第2章 (4) ジャグルおじさん
途中、うたた寝をしたりしながら何時間かが過ぎ、繭型の乗り物ムーコンは止まった。
「ジャクルの家に着きました。行きましょう」ケインが僕たちを促した。ムーコンを降りると正面に家があった。それは今までの繭型の家ではなく木で作られ、三角の屋根があり僕たちの世界の家にも似ている建物だった。その家の木は黒ずんだこげ茶色で、表面も擦れていたり荒れていて歴史を感じさせる風情だった。正面に真ん中に取っ手のある見慣れた普通のドアがあった。ケインが三回ノックした後、取っ手を回してドアを開けて家の中に入った。
「ごめんください。ジャグルさん。ケインです。Eの世界の人を連れて来ました」ケインが僕たちとしゃべるときより大きな通る声で家の奥に声をかけた。
「おー、いらっしゃい」奥から声がした。ちょっとしゃがれた男性の声だった。そして背のあまり大きくない年老いた男性が奥から歩いてきた。
「ごぶさたしております。ジャグルさん」ケインが頭を下げて挨拶をした。
「よう、お出で下さった」ジャグルと思われる男性が話した。その人は普通の人間の顔をしていて、口の周りと顎に白い髭を生やし、頭には豊富な白髪がちょっとボサボサと無造作に生えていた。年は八十歳位かなと僕は思った。雰囲気は西部劇の街の軒先で椅子に座って昼寝しているおじいさんのようだった。
「この人たちがEの世界から来たお二人です」ケインが右手を広げて僕たちを紹介した。
「はじめまして服部たくやです」
「堺場健二です」僕と健二が自己紹介をした。
「ほほう、あなたたちがのう。私はジャグルじゃ。よろしゅうな。どうぞ奥に入ってくれ」ジャグルが僕たちを奥に案内した。奥は広い部屋で中央に椅子やテーブルが並んでいた。壁などは木目がそのまま出た僕たちの世界の山小屋のようなイメージだった。壁の真ん中には暖炉があり火が燃えていた。
「なんか、落ち着くな」健二が言った。僕たちが椅子に座るとジャグルさんが飲物を出してくれた。日本の湯呑のような器に暖かい飲物が入っていた。
「長旅、疲れたじゃろう。外は寒いし。どうぞこれで温まってくれ」ジャグルが飲物を勧めてくれた。飲物はハーブティのような味がした。ジャグルが奥に何かを取りに行ったときシャーリンが小さくささやくような声で話しかけてきた。
「ジャグルさんは、ここに住んでもう千年にもなる」
「え?千年!」健二が思わず叫んだ。
「何、こそこそしゃべってんじゃ」奥から戻ってきたジャグルがちょっと笑った笑顔で大きな声で話した。
「そうだよ、わしはもうかれこれ千五百年間生きておる。ここに住んでもう千年じゃ」ジャグルがちょっと自慢気に言った。
「千年という時間がどの位なのか俺には想像できませんよ。だって俺は二十歳ですよ」健二が言った。
「二十歳かあ、若いなあ。まだこれから多くのことが経験できていいのう」ジャグルが言った。
「生まれてから千五百年の経験ってどうでしたか?」僕が聞いた。
「色んなことがあったぞ。二百年前には戦争もあった。今でこそ平和で国家もないこの世界だが、まだその頃は小さな国に分かれておってな。西の大国の王と東の大国の王が争ったのじゃ。ある豊かな土地があって、そこを自分の領土だとお互いに主張しあって譲り合うことはせず戦になった」
「結果はどうだったんですか?」僕が聞いた。
「はは、争っていた土地以外に豊かな土地が多く見つかって、領土争いがどうでもよくなったので戦争は終わった。でもお互いの王の意地があったので他の豊かな土地が見つかっても、その後二十年も戦争は続いたがのう」
「二十年というのも長いですね」
「愚かなことじゃ。今はお互いに我儘を言っても始まらないことに気づいたので戦争はなくなったがのう」
「それだけでもすごいですよ。俺たちの世界ではまだ戦争をしていますよ」健二が感心したように言った。
「自分たちはバランスを取れるようになったが、外の力には抗えないでいる」ケインが言った。
「ウィンゼンの力か。確かに近年の気温の低下は異常じゃ。でもわしからすれば、それも自然の摂理のひとつのように感じるがのう」ジャグルが言った。
「いや、これは明らかに異常です。そして予見でも修正できると言われている。私たちは諦めていません」ケインが反論した。
「まあ、頑張ってみるのじゃな」ジャグルがなだめるように言った。
隣から水の流れるような音がした。
「あの水の音はなんですか?」僕が聞いた。
「おう、こっちにおいで」ジャグルが立ち上がって僕を手招いた。部屋の端に引き戸があり、その引き戸を開けるとそこには壁一面がガラスのような物で覆われた大きな水槽があった。中には水草が揺らぎところどころに魚も泳いでいた。
「すごく大きな水槽ですね」
「ここにたくさんの水草や魚や蛙、虫などが生きておる」
「飼ってるんですか?」
「飼っていると言うよりただ放置しているだけじゃ。ときどき掃除をしたり餌を与えたりはするがな」ジャグルは嬉しそうに喋った。
「この水槽はわしがここに暮らし始めてすぐに作ったものでそれからからずっとここにある」
「千年以上ここにあるということか」健二が言った。
「そういうことじゃ。大きな魚もおるが、わしが好きなのは微生物じゃ。ミジンコもおるし、もっと小さい生き物もおる。どれもけなげに生きている。その微生物の中にも細胞があり、その細胞の中には色んな組織や分子や原子が機能しておる。まるで宇宙のようなものじゃないか。それを時々顕微鏡とかで覗いて、小さな生命の力を感じるのが好きなのじゃ」
「微生物ですかあ」健二は感心していた。
「相変わらず奇妙なことをしていますね」シャーリンが言った。
「これがわしの趣味じゃ。ハハハ」ジャグルは笑った。
そのときだった。椅子の上に置いてあった僕のバックバックが急に振動し犬が唸るような音が聞こえた。
「あれ?」僕は戻ってバックバックを開けてみた。すると布にくるんだジャレインの欠けらがブルブルと振動して音を出しオレンジ色の光をほのかに発していた。
「どうした? なんじゃ、これは?」付いてきたジャグルが言った。
「ウィンゼンから七つの世界に配られたと伝えられるジャレインの欠けららしいです。ネリル教授がそう言っていました」シャーリンが言った。
「ネリル? あーあのおばさん先生か。元気にしとるか彼女は?」
「えー相変わらず元気に楽しそうに暮らしてますよ。昨日、この欠けらを見てもらうために会ってきました」シャーリンが笑顔で答えた。
「あいつがまだ子供のときにここに遊びに来たことがあるよ。お転婆で元気な子供だったなあ」ジャグルが言った。
「なぜこんな音が出ているんだ。振動しているな。それに光っているな」シャーリンが言った。
「この色の光でした。僕たちが洞窟の中で見たものは」僕が言った。
「おや?」急にジャグルは額にしわを寄せ、怪訝そうな表情で横を向いた。そして駆け足でドアから外に出た。
「どうしたんです?」ケイン、シャーリンもジャグルに付いていったので、僕も一緒にジャレインの欠けらとバックバックを持って追った。外にある古びた小屋にジャグルは入って行ったので僕たちも一緒に中に入った。中には倉庫のように木箱や道具が両脇から奥にかけて山積みになっていた。そして山積みの右上の木箱から音が聞こえた。それはジャレインの欠けらが出しているのと同じような犬が唸っているような音だった。僕が箱に近づくとジャレインの欠けらと箱の音が共鳴しているように大きくなった。そしてジャレインの欠けらのオレンジ色の光も強くなった。
「この箱に何が入っていたかな」ジャグルが隅にあった脚立を持ってきてその木箱を取り出した。木箱はぶるぶると振動していた。ジャグルがくぎ付けされた蓋をこじ開けると底の方から青い光が漏れていた。ジャグルが箱の中に手を入れ奥から細長い布の袋を取り出した。布袋からその青い光は漏れ出ていた。袋の口を開けてジャグルが細長い棒状の物を取り出した。その棒が振動し青い光を発して輝いていた。
「これは!」ケインが目を見開いて驚いていた。
「ジャレインの欠けらだ! Aの世界では見つかってなかったがここにあったんだ」シャーリンが叫ぶように大声で言った。
「この箱は百五十年位前にしまったものじゃ。確かこの欠けらはわしが森を歩いているときに拾ったものだ。これがジャレインの欠けらだったとは、わしも知らんかった」
「これを持って行っていいですか? 伝記によるとウィンゼンの力のバランスを保つために役立つと言われています。Eの世界とAの世界の物が揃えばより力を発揮するのではないでしょうか?」ケインが言った。
「もちろん構わんよ。だいたいわしはこれがあることも忘れていた物じゃ。お前たちに上げる。好きに使ってくれ」ジャグルは笑いながら言った。僕の持ってきた欠けらとここの欠けらの光と振動は十分位すると止んだ。一体、どうしたら光り、振動が始まるのか不思議だった。
その夜、ジャグルはたくさんの料理と飲み物を振舞ってご馳走してくれた。飲み物はあのビールにそっくりなボイジョが出された。
「ほら、どんどん飲んで、食べろや。これから厳しい旅じゃろうからな」ジャグルはボイジョをどんどん注いできた。
「いやーボイジョも旨いし、料理も旨い」健二が嬉しそうに食事を頬張っていた。
「ジャグルさん、この料理はジャグルさんが作られたんですか?」シャーリンが聞いた。
「他に誰がおる。ここにはわし以外誰も住んでいないんじゃぞ」
「いやー、ホントに美味しいです」ケインも感服していた。
「千五百年も一人で生きておれば自ずと料理も上手くなる」
「ずーっとおひとりなんですかあ?」シャーリンがからかうように言った。
「まあ、ずーっとって訳じゃないが」
「知ってますよ。二十年前までは奥様がいらっしゃったじゃないですか?」
「いや、彼女とは結婚はしていなかった。まあ友達のようなもんじゃ」
「おっと、友達じゃなくて愛人なのでは」シャーリンが突っ込んだ。
「何をもって愛人というのか知らんが、結婚はしてなかったということじゃ」
「やるなあ、じいさんも」健二が笑いながら言った。
「一緒に暮らした女性は百人以上おる」
「すげえ」
「それでも微生物の方がわしは好きじゃがの」
「それはもっとすげえ」健二が驚いたように言った。
「恐れ入ったか。それならもっと飲め」健二のジョッキにボイジョが並々と注がれ、健二はグイっとそれを飲んだ。僕も一緒に笑いながらボイジョを飲み、美味しい食事を楽しんだ。後半になると酔っ払って陽気になったケインがジャグル、シャーリンと一緒に歌を歌って騒いだ。その歌は遠くの民俗音楽のようでもあり、聞いたこともないような独特の調べだった。真面目なケインもこんなに陽気になるんだと思って楽しく、その調べに乗せて僕も歌を口ずさんだ。
目が覚めたら僕は小さな部屋の中のベッドの上にいた。既に周りは明るく朝のようだった。隣のベッドには健二が寝ていた。僕はいつこの部屋に入りベッドに寝たのか覚えていなかった。酔っ払って記憶をなくして寝てしまったようだった。
「よう、起きろよ」僕は隣の健二を揺り動かした。
「うん、あーおはよう」健二が眠気眼で僕を見た。
「いつ寝たのか覚えてないんだけど」僕が言った。
「俺も覚えてないよ。気持ちのいいベッドだなあ」
「呑気なこと言ってないで。今何時だろう?」僕は起き上がって寝室を出た。寝室の左手に夕食を食べた大部屋があった。そこのテーブルの前に既にケインとシャーリンが座っていた。
「おはようございます」僕は挨拶した。
「おはよう。二日酔いじゃないか?」シャーリンが微笑みながら言った、
「いや、大丈夫そうです。今は何時ですか?」
「朝の八時だ。朝食を食べたら出発しようと思う」シャーリンが言った。
「お連れ様は?」ケインが言った。
「もう起きてます」
「じゃあ顔を洗ったら朝食を食べよう」
「はい」
朝食を早々に済ませ僕たちは外へ出て乗り物ムーコンへ向かった。ジャグルが見送ってくれた。
「健二君、たくや君。昨日の君たちとの話はなかなか面白かったぞい。わしもEの世界に行きたくなった」
「Eの世界の女性に会いたいんでしょ」健二が言った。
「はは、図星じゃ」ジャグルは顔をくしゃくしゃにして大笑いした。
「次元の裂け目の旅は大変だと思うが、気をつけてな。君たちの体の中にも微生物は生きておる。きっと彼らが君たちの手助けになる」
「また微生物とか細菌の話ですかあ」健二がちょっと呆れたように答えた。
「微生物をバカにしておるな。彼らがいて自然が機能しわしらは生きておる。微生物のご加護を」
「わかったよ。ジャグルじいさん」健二が言った。
「ありがとうございます」僕は手を差し出してジャグルと握手した。皺だらけの彼の手は思ったより力強く僕の手を握り返した。その暖かい手が僕の心に沁みた。