争い渦巻く第六領域『ファーストプレイヤー:イオ・アガリス』20
ガリッ、ボリッ、ゴリッ。
咀嚼音が響く。
頭を噛み砕かれた百々目鬼の胴が、腕が、足が、みるみる間に現れた獣の口の中に消えて行く。
それは吐き気を催す光景だった。
彼女の身体を飲み込んで行く度に、獣に生えた七本の尾の、半ばから断たれていた一本が伸びて行く。
現れた体長が十メートル程もある巨大な獣、七尾の大虎は、自らがさし向けて敗れた配下を喰らって、己の傷を癒しているのだ。
目の大半を潰されて、私から逃げようとしていた百々目鬼に、七尾の大虎の牙から逃れる術はなかっただろう。
私は配下を餌と喰らう七尾の大虎の行いと、仕留める寸前の獲物を横から奪われた事に、腹の底が煮えるような強い怒りを感じてる。
けれどもそれと同時に、刻一刻と回復して行く七尾の大虎の威容に、頭は氷水を被ったかの様に冷たくなってた。
相反する二つの情動に、私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
七尾の大虎に回復を許していなければ、ゴーラと二人掛かりでなら、私がダメージを負っていなければ、相手の意表を突く不意打ちならば……、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
完全に条件が整っていたならば勝ちを掴む事も出来ただろうが、今の状態で、単独で七尾の大虎に勝利するのは、些か以上に難しそうだ。
だがまぁ、やっぱり門の加護を使って奇襲を仕掛けるべきだったと、ゴーラを責めるのは筋違いだろう。
私だって弐の島に渡って襲撃を待つ事に同意した。
要するに少しばかり、七尾の大虎を甘く見ていたのだ。
相手の出方を伺いながらでも、最終的な勝利は掴めるだろうと。
大きく息を吐き、心と身体を整える。
乱れを収め、自分を細く鋭く刃の様に。
ゴーラがこちらに合流するには、まだ暫く掛かる筈だ。
彼を追った鵺が、私の戦った百々目鬼と同程度の強さを持つならば、恐らくあちらはギリギリの戦いとなっている。
私はゴーラの勝利を信じて疑わないし、彼の性格上、戦いが終われば七尾の大虎に怯えながらも、絶対に合流しようとするだろう。
故に私は、何としても向こうの決着が付くまで七尾の大虎を引き付け、尚且つ生き延びねばならない。
七尾の大虎は百々目鬼を最後の一欠けらまで飲み込んで、何やら満足そうに目を細めてる。
ピンと伸びた七本の尻尾は力に満ちており、七尾の大虎が負った傷は完全に癒えてしまったであろう事を伺わせた。
さて。
べろべろと口の周りを舌で舐め、食餌の余韻に浸っていた七尾の大虎の姿が不意に消える。
退けば死ぬ。
私はそう直感し、一歩前に踏み出して刃を振う。
その刹那、私の短剣は七尾の大虎が繰り出した爪を切り飛ばし、ついでに前脚をザクリと切り裂く。
けれどもその程度では七尾の大虎の攻撃は止まらずに、バチンと前脚ではたかれる形になった私の身体は、凄まじい勢いで弾き飛ばされた。
私の身体はぶつかった木を圧し折って、更にゴロゴロと地を転がって漸く止まる。
……物凄い痛い。
心が少し挫けそうになるが、寝ている余裕なんてないので気力を振り絞って立ち上がり、口の中に溜まった血を吐く。
吐いた血に気泡は混じっていないから、あばらが折れて肺に刺さった訳ではない筈だ。
恐らくは口の中を切ったのだろう。
要するに動くのに支障のあるダメージじゃない。
しかし芯に響いた衝撃に、身体の肉がぐずぐずに崩された様な最悪の心地がする。
思えばこれ程のダメージを戦闘で受けた経験は、これまでになかったと思う。
確かに毒と呪いを受けた時も命の危機だったが、あのダメージはここまで心に響かなかった。
寧ろ何とか生き延びようと、必死に足掻いて耐える気力すら湧いたのだ。
けれども今は、膝が震えて笑う。
四肢から力が抜けそうになる。
七尾の大虎の攻撃は、身体だけでなく心も砕く絶望の一撃だった。
でもだからこそ、あぁ、間違いなく、震える程にこの窮地が楽しい。
だってこんな絶望的な状況を経験するのは初めてだ。
私は今、初めてを体験している。
アルガラード領域に来て良かったと、心の底からそう思う。
口元を拭い、短剣を構える。
私はあの衝撃にも短剣を落とさなかったし、短剣も圧し折れずに耐えてくれた。
あの直感の通り、退けば爪で切り刻まれて死んでいただろう。
短剣が爪を切り飛ばし、更に前脚を切って痛みで七尾の大虎を僅かに怯ませたからこそ、弾き飛ばされたダメージも致死の物とはならなかった。
ついでに言えば、少し前のステイタス更新で、頑健をBに上昇させていなければ、さっきの一撃で死ななかったとしても、立ち上がる事は出来なかった筈。
つまり私は幸運だ。
手傷を負った七尾の大虎は、警戒からか追撃を仕掛けて来ない。
私は大きなダメージを受けたが、相手にも確かにダメージを与えた。
故に勝ち目は薄いが、皆無と言う訳でもないだろう。
ならばもう少しこの窮地を楽しめる。
ゴーラと合流する為の時間を稼ぐと言う考えは、既に私の中から消えていた。
時間を稼ごう何て甘い考えで相対して、僅かでも生き延びられる相手じゃない。
全力で殺し切る心算で掛からねば、まともに戦う事すら難しい難敵なのだ。
思い切り地を蹴り、前に向かって駆け出す。
私の身体は一歩ごとに勢いを増し、弾き飛ばされた時よりも遥かに早い速度で七尾の大虎に接近する。
七尾の大虎は前脚を振り下ろして迎え撃たんとするが、一度攻撃を喰らってほんの少し慣れたからだろう。
その攻撃はハッキリと、さっき私が切り裂いた傷がもう塞がってしまっている所まで、見えた。
スライディングの形で地を滑り、振り下ろされた前脚を潜り抜け、腹の下まで潜った私は短剣を振う。
傷口から噴き出した血に、私の顔は朱く染まる。




