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79、兄弟というもの

2020.06.16改稿



 花弁のコーティングを削る――そんな地道な作業を一日中続けていたものだから、睡魔に負けてしまったらしい。ぽかぽかと暖かい日差しの中、ぼんやりと意識が浮上するのを感じる。


 起きなきゃ。

 いくら疲れていたとしても半ば仕事で来ているのだ。

 寝ている場合じゃないでしょう、私。


「……ん、……んん?」


 絹糸のようなもので頬を撫でられている感じがする。くすぐったい。でも、柔らかくて良い匂い。

 何だろう、これ。


 払いのけようと右手を持ち上げたところで、それが髪の毛だと気付いた。

 太陽に透けてキラキラと輝く、銀色の髪。


「ぎん、いろ……?」


 嫌な予感しかしない。

 恐る恐る顔を横に向けると、驚くほどの至近距離にダリウス王子の顔があった。目を閉じ規則的な吐息を漏らしている事から、眠っていると分かる。


「ひぅわぁあ!?」


 どうしてこんな事に。

 慌てて飛び起き、距離を取る。


 しかしここは三人掛けの小さなガーデンベンチ。勢い余ってそのまま地面に転がり落ちてしまった。

 お尻が痛い。おかげでスッキリと目は覚めましたけど。


 なぜ私は王子の肩に頭を預けていたのか。

 王子は王子で、なぜ私の方に首を傾ける形で眠っていたのか。

 意味が分からない。

 一体何があったというの。


「おい、大丈夫か」


 混乱したまま俯いていると、ふいに手を差し伸べられた。

 いつの間に目を覚ましたのだろう。


 見上げると、真っ直ぐな瞳で私を見下ろしているダリウス王子の姿があった。さすが腐っても王子。寝起きとは思えないスマートさだ。

 私は「問題ありません!」とその場で立ち上がり、服についた土をはたく。


 大失態の連続に気絶してしまいそうだ。しかもダリウス王子相手に。

 隙は見せたくないのに隙だらけじゃない。


「お、おはようございます?」

「おはよう。まったく、お前の変な叫び声が目覚まし代わりとはな。……悪かった。起こそうとは思っていたんだけど、うっかり僕まで眠ってしまったみたいだ」

「あはは、王子もお疲れだったんですね」

「まぁな。……不幸中の幸いというか、それほど時間は経っていないようだ」


 少しむっとした顔でベンチに座り直す王子。


 そりゃあ、約束の場所に着いたら取引相手は日差しが気持ち良くて眠っていました、なんて怒りますよね。時間の無駄だってなりますよね。

 ごめんなさい。社会人失格です。


 私は身体を小さくしてベンチの端にちょこっと腰掛けた。


「なんでそんなに遠いんだよ。取って食うわけじゃないんだから、もっとこっちに座れば?」

「取って食うって、物騒な言いしないでくださいよ」

「言葉のあやだ。そのまま受け取るなよ」

「分かっています。でも、なんていうか、その……」

「ったく、強情っぱりめ」


 こいつテコでも動かないな――と察したのか、ダリウス王子はため息をついて自ら距離を詰めに来た。拳一個分開けて、すぐ隣に座り直す。


 なぜわざわざ近づいてくるのだろう。

 声が届かない範囲でもないのに。


「あの……?」

「ジークフリードだったら良かったか?」

「え?」

「僕じゃなくて、ジークフリードが傍にいたら良かったな、って言ったんだよ。そうしたら、さっきも手を取っていただろうし、隣にだって座ったんだろう?」

「いやいやいや、良いわけないじゃないですか! 無理です無理! 彼の前であんな恥を晒したらならその場で穴掘って埋まりますよ! むしろ目が覚めた瞬間逃亡してます! ああ、想像しただけでも胃がキリキリする!」

「そ、そんなにか?」


 私は思い切り頷いた。


 もちろんです。

 私にとってジークフリードさんは尊敬とか、憧れとか、そういう値が振り切れていて、どうしようもなく大切な人。

 王子とはまた違った意味で隙は見せたくないのだ。


 誰だって憧れの人の前で間抜けな寝顔なんて晒せないでしょう。しかも驚いて尻餅までついちゃったし。恥ずかしすぎて耐えられない。


「ほんと変な奴」

「普通の一般市民ですよ」

「お前みたいなのがゴロゴロいたら、世の中もう少し幸せになれるだろうさ」


 ふ、と小さく笑う王子の顔は穏やかだった。

 馬鹿にされているのかと思ったが、どうやら純粋に褒めてくれているらしい。それにしたって、もう少し言い方ってものがあるでしょう。

 皮肉屋なんだから。


 出会った当初を考えれば、心身ともに成長しているのは分かっているけれども。

 王子も頑張っている。

 それはちゃんと理解している。


「……ジークフリードは、お前の前ではあれだよな」

「あれとは?」

「いや、お前の前でというか、基本的に人当たりが良く、世話焼きで、頼りがいのある優しい人物……だよな? そういう評をよく耳にするけど」

「ええ、もちろんです! あの方は――」

「待った。それ以上は大丈夫だ。長くなりそうだし」


 そんな。賛辞の言葉なら湯水のように溢れてくるというのに。


 私は喉に引っかかっていた言葉をごくりと飲み込み、つまらなそうにため息をついた。王子からの視線が冷たい。

 まぁ、確かに長くなること請け合いだったので、止めてもらえて正解だったかもだけど。


「それで、ジークフリードさ――様がどうかしたんですか?」

「いや、どうかしたってわけじゃないんだけど」

「わけじゃないんだけど?」

「あいつ、僕の前でだけ鬼みたいに厳しいんだよ。なぜだ?」

「えぇ、ジークフリード様がですか? 実は別人だったとかじゃなく?」

「そんなわけあるか。そもそも王宮内で赤髪といったらジークフリードだけだ。見間違うわけないだろう!」


 王子は鼻息荒く腕を組んだ。


 ――ジークフリードさんが厳しい? ライフォードさんではなくて?


 どういう事だろう。

 ジークフリードさんは基本、人を甘やかすタイプだ。

 無茶をした時に叱られる事はあっても、それが厳しいと感じた事はない。心配と優しさが混ざった怒り方なんだもの。当然だ。


 ハロルドさんの悪戯では済まされない実験にも、怒りをあらわにすることはないし――うん。やっぱり甘い対応の方が多いと思う。

 もちろん、部下である第三騎士団の皆からも優しいと評判である。


 でもまぁ、思い返してみると確かに、王子相手には言葉の節々に棘が含まれていたような気がする。

 初めて王子に出会った時も仲が悪そうに見えたっけ。


「何かしでかしたんですか?」

「さも当たり前のように僕が悪いと言ってくるよな、お前」

「あ、失礼いたしました。王子相手に」

「いい。今さらだろ。世辞はいらんし、機嫌を気にする必要もない。――あ。言っておくが、距離を感じるから絶対にするなよ! 絶対だからな!」


 追いすがるように私の服の端を握りしめてくる王子。その表情があまりにも必死で、私は自然に頷いていた。

 迷子になった子供みたい。

 こんなの、振り払えるわけないじゃない。


「わ、悪い」

「かまいませんよ、お気になさらず」


 王子はぱっと手を離し、恥ずかしそうに後頭部を掻いた。


「……あいつ個人には何もしていない。ただ、今から思えば少々横柄な態度を取っていたり、他者を見下していた気はするが」

「あー……」

「それですね、みたいな顔はやめろ」


 しまった。顔に出てしまったらしい。

 私はとんとんと胸を叩いて表情を作り直す。


 今はマシになっているとは言え、以前の王子はそりゃあ酷かったもの。苦言を呈したくなる気持ちも分かる。


「あいつ、顔を合わせるたびに王子がそのような態度では、とか、もう少し慎みを持って他者を思いやる心を、とか、まるで教育係のように注意してきてな。それから苦手意識が強い。……まぁ、子供の頃の話なんだけど」

「なるほど。それであんまり顔を会わせないようにしていたんですね」

「ぅぐっ」


 レストランテ・ハロルドでお世話になるほんの少し前。

 城から追い出され、二人で並木道を歩いている時に、ジークフリードさんから「王子の良い噂は聞かない」なんて話を聞いた覚えがある。


 つまり、聖女の件で対峙するまで、あまり接点はなかったという事だ。


 ジークフリードさんから避けなければいけない要素は見当たらず、そもそも、いくら第三騎士団長とはいえ王子相手に顔を合わせないよう手を回すのは難しい。


 となれば答えは一つ。

 避けていたのはダリウス王子の方、というわけだ。


「図星です?」

「今となっては反省している! あいつの言い分をちゃんと聞いておけば、もう少しくらい……」


 いいや、過ぎたことだ。王子はそう言って頭をふった。


 なんだかよく分からないけれど、自己嫌悪で顔を歪ませる王子を見ていると、ちょっと力になってあげようかな、という気持ちがわいてくる。

 なんと言ってもまだ十代の子供だものね。


 素直に助けてと言えるような性格じゃない事くらい分かっているし。困っているのなら、少しくらい大人が手を差し伸べてあげてもいいと思うの。


「関係の修復って難しいですもんね」

「例えばだが、その……お前なら、二度と会いたくない、むしろ消えてくれってほど嫌っている相手を許せるまで、どれくらいかかる?」

「私ですか? うーん、そこまでいくと最低二年?」

「二年かぁ……」


 消えてほしいレベルってよっぽどだと思うけど。そこまで関係に亀裂が入っているのなら、修復まで最低二年くらい必要でしょう。


 ただ、よく考えてみて欲しい。

 他人と関わるのは、どのような場面であれ労力がいる。

 少なくとも、昔のジークフリードさんは王子を嫌っていなかったはず。だって立場的に口を挟む必要はないもの。どうでもいい人相手に忠言したりはしない。


「なんだか昔のお二人って、今の第一騎士団長様と黒の聖女様みたいですよね?」

「あの二人と?」

「ほら、ライフォード様もよく聖女たるもの、とか、礼儀作法がどうの、とか、言ってるじゃないですか」

「あー……」


 ダリウス王子は「兄弟か」と呟いてがっくりと項垂れた。

 兄弟と言っても血は繋がっていないらしいんだけど。こういう話を聞けば、やっぱり似たもの兄弟なんだな、と頬が緩んでしまう。


「ライフォード様のあれは愛の鞭みたいなものです。ジークフリード様だって一緒ですよ、きっと。だから大丈夫です。そんなに嫌われてないと思いますよ? だから、絶対に取り返せないわけじゃない。今からでも遅くありません。王子はちゃんと変わろうと頑張っていますよ」

「……はぁ」

「なにゆえため息!?」

「それも問題と言えば問題だから間違ってはいないんだが……そうだよな。普通そうとるよな」


 王子はガシガシと後頭部をかくと、トドメといわんばかりに盛大なため息を漏らした。

 この反応。私、変な回答をしてしまったのかな。

 絶望的に話が噛み合っていなかったとか。だとしたら申し訳ない。


「あの、王子……」

「すまん。お前の助言が悪かったわけではないんだ。これから少しずつ頑張っていくよ。二年以上かかってもいい。生涯許さないと言われるよりずっとましだ。ありがとう。……ところで、何か僕に用事があるんじゃないか?」

「え?」

「今、お前の店が忙しいのは知っている。それでもなお僕のところに来たってことは、そういうことなんだろう?」



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