ネージュは昔話を聞く
夏の最も暑い時期も過ぎ始めた頃、オパール公爵領の領邸では激震が走った。
王妃アンナミラが数人の護衛を連れ訪れたのだ。夏の避暑で王都の外へというのは、貴族のステータスだ。しかしいままで王族がオパール公爵領に来た事例がない。
「申し訳ございません、ネージュ様は体調不良でお会い出来ません」
「肺が悪くなったと聞いたけど、こんな環境のよい所でもまだ治らないほど悪いのかしら」
アンナミラは、栗色の髪に緑の瞳の初老の女性だった。新緑を思わせる瞳は、心配だとそわそわさせている。
「念のため宮廷医についてきてもらったから診てもらったらどうかしら。私にとってネージュちゃんは、娘も同然ですからね」
アンナミラは、後ろに控えた男に目配せすると男は心得たとばかりに頷いた。
「あの本当に大丈夫ですので」
アンナミラと中身が3歳のネージュを会わせるわけにはいかないので、セッティは必死の説得を試みていた。
「それよりもアンナミラ様、本日はこちらにお泊まりということでよろしいでしょうか。このような時間に帰してしまったとなればお嬢様が心配なさります」
「そうねぇ、ここ辺鄙なところに建っているから町の宿までに暗くなるのよね。泊まらせていただきたいのだけれど、大丈夫かしら」
「はい、ではそのように準備致します」
セッティは、隠し通路に身を潜めている侍従長に視線を送ると視線が消えた。セッティは、ネージュの代わりにこの場で対応しなければならない。
「お部屋を準備致します。それまでこちらでお待ちに」
「ねぇ、お客様ってどんな人?」
「おっ、お嬢様」
ネージュが部屋に顔を覗かせ笑顔を見せた。アンナミラは、立ち上がるとネージュの顔や体をペタペタ触る。くすぐったそうにネージュが身を捩りアンナミラは満足した顔をした。
「ネージュちゃん、元気そうね。病気だって聞いたけど王都にいたときよりも元気そうね。安心したわ」
「えっとね、おばちゃんだぁれ?」
「ネージュちゃん? 私のこと忘れてしまったの」
アンナミラは、どこからかハンカチを出して涙を拭う。
「あのね、ネージュ記憶? がなくなっちゃったの。忘れてごめんなさい」
「いいのよ、あなたが元気なら。アデールと私約束したもの。あなたが健やかに育つように見守るって。顔立ちが本当にアデールにそっくりよね」
アデールは、ネージュとグラソンの母だった。ネージュを出産後体調が戻らず流行り病に罹り亡くなっている。
アデールとアンナミラは、従兄弟同士でお互いによく知る仲だった。
「お母さまに似てる?」
「えぇ、とても」
「そうなんだ、ネージュおかあさまに似てるのね!」
ネージュは、ニコニコ笑顔で自分の顔をペタペタ触る。セッティは、客人がいるが残して手鏡を持って来た方がよいかと真剣に考えているとアンナミラが声をかけてきた。
「ねぇ、ちょっと聞いてもいいかしら」
「はい、なんでございましょう」
「やけにネージュちゃんの口調が幼いのだけれど。どうしてかしら」
「お嬢様の記憶が3才から先が無くなってしまい令嬢教育や王妃教育の記憶を無くしてしまっております」
セッティの言葉にアンナミラは、目を見張り一度深呼吸した。落ち着きを取り戻すと気になるのは、記憶喪失の原因だった。
「3才、まさかそこまで……。原因はなんなのかしら」
「精神的負荷に耐えきれなかったため幼児返りしたのではないかということでした」
「僭越ながら、私も同じ見立てを致します。10歳以上精神が幼くなるのはマレですが幼くなるという症状は、学会でも報告されています」
宮廷医は、アンナミラへ言いにくそうに答える。症例がないものではないが、治そうと思い治せるものではない。
「治るのかしら」
「正直に申しましてわかりません、精神というものはとても繊細で複雑です。事故によって頭にショックをうけての場合ならば、時間の経過で回復した事例もありました」
「ねー、難しい話ならお部屋戻るー」
「ネージュちゃん、おばちゃんがお母様のお話をしてあげたいのだけど聞きたいかしら」
「聞きたい! 聞かせて!」
ネージュは、よく聞こえるようにかアンナミラの隣に座り直した。
「アデールはね……」
仲良く昔話をする二人は、まるで親子のように仲が良さそうに見える。
その後満足げな表情で帰るアンナミラがいたとかいなかったとか。




