第三領域と先駆者『ファーストプレイヤー:イオ・アガリス』38
図書館は出入りの度に料金が掛かり、当たり前だが飲食物は持ち込み出来ないので、私は早めの昼食を適当な店で済ませてから図書館へと入る。
そして閉館の時間である夕方頃まで本を読み漁り、保証料である金貨一枚を返却して貰ってから外に出た。
と言っても、当然ながら今日一日では読みたかった本の全てを読み切れる筈もない。
恐らく一週間は、この図書館に通い続ける事になるだろう。
依頼人は私にこの国の言葉だけじゃなく、読み書きの知識もくれているから、難解な言い回しをする本でも何とか読める。
しかしだからって、長時間の読書に目が疲れない訳じゃなく、外に出た私は瞼を閉じて目の周囲を軽く揉む。
どうやらその私の様子は、酷く無防備に見えたらしい。
だから懐に向かって伸びてきた手を、私は目でなく気配で察知して、空いた片手で掴み取った。
「なっ!?」
驚きの声をあげたのは若い男だ。
スリの癖に、意外と良い身なりをしている。
恐らく中層街で目立たない為の格好なのだろうが、袖口から覗く手は貧困を経験した、苦労を語る手だった。
まあそれでも折るけれど。
ボキリと音を立てて男の小指と薬指がへし曲がる。
「がああぁぁぁぁぁっ!!」
指を折って直ぐに離してやれば、男は大きな悲鳴を上げながらも手を抑え、必死に走って逃げていく。
図書館から出て来た者を狙うスリが居ると言うのは、実は事前に注意を受けていた。
何せ図書館から出て来たばかりの者は、最低でも確実に保証金の金貨一枚を持っているのだ。
金貨一枚は大金だから、狙う獲物としては最上に近い。
勿論大金を持った相手は警戒心も強いし、何より中層街は下層街に比べれば人通りも少ない上に警備の兵士は多いから、リスクは当然の様に高くなる。
だから多分さっきの彼は、スリとしては実力のある凄腕なのだろう。
別に捕まえようとは思わなかった。
多分もう二度と彼は私を狙わないだろうし、彼から話を聞いた同業者も同じ筈。
そもそもあの手の怪我を、巡回する衛兵に見付かればそのまま捕まる可能性もあるけれど。
そんな風に考えながら、ぼんやりと逃げ行くスリの背中を見送っていると、パチパチと拍手の音がした。
「凄いわね。あんなの初めて見たわ。達人の技って奴なのかしら? ねぇ、旅人さん、少し私とお話して下さらない?」
その声に振り返れば、そこに居たのは一人の少女。
見覚えは少しだけある。
私が図書館で本を探す時に、席で読書中だったのを数度見掛けた。
豊かな金色の髪とパッチリした大きな瞳が目を引き付ける十四、五歳位の、まあ美しいと言って大袈裟でない少女だから、印象に残っていたのだ。
しかし本を読んで居る時は大人し気な少女に見えたが、あの現場を見て声を掛けて来るなんて随分と豪胆な事である。
寧ろ今の好奇に満ちた瞳と、明るく勝気そうな表情を見ていると、図書館で彼女を見た時に感じた私の印象が間違いだったと思えてしまう。
行き成り声を掛けられた私が少し戸惑い、少女を観察しながらどうするべきかを迷っていると、
「なりませんお嬢様。もう日暮れの時間です。早々に帰宅せねば旦那様がご心配されましょう。また旦那様の許可なしに客人を招く事も出来ません」
彼女の後ろに控えていた青年が、諫める様にそんな事を口にした。
成る程、彼は彼女の家に仕える家人か。
どうやらこの少女は、それなりに良い家のお嬢さんらしい。
……と言っても貴族なら大図書館を利用するだろうから、大きな商家の娘か何かだろう。
「……えぇ、そうね、そうだわ。ごめんなさい旅人さん。私から声を掛けたのに何のおもてなしも出来なくて。私はセレス・ランフォード。せめて貴方の名前を聞かせてくれないかしら?」
護衛の言葉に、僅かに不満気に唇を尖らせたが、正論には勝てないと察したのか溜息を一つ吐き、私に向かって名乗る少女、セレス・ランフォード。
いや、全く聞いてないし、どう対応しようか悩んでた位だから別に失礼でも何でもないが、これは私も名乗る流れだろうか?
「旅人イオ。イオ・アガリス。暫く通う」
姓を持ち、私にそれを名乗った人は初めてだったから、私もフルネームを名乗る。
暫く通うのは図書館に。
だからもし彼女が会おうと思うなら、図書館に来れば良い。
尤も、図書館の中ではお喋りをする訳にもいかないだろうが。
……しかしそれにしても、さて、どうしよう?
「知り合い?」
と、私はセレスでなく、彼女の後ろの護衛に問う。
でも彼は怪訝な顔をしたので、どうやら違うらしい。
ただ直後に何かに気付いた様で、周囲をぐるりと見渡した。
セレスは不思議そうな顔をしてるけれど、間違いなく狙われてるのは彼女だろう。
一、二、三……、多分七。
七人程の誰かが、遠くからこちらの様子を窺っている。
割と巧妙に姿を隠していたから最初は数はわからなかったが、セレスの護衛が辺りを見回した際に、気配が揺れて察知が出来た。
「イオ様、申し訳ありませんが、五番区画の門まで、お嬢様をお送り願えませんでしょうか?」
そんな風に、表情に苦渋を滲ませて願い出る、セレスの護衛。
五番区画の門と言う事は、……セレスは貴族の令嬢らしい。
私の予想は外れたが、一体なんで態々、こちらの図書館に来たのだろう。
間違いなく厄介事だった。
目の前の護衛は、私を巻き込み犠牲にしてでも、仕える主の娘であるセレスを守ろうとそんな提案をしている。
勿論そんな事情は私には関係ないけれど、護衛を不審そうに見、私を僅かに期待の混じった目で見るセレスを、見捨てるのは寝覚めが悪い。
「相手が少し多い。貴族門に入れば平気?」
問えば、護衛は感謝と安堵の表情を浮かべ、大きく頷く。
良かった。
旅人の私では、貴族門は越えられない。
上層街へと入れるのは貴族か、役人や出入りの商人など、一部の許可を持つ者だけだ。
城や貴族に招かれたなら別だろうが、セレスが勝手に私を客人として招く訳にはいかないのは、先程護衛が口にした通りである。
だから貴族門を越えた場所で彼女等が襲われた場合、私に手出しをする手段は、今の所持ち合わせていなかったから。
「セレスもう暗い。門まで送るから、そこまで何を話したい?」




