80、王子と雷光
私事から仕事へ。王子の表情が切り替わった。
そう。私は王子とおしゃべりに来たわけでは無い。どうしても彼の持つ知識が必要だから、眠い目を擦りつつここまで来たのだ。
「王子、お話があります」
本当は、少しだけ怖い。
効果量的に一粒じゃあ足りない事は分かっている。
ここで何の情報も得られなかったら、どれだけ睡眠時間を削っても間に合わないかもしれない。助けられないかもしれない。
今はまだ可能性があるから立っていられる。でも、もし可能性が潰えてしまったら。――なんて、考えるだけ無駄なのに。
馬鹿だな、私は。結局答えなんて一つしかないんだから、躊躇するだけ無意味だ。
ぎゅ、と拳を握る。
「この間、王子に頂いたリリウムブランについて。これのコーティングを剥す方法、ご存じではありませんか?」
「コーティング?」
「……はい」
王子は不思議そうに首を傾げた。
この様子だと、コーティングが何か理解していなさそうだ。
私は持って来ていたリリウムブランの花弁を王子に手渡し、この花は花弁にコーティングがなされている事、コーティングは周囲の魔力を固めて作られている事などを話した。
可能性は薄いかもしれない。
それでも、リリウムブランは王子が育てた。
コーティングを理解していなくとも、成長過程で何かヒントとなる出来事があったかもしれない――そんな期待を込めて、私はそっと王子の表情を伺う。
「なるほど、コーティングねぇ」
「削っても、コーティング速度が速くて間に合いそうにないんです。一気に剥す方法などあればと思いまして」
「リィン。最初に言っておくけど、この国ではあまり植物についての研究は盛んではない。この表面についているものが魔力の塊だなんて、僕も初めて知った」
「そう、ですか」
私が必死にコーティングを削っている間、ハロルドさんたちはリリウムブランについて調べてくれていた。しかし、結果は芳しくなかった。
魔法の研究と植物の研究とでは、力の入れ具合に大きな差がある。
当たり前と言えば当たり前だ。
どちらが生きる上で必要な知識かと問われれば、おのずと答えは見えてくる。
過去の書物を当たっても何も出なかった。
リリウムブランが珍しいといわれている今の時代、この花について詳しく知りたいだなんて、難しい話だったのかもしれない。
「すみません。いきなりこんな話……」
「おい、こら。まだ僕の話は終わってないぞ」
「え?」
「まぁ、条件は厳しいかもしれないが、ないこともない」
今、なんて言ったのだろう。
――ないこともない? つまり、小さくても可能性はあるって事?
「うそ……本当に?」
「嘘をついてどうする」
信じられなくて目をぱちぱちと瞬かせる私に、王子は目を細めて力強く頷いた。
良かった。本当に良かった。
こんなところで折れちゃいけない。踏ん張らなくちゃ、と自分を奮い立たせていても、時折足元が抜けるような、立っているのもやっとの時があった。
私は近くにあった王子の手を握り、彼の目をじっと見つめる。彼は諌めるように「僕は逃げないぞ?」と言って、苦笑した。
「え、あ! す、すみません、つい。あの……お話、聞かせていただけますか?」
「勿論だとも」
コホン、と咳払いを一つ零す。
「それは、ある嵐の晩だった。雨風が凄まじく、空が光り、近くで落雷の音を聞いた。あまりの音に、城にいた女子供は震えていた。しかし、丁度リリウムブランが花を咲かせたばかりの頃で、僕は心配になってこっそり外へ飛び出したんだ」
「王子様が何やってるんです!?」
「安心しろ。その後、各方面からしこたま叱られた」
ふふ、と当時を懐かしむように笑う彼の顔は、妙に誇らしげだった。
駄目だ。あんまり反省してないぞ、この王子。
「もう」
「良いだろ。それが今に繋がっているんだから。自暴自棄になっていた過去も、まぁ、何かの役に立てるのなら報われるってもんだろ」
「そう言われると反論できないというか」
「そうだろそうだろ」
良いか悪いかは置いておいて、駄目だと思っていた過去を笑い飛ばせるようになったのなら、それは一種の成長だと思う。うん。素晴らしい事だ。
今はそういう事にしておこう。
私の考えを見抜いているのか、王子は満足げに「本題に戻すぞ」と言ってこの話題を切り上げた。
「ともかくだ。僕はこっそり城を抜け出し、この中庭までやってきた。今でもしっかりと目に焼き付いている。扉を開けてリリウムブランを目にした瞬間、辺り一面がパッと明るくなって、花のすぐ傍に雷が落ちたんだ」
「え? 雷が? 落ちた?」
「そこで僕は見たんだよ。雷に怯えたリリウムブランがぽろぽろと泣くところを」
待ってください。
どこからどうツッコめばいいのか分からない。
まずリリウムブランのすぐ傍に雷が落ちたなら、王子もその近くにいたって事ですよね。危なすぎるでしょう。周囲の心配と迷惑を考えると、やっぱりちゃんと反省した方が良いんじゃないかしら。
魔法と違ってコントロールできないのだから、下手をすれば自分に落ちていた可能性だってあるのに。
まったく、この子は。
そりゃあ各方面からしこたま怒られるわけだ。
そして謎なのが――。
「花が泣いたんですか?」
「うん。そうだ。不思議だろう? と言っても数年前の記憶だからな。あの時の僕は、怖くて泣いていた、という可愛らしい理由をつけて勝手に納得したんだろうけど」
「つまり本当は泣いていたのではなくて……」
なるほど。そういう事か。
なぜ私の魔力だけコーティングに利用されなかったのか。雷に怯えた――かどうかは分からないけど、少なくともリリウムブランにとって好ましいものではなかったのだろう。
私は落ちていた小石を拾い、リリウムブランのすぐ傍にそれを置いた。
「雷は狙って落とせるものではないが、お前のところの店長に話せばなにかのヒントくらいには……って、リィン? 何をしている?」
「危ないので、王子は私の後ろに下がっていてください」
「危ない? 何をする気だ?」
「ちょっとした実験です。ささ、もうちょっと後ろに」
王子の手を取って私の後ろへ下がってもらう。
私はハロルドさんみたく魔法の命中力が高いわけではない。だから目印が必要だ。リリウムブランの隣に置いた石を目印にして、私は魔法陣を構築していく。
ええと、どんな呪文だったっけ。
ハロルドさんが練り上げた呪文を必死に思いだし、言葉を紡いでいく。
「き、きたれ暗雲? ……ええと、蒼天を覆い隠し、うーん……」
「たどたどしすぎて怖いんだけど!? 何の呪文だリィン! ――え? 何だ? 急に空が暗く……」
ゴロゴロと低く唸る声が聞こえる。
先ほどまで澄んでいた青空に、どこからともなく薄暗い雲が集まってきた。太陽が隠れ、影が落ちる。見上げれば、この庭園の上空だけ、今にも雨が降りそうなほど淀んだ天気になっていた。
大丈夫。間違ってはいない。
置いた小石の周囲に、魔法陣が展開される。
これで準備は万端だ。
「なんだ? どういう事だ? どうなってるんだこれ!?」
「王子、耳を塞いでいてくださいね! それじゃあ、落ちろ!」
一瞬の雷鳴。
同時に、王子の叫び声が大音量で響き渡った。





