を彼に差し出した。どうやら出ろということらしい。
全ての理解が追い付かないまま、彼はそれを受け取ると、笑っている子供の声がした。
『ビックリした? でも言ったよね「すぐに行く」って。ほらウソじゃなかったでしょ、行ったよね、警察が』
意味が判らない。なんでオレが捕まらなければならない。
『――って思っているんでしょ。実はあの後ね、激怒したボクの両親は警察に被害届を出したんだ。
『でもキミのジジイがお前を庇って、表に出ないようにされちゃったんだよ。
『いやー、あのジジイがやっと死んでくれたから、ちゃんと起訴出来るよ。
『お前は悪戯のつもりだったろうけど、真夏に外に放置されてるロッカーに閉じ込めるなんて、当たり前に殺人未遂だよ。
『それにあのとき、廃品処理業者の人が重さが違うって気付いて開けてくれなかったら、普通にボクは潰れて死んでたよ。
『ホント酷いよね。いくら山の中である程度涼しいからって、あの後ボクは脱水症で――ああ、今は熱中症っていうんだけど、それで死にそうになったんだ。
『酷い熱中症になるとどうなるか知ってる? 全身の筋肉が溶けてきちゃうんだ。横紋筋融解症って言うんだけどね。
『知ってる? 人の筋肉って横紋筋と平滑筋ってのがあるんだって。
『横紋筋は腕とか足とか、まあ筋肉って一般的に言われていて、平滑筋は内臓を動かす筋肉なんだって。
『でもね、内臓には一つだけ横紋筋で動いている筋肉があるんだよ。
『心臓が、横紋筋なんだ』
電話の先の声が、楽しげにそう告げる。
そしてこのとき彼は初めて、自分がなにをしでかしたのかを理解した。
だが、それは十年前のことで、もう時効になっている筈――
『あれー? もしかして時効になったとか思ってる? バカだなぁ。あ、バカだったね。ごめんごめん。
『2010年の4月から、殺人の時効は無くなったんだよ。あと被害届が出ていない傷害罪は十年が時効だけど、あの後で出されていたから立派に成立するよ。
『だから、殺人未遂でも傷害でも、お前を今でも充分起訴出来るってこと。
『おやおやぁ? なにも言えないのかな? 言わせないけど。あと「そんなつもりはなかった」は通用しないよ。お前の交友関係も事前に調べたけど、まー自己顕示欲がお強いようで。
『調べれば調べるだけ出るわ出るわ。弱そうな人を見つけると集中攻撃してたんだって? 最悪なクズだねお前。
『え? そんな真実はない? はは、「真実はいつも一つ!」て? サブカルの観過ぎだよ。
『いいかい、お前が言う薄っぺらい「真実」っていうのは、一つなんかじゃない。
『人には人それぞれの「真実」があって、一つや二つじゃなく、人や社会の数だけあるんだ。
『でも、「事実」は一つだけだ。
『お前がボクをロッカーに閉じ込めた「事実」――
『それでプレスされそうになった「事実」――
『熱中症で死に掛けた「事実」――
『その「事実」を判断するのは、お前じゃない。
『警察の仕事だ。
『それとお前の両親だけど、「もう面倒見きれないからどうでもいい。煮るなり焼くなり好きにしてくれ、こっちは関係ない」ってさ。
『唯一お前を庇ってくれてた両親に愛想を尽かされるとか、どれだけクズなんだよ。
『おっと忘れるところだった。お前の両親から伝言があったよ。
『「早目に死んでくれ。生きられてても迷惑だ」だってさ』
電話の向こうでことこと笑っているその声は、既に彼には届かない。
どうしてこうなった。
そう思うだけで精一杯であった。
『最後にね――』
呆然としている彼に、トドメを刺すように言った。
『電話番号の末尾が「0110」っていうのはね、全国でも大体警察なんだよ。あとは警察を騙る詐欺グループとか。そんなことも知らないんだね。ホント、考えなしなバカだね。
『ああ、ここまでバカだとバカに失礼か。
『もう生きている価値もないね。
『さっさと罪を償って、
『賠償金払って死んでくれない?』