婚約破棄という甘美な言葉
「クリフ゠オーギュスタン!貴方との婚約を破棄するわ!」
ジゼル・フレデリーク゠レィファイユ皇女殿下が17の歳を迎える、その祝賀会は、レィファイユ皇国の宮殿で煌びやかな様子で開催されていた。
周辺国の王族・大使を含め多数の貴族が招待されたその祝賀会。
皇帝夫妻が座す壇上の、そのまさに目の前で高らかに婚約破棄を宣言したのが、祝賀会の主役であるジゼル・フレデリーク゠レィファイユ皇女殿下本人であった。
銀の髪に白い肌。今宵は主役として、レースを幾重にも重ねた淡紫の品のある豪奢なドレスを身にまとい、妖精の王女と呼ばれるにふさわしい佇まいである。
「………ジゼル殿下、理由をお聞かせ願えますか?」
今し方、祝いの言葉を述べたばかり。
オーギュスタン公爵家嫡子のクリフは、礼を崩さないまま、理由を問いた。
ジゼル・フレデリーク゠レィファイユ皇女殿下の婚約者として、政略的な意図をもって選ばれた彼は、金髪碧眼の華やかな顔立ちでありながら、騎士教育を受け剣技にも優れた美丈夫。
18を過ぎ、これからは皇国の軍か、それともその頭脳を生かして政治中枢に関わるのか、注目の若手貴族の1人でもあった。
「理由もなにも、心当たりがないとは言わせないわ!」
対するジゼルは、新調した羽の扇をふわりと広げ、口元を隠しながらもよく通る声で糾弾した。
皇族の一員として、慈善事業にも熱心な彼女が、これほど声を荒げることは珍しい。祝賀会に出席した貴族はジゼルの次の言葉を待った。
「あなた!また私を題材にした詩をつくったわね!!」
ジゼルの言葉に、クリフは喜色満面の笑みを浮かべ顔を上げた。
「ご覧いただけたのですか?!貴女の幼少期からこれまでを謳った私の詩を!!」
「目に入れたくなくても耳に入るわよ!なによ『ジゼルのすきなもの(歌劇編)』だなんて!私の好きな劇団とその俳優をこと細かに調べ上げてしかも匿名で出したファンレターの一文まで入れ込んで!!!この歳まで秘めた想いで応援していたのに、貴方のせいで世間に知られてしまったわ!!!」
「5歳の貴女は、野獣役の方に、怖いから牙を小さくして、とお願いしていたのに、14歳の時には野獣の荒々しさが好きと告白するその心境の変化を私なりに丁寧に描かせていただいたのですが」
「やめて!14歳の時のことは触れないで!あの頃はそういうものが好きだったのよ!」
「最近は野獣から青年の姿に変化した後の立ち居振る舞いに注目されているようですが」
「やめて!今のことも触れないで!!というより、私の趣味嗜好を調べるだけでなく、それを世間に知らしめたことが許せないの!貴方との婚約はこの場この時をもって破棄するわ!!今後一切、私に話しかけないで!」
「……………」
「聞いてる?!」
「いえ話しかけないでと仰いましたので」
「返事ぐらいはしなさいよ!!!」
ジゼルの言葉を聞いた貴族達は、この頃市民の間で流行るエッセイ記事を思い起こした。
皇国で100年以上の歴史を誇る人気劇団。
その劇団俳優を新たな視点で評価する記事を読み、これまで劇団に興味のなかった人々もその俳優を観に劇場に足を運んだ。
最近ではチケットの取りにくさが問題になる程。
確かに、その記事は前半部分が詩を模した、ジゼル皇女殿下の思い出話から始まる。
てっきり、ジゼル皇女殿下が投稿したものと思っていたが、クリフの記事だったのか。
ジゼル皇女殿下のお忍び観劇は有名なので、市民の誰もが本人の記事と疑っていなかった。
「あなたのせいで、最近は市民から私宛に投書が来るようになったわ!新人の俳優についても記事にして欲しいだなんて…」
「ジゼルも最近注目している若手のことですね?まだ彼はダンサーとして台詞もありませんが、あの表現力は目を見張るものがある。今度投稿しておきましょう」
「そうなのよ、彼は踊れるだけじゃなく、その表情も…って!違うの!私の名前を使って記事を投稿する貴方が許せないの!この先貴方と生涯を共にするだなんてお断りよ!この場を借りて、私は宣言するわ!貴方との婚約は破棄します!」
ジゼルはクリフとの会話を打ち切ると、柔らかな笑みを浮かべ、壇上の席に座り直した。
その隣に座る皇帝夫妻も穏やかな笑みを浮かべており、ジゼルの実の父親である皇帝は、クリフに静かに話しかける。
「して、クリフよ。此度で58回めの婚約が破棄となるが、その方はいかが考える」
「皇帝陛下、皇后陛下。ご機嫌麗しく。それでは59回めの婚約の締結をお願いしたいのですが、お許し願えますでしょうか」
「うむ。今度こそ仲良くな」
「はっ、有難き幸せ」
皇帝夫妻に深々と頭を下げるクリフ。
あっさりと決まる再締結に、ジゼルは目尻を吊り上げて抗議する。
「お父さま、お母さま?わたくし、たった今、婚約破棄を申し立てたところでしてよ?!」
「ジゼル、喧嘩するほど仲が良いと言いますから」
「お母さま?!」
皇后はジゼルを窘めると、次の謁見を指示した。
クリフはジゼルの婚約者ということもあり、謁見の順はかなり前の方。まだまだ続く謁見に、ここで時間をかけるわけにはいかない。
「ジゼル皇女殿下」
謁見も終わりとなり、クリフは退去の挨拶となる。
「今宵の貴女もとても美しい。新たな歳も実りある一年となりますよう。愛しています」
これまで何千何万回と告げてきた愛の言葉は、ジゼルの心に届くだろうか。
微笑むクリフに、ジゼルは目を逸らすことはなかった。
クリフはその様子に満足し、最後に一礼をしその場から離れた。
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レィファイユ皇国の宴は長い。
皇帝夫妻、そして今宵は皇女殿下への謁見は明け方まで続くが、出席する貴族はその傍らで社交を行う。
謁見が終わる頃に解散となるのが、儀礼も含めた宴の様式だ。
「ところでね、クリフくんよ」
「……なんですか?義父上」
宴が終わった後、堅苦しい形もなく、こっそりと杯を交わすのもよくあることで。
「まだ縁は交わしてないと思うけど、もうその呼び方でいいよ。君ね、ジゼルともう少し穏やかに過ごせないのかね」
「私なりの愛情表現なんですけどねえ」
「重いの。とにかく重いの。ろくに話せてもいないと思うのにどうしてジゼルの歌劇好きまで知ってたの」
「見てれば分かりませんか?」
「ついこの間まで、辺境に賊の退治に遠征してたよね?いつ見てるっていうんだ」
「私の愛の深さを見くびらないでください。…あ、こちらをどうぞ」
小さな円卓を2人で囲み、くだを巻きながら酒を煽る。
この華やかな宮殿にひっそりと隠し作られた小部屋は、皇帝とごく限られたものしか知らない秘密の部屋だ。
クリフは、自分の秘書官に預けておいた書類の束を、未来の義父上に手渡した。
「んん?これは…」
「ダリ地方の治水工事の計画書です。人足のほか、物資の調達に目処が立ちましたので。遅くなり申し訳ございません」
「君に課題を出したのは、つい、ひと月前なんだけどね……。これで57回めの婚約破棄の貸しは無しだね。58回めの婚約破棄の貸しは……。ううん、君のおかげでだいぶこの国の課題も解決してきて、急を要するものが少なくなってきたなあ……」
満足そうな様子に、クリフは言い募る。
「ではそろそろ、婚約ではなく、婚姻させていただけませんか?年齢も問題ないと思いますが」
「まだジゼルは17だよ?!18の成人を迎えるまでは早過ぎる」
「………隣国の齢15の王女を、皇太子殿下の妻に迎えたのはどの皇国のどの皇帝でしたっけ」
「よそはよそ、うちはうち」
「いい加減、私もジゼルとゆっくり話す時間を頂きたいのですが」
「君が私にジゼルとの婚約を願い出て、まだ15年だよ?もう少し待てないの?」
「…………せめてお茶の時間の頻度を週に一度から日に一度に」
「毎日話したいだなんて、君が仕事にならないだろう。そんな腑抜けたことを言うなら、今度は南に遠征」
「週に一度で構いません、もう少し都にいたいなあ!!!!」
クリフは、大声でかき消すと、強い酒が入った杯を煽った。
ちくしょうこの狸じじい。
可愛いジゼルを盾に、人をこき使いやがって。
「ジゼルと話したい………彼女と婚姻出来なければ、この国がどうなるか覚えておけよ……」
「もしもーし、声に出てるからね。謀反は心のうちにしまいなさい」
「……覚えておけよ……」
「聞こえてる?あ、もう酒にのまれたの?しかし、君もジゼルを見てるなら気付きなさいよ。劇団のことまで気づいたならねえ…」
可愛い娘をもつ父親は、部下から早速取り寄せた噂の記事と、劇団の情報が書かれた報告書を懐から取り出した。
「ジゼルが応援する俳優は、君と同じ金髪碧眼ばかりじゃないか…しかも観劇に行くのは君が都にいない時ばかり…」
その行動が何を表すのか。
そして、婚約者とたまに顔を合わす度に「婚約破棄!」と宣言する娘は何を望んでいるのか。
「成人まで、あと1年かあ………」
酔い潰れた義理の息子を見やり、ちびりと酒を飲む。
こぉんな小さい頃からは想像もつかないほど、体躯も立派に、そして頭脳明晰に育った男。
娘が欲しけりゃこれぐらい出来るよね?と冗談半分に言ったことをことごとくこなした男。
あまりに必死な様子に、怖気ついたこともあった。
可愛い可愛い娘を思い、皇帝は呟いた。
「ごめんね、あと1年しか守ってあげられないかも…」
この男は、娘と婚姻したらどれだけ熱烈に愛を捧ぐのだろう。
近い未来を想像し、ほんの少し身震いする。
「孫に会う日も近いかもしれないな…」
それはそれで、喜ばしいこと。
毎年の祝賀会のあと、こうやって杯を交わすのは今年が最後かも。
未来の義理息子に、未来の義父はそっと杯を掲げた。
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(久しぶりの投稿でしたが楽しかったです!)
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【5/24 18:00 ジゼル視点の続編を投稿しました。】
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