第2章 (7) 出発一日目
テントを出ると外は僕が今まで経験したことがない位の寒さだった。寒い風が頬に当たりちくちくと痛く、まるでたくさんの蚊が楊枝を持って刺しに来ているのではないかと感じた。デジャインの服には幸いフードがあったので、僕はすぐにそれをかぶって風や寒さをしのいだ。それでもまつ毛はすぐに白く凍りついた。カエルの顔のペロは顔全体をヘルメットのような物で覆ってまるで宇宙服を着たような恰好をしていた。ガントは狼の顔で全然この寒さを気にしていないようだった。
その寒さの中を僕たちは列を作って歩いて出発した。テントを出てしばらくは森の中の平坦な道を進んだが、一時間位すると両側に大きな切り立った崖がそびえる深い谷の底を通る細い道になった。崖からはところどころに尖った岩が飛び出しすぐにでも落ちそうで怖かった。
「この絶壁はすごいな。こんな崖がずっと続くのかい?」ドロンがケインに聞いた。
「はい、次元の裂け目までずっと崖の間の谷を歩くことになります」
「岩とか落ちてこないだろうな」
「落ちてくることもありますよ。気をつけた方がいいです」
「俺が上を警戒しながら歩くよ」シャーリンが俺に任せろという感じで提案した。
「君だけに頼るわけにもいかない。俺も上を注意しながら歩く」ドロンが言った。
「でもこう地面が岩だらけだと足元を見るのに俺は必死だよ」健二が足元を注意深く見て歩きながら言った。地面は岩だらけで慣れない僕や健二は歩くのに苦労していた。凍っている岩もありときどき滑ることもあった。しかしその上を狼のガントは難なく歩き、ウサギのラドエもぴょんぴょんと跳ねるように苦労なく歩いていた。こういう場所に慣れているのだろうなと僕は感心した。
「僕やメイナもこういう岩は苦手だ」カエルのペロが言った。体の小さいペロには岩が大きいのか歩きにくそうにしていた。
「水辺がいいんだろ。水の中をぽちゃぽちゃと泳ぐのが得意だもんな」ガントが言った。
「ぽちゃぽちゃとは失礼な。せめてスイスイと言って欲しいな」ペロが反論した。
「私はちょっとこの尻尾が邪魔なの。こういう岩の上を歩くと」そう言ってメイナが尻尾を上に上げて左右に振った。
「あんまり役に立ちそうにないな」ガントの口は笑っていた。
「あんた、失礼よ。こんな可愛い娘を捕まえて、そんなこと言って」ラドエが嚙み付いた。
「ちょっとモタモタしてるから言ったまでさ」
「俺でも歩くのに苦労している。そう簡単じゃないさ、この岩の歩くのは」シャーリンが弁護した。
「そうよ、全く感じが悪い人ね」ラドエが元々赤い目をもっと真っ赤にして怒りながら、ピョンピョンと早足で先に歩いて行った。
「この谷のもう少し先が次元の裂け目の入口です。そのそばにテントがあるのでそこで今日は泊まります」三時間位歩いたところでケインが言った。途中、ときどき休憩をしてはいたが僕はもうクタクタだった。岩の上を歩いているためか、膝やふくらはぎに疲れがたまっていた。ケインはもう少し先と言ったがそれからまだ一時間位かかってようやく谷間が開け白いテントが見えた。
「やっと着いたあ」健二が嬉しそうに叫んだ。
「これで休めるわね」メイナが健二に微笑みながら言った。健二は頷きながらメイナに微笑み返していた。
外から想像したよりテントの中の天井は高く、部屋は広かった。そして何より暖かいのが嬉しかった。各人に小部屋が用意されていて、ありがたいことに大きな浴場まであった。僕と健二は急いで服を着替えて真っ先に浴場へ脚を運んだ。温泉なのだろうか浴場のお湯は丁度良い温度で浸っているだけで疲れが大分取れるように感じた。
「こんなところで温泉に入れるとは思わなかったな」健二が風呂に浸かりながら言った。「ああ、気持ちいいな」僕は隣で湯に浸かりながらお湯で顔を洗うようにしながら答えた。
そこへドロンも入ってきた。
「よお、お二人さん、来るのが早いなあ」
「僕たちはお風呂が大好きですから」
「俺も好きさ。Bの世界にもお風呂はある。狼やカエルの世界じゃ知らないがね」
「失礼な、僕たちの世界にもお風呂はありますよ」ペロも入ってきた。ペロの裸は、ホントに普通のアマガエルのようだった。
「それにしてもここまで来るだけでも大分疲れましたね」ペロが言った。
「明日もこんな感じなのかな」健二が聞いた。
「もっときついぞ」後ろから答えが聞こえた。シャーリンだった。
「え、そうなの。つらいなあ」健二が嘆いた。
「泣き言を言うな。若いんだろう」ドロンが健二の肩を叩きながら言った。
「明日には壁に着く。問題はそこからだ。壁の向こうにどうやって行くか。そして壁の向こうがどなっているのか。ウィンゼンの力のバランスを取り戻すのにどうすればいいのかも分かっていない」シャーリンが言った。
「わあ、先が思いやられる」健二が更に嘆いた。僕も今日一日だけでこれ程疲れてこの後やっていけるのか不安だった。
「どうにかもう少し楽にできないのですかね」ペロが言った。
「甘えるな。頑張ろうぜ」ドロンが言った。
「全く体力だけで生きているような人に付いていくのは大変ですね」ペロが嫌味を言った。
「そんなこと言わずに。今日は君も頑張ってたぞ」ドロンはペロの嫌味も気にせず逆に励ましていた。長いこと僕たちは風呂場で話をしながらゆっくりしていたが、最後までガントは来なかった。
夕食は広間で皆が集まって食べた。遠く離れたテントだがあらかじめ食材は豊富に用意してあったようで美味しいメニューがテーブルを賑やかした。明日もあるので僕はお酒は控えておくことにした。しかしドロンはお構いなしに飲んでいた。
「おい、たくや。飲まないのか?」
「明日にはまた体力使うので今日は止めておきます」
「そっかあ。お、ガントは飲んでるな」ドロンが隅っこに座っていたガントの所に行って酒を勧めた。
「ガント、結構、いける口みたいだなあ」
「ああ、酒は好きさ」
「そうだよな、酒は旨いよな。もっと明るく飲もうぜ」
「俺は早く帰りたいんだ。呑気に喜んでいられるか」
「まあ、そんなこと言わずに。俺も早く自分の世界に帰りたいのは変わりないさ。でもこの任務を達成しないと帰ることはできないしな。苦労ばっかり考えてもしょうがないし、飲むとき位は明るくしたいじゃないか」
「根が暗いんでね」
「ドロン、私も混ぜて」ラドエが寄ってきた。ラドエのジョッキには泡があふれんばかりにボイジョが入っていた。隣にメイナもいた。
「よお、もちろんさ。乾杯しよう」
「かんぱーい」
「かんぱーい」メイナも小さい声だが一緒に乾杯をしていた。
「この娘も結構、いけるみたいよ」ラドエがメイナを指で差しながら言った。
「お、意外だなあ。子供のようなかわいこちゃんが」
「私はこれでも立派に大人ですよ。うちの世界ではほとんどの人がお酒を楽しみます」
「お、それはいい世界だな。俺も行ってみたいな」
「このボイジョも美味しいですが、青い透き通った色のチャメニーってお酒があるんです。それがとても美味しいの」
「へえ、飲んでみたいな」ドロンが言った。
「ガントのところにはどんなお酒があるの?」ラドエがガントに聞いた。
「あ、色々な種類がある。まあここのよりは旨いな。豚肉のお酒が旨い」
「え、お肉のお酒があるの」ラドエが驚いたように聞いた。
「ああ、ある。そうそうウサギの肉の酒もあるな」
「きゃあ、失礼な」
「はははは。旨いぞー」
「全く、ホントに嫌な人ね」ラドエが怒って行ってしまった。
「おいおい、ガント。少しは遠慮して、気を遣えよ」ドロンが言った。
「ふん、いいじゃねえか」