75、白の聖女の頼み 後編
人間でも魔族でもない半端もの。
年端のいかない少女が背負うには、あまりに重すぎる業だ。こんな結末、認めて良いはずがない。
ただ、どうして白の聖女様から梓さんへ協力要請があったのか。疑問が残る。
もし、少女の母親から国に助けてと連絡があったのなら、両方の聖女へ平等に通知が行くはずだ。そうではなかった、という事は白の聖女――有栖ちゃんが個人的にその問題を抱えていたという事になる。
ちょっとややこしい事になっているな。
少し整理してみよう。
ガルラ火山遠征妨害事件の犯人――つまり防炎の薬を割った人物――であるノーマンさんの娘さんは病気で、かなり深刻な状況だった。
事件の実行犯は紛れもなくノーマンさんだろう。
でも、彼の後ろには黒幕の存在がちらついていた。ノエルさんたち第三騎士団員のメンバーの中では、ダリウス王子説が濃厚だったけれど――。
絡まった糸が少しずつほどけていく。
ノーマンさんは家族思いだった。
もしも王子の姿を似せた誰かに、娘さんの治療と引き換えに犯行を依頼されていたとしたらどうだろう。言いなりになってしまうかもしれない。
そして、私の仮説が正しければ今回の件で損害を被るのは二人。
一人はもちろん、ジークフリードさんだ。
薬なしでガルラ火山への強硬遠征。下手をすると、第三騎士団壊滅の危険性すらあった。怪我だけでなく、手腕に問題ありと評価が下ったかもしれない。
もう一人は、ダリウス王子。
彼の場合は単純明快。銀髪の男と言い争っていた証言。ジークフリードさんと不仲である状況。薬師連盟のトップであり、倉庫の鍵を持つ第一王子という立場。
笑ってしまうくらい、状況証拠が揃っている。
今回、もしダリウス王子が黒幕だとされたら、彼の権威は地に墜ちるだろう。いや、それだけではない。ランバルト王家とジークフリードさんたちランバートン公爵家とに明確な対立構造ができてしまうかもしれない。
それは政治と武の対立に他ならない。
かなり不味い展開になる事は明白だ。
ほどけた糸は、ゆっくりと繋がっていく。
そして現れたもう一本の糸。
恐らく二人にあまり良い感情を抱いていない白の聖女が、突如舞台に躍り出てきた。
無関係とは思えない。さりとて、まだ十六、七の少女が全てを企てたとも考えにくい。
病の少女を助けたいと願っているのなら、なおさら。
彼女もコマの一つ、と考えるのが妥当だろう。
もっとも中心に位置するが、何も知らされていない手駒。
誰かが有栖ちゃんをそそのかし、幼い少女を呪い、ダリウス王子に化けてノーマンさんを実行犯に仕立てあげ、ジークフリードさんとダリウス王子を陥れようとした。
現時点で推測できるのはこれくらいか。
全ての結論を出すには、糸の数が足りない。
――って、違う違う。
私は頭を振って、思考を飛ばす。
まとめ終了。今重要なのは事件の真相ではない。
私がいくら頭で考えたところで、所詮は食堂の一料理番。犯人探しはライフォードさん達、騎士団の仕事だ。領分はわきまえている。
そんな事より少女の容体が心配だ。
「状況は、思わしくないのですか?」
私の問いに、マル君は小さく頷いた。
「聖女の魔力は俺たち魔族にとって好ましいものではない。その聖女に染みついたとなると、相当呪詛の根が張っているはずだ。猶予はあまり残されていない。だが、そこまで進んでいるとなると、いくら聖女であろうとも厳しいだろうさ」
「なるほど。呪い、呪いねぇ。ホント凄いわ。なんなの? あー、やだやだ。そこまで分かったんなら、なんであの子が私に頼ってきたかもわかるわよね?」
「もちろんだとも、聖女様。答えは――足りなかったから、だ」
梓さんの問いに、マル君は芝居がかった仕草で前髪を掻き上げ、ぱちんと指を鳴らす。
ハロルドさんがやったら腹立たしさしか湧かない仕草だが、彼だと妙に様になっているから不思議だ。口に出したら文句を言われそうだから、言わないけれど。
しかし、足りないって何だろう。
意味がわからず首を傾げる私とは対照的に、この場にいる他の人々は、マル君の一言に揃って頷いた。
「足りない、か。……ええ、その通りよ。だから私に頼ってきたわけ」
「なるほど。状況は把握したよ。現状も大体推測できる。と言っても、リンにはさっぱりだろうから、僕がわかりやすーく解説してあげようかな。ライフォードには報告を上げているから聖女様共々理解済みだと思うけど、ちょっと我慢してね」
私一人だけ全く会話についていけてなかったのが、ハロルドさんにはバレバレだったらしい。
会話を中断させてしまって申し訳ないが、私でも役に立てることはあるかもしれないし、現状は把握しておくべきだろう。
「よろしくお願いします」
「うん。まずは呪詛とは何かって事だね」
「そういえば、前に名前だけ聞いた事があります。たちの悪い呪いだって、言ってましたよね? 詳しくははぐらかされてしまったんですけど」
ダンさんの事件後、別人のように礼儀正しくなった彼を不思議に思っていたら、ふいにハロルドさんが漏らした言葉。それが呪詛だったはず。
「そうだったっけ? まぁ、僕もマル君と会うまでは、完璧な答えを持ち合わせていたわけじゃなかったからね」
ハロルドさんの言葉に、マル君は腕を組んで満足そうに頷いた。俺のおかげだぞ、というのが全身から滲み出ている。
「呪詛とは魔族と契約し、何らかの対価を払って対象を呪うもの。そして魔族に対する最終兵器が聖女の魔力。だけど、あまりに呪いが進行しすぎてて白の聖女様の力だけじゃ足りなかった。だから、黒の聖女様の力を頼った、って事さ」
なるほど。足りない、の意味がようやく分かった。
魔族にとって聖女の力は天敵。一人で足りないのなら、もう一人連れてこればいい。白の聖女である有栖ちゃんと、黒の聖女である梓さん。
魔族が関わっているらしい呪い相手に、これほど心強いタッグは無いだろう。
「あれ?」
そこでふと、私は違和感を覚えた。
「なんでマル君は過去形で話さないんですか?」
そうだ。二人がタッグを組んで浄化に当たったのなら、少女の病状は良くなったはず。
それなのに、マル君はなぜ「随分と酷い状況だろうさ」や「猶予はあまり残されていない」など、現在進行形で語るのだろう。
嫌な予感がする。
私は膝の上に置いておいた拳を、自然と握りしめた。
「――ライフォードの事だから回復薬を準備して行ったんだろうけど……それでも足りなかった。そうだろう?」
ライフォードさんは苦々しく顔を歪め、その通りです、と言葉を絞り出した。
「回復薬の使用は一日三本まで。それが限度です。だから三本目は保険でした。でも、足りなかったのです。白の聖女の方は少女に異様なほど入れ込んでいたのが傍目からでも分かっていたので、三本目使用後、私と王子で無理やり引き離しました。しかしまさか黒の聖女まで無茶をするとは」
「だってあともうちょっとだと思ったのよ! もうちょっと、だったのよ。絶対そう。だから、次は失敗しないわ。いいえ、失敗できないの」
「お気持ちは分かります。ですが、それで貴女の命が危険に晒されるなど、あってはならぬ事。どうか、無茶はお控えください」
心からの願い。普段の王子様然とした煌びやかなオーラは鳴りを潜め、ただ純粋に彼女の騎士――国を守る第一騎士団長としての表情を浮かべる。
梓さんは聖女に選ばれるような人。幼い少女を見殺しには出来ない。けれど、彼の想いを無下にできるほど、二人の関係は浅くなかった。
「分かってるわよ、そんな事……。でも……あ。そうだ! 今度は回復役にプラスして凛さんの料理で体力と魔力を回復していけば!」
「無駄だと思うよ?」
さも名案とばかりに立ち上がった梓さんだったが、ハロルドさんが静かに否定する。
「魔物との戦いだって、一度で沈めないと対策を練られる事もある。呪詛なんて対魔族みたいなものだよ? いくら聖女の魔力とはいえ同等の力で事足りる、なんて考えは甘いよ」
淡々と感情のこもっていないその声色に、彼女は閉口した。
驚くのも無理はない。
この人は懐に入れた人間にはそれなりに世話を焼いたりするが、自分の手からはみ出る者には至極冷淡。まるで籠に入った虫を観察するように合理的な判断を下す。
だからこそ、魔族であるマル君と気があうのかもしれないけれど。
ライフォードさんの方が、まだ人間味があるって思えるわ。
「私たちだけで向かうのではなくて、店長さんたちに協力を求めた方が良かった……という事なの?」
「さぁ? どうだろうね。今更何を言ったって過ぎた過去は戻ってこないし、無意味だよ」
「ちょっと、ハロルドさん!」
「え? 何? 僕何か変なこと言った?」
何も間違った事は言っていないし、全て正論だとは思うけど、もう少し相手の気持ちになって発言してほしい。
――まぁ、そうは言っても無理なんだろうなぁ。
誰かの気持ちに寄り添える人なら、ビックリするほど不味い料理で食堂を開業しようとは思わないもの。
いくら普通の店より効能が良くても、胃の中に入れられないんじゃ本末転倒だって、分かるでしょう。普通は。
「すみません、うちの店長が……」
「ううん。もっと慎重になるべきだった。それは確かだもの。でもぶっちゃけ、団長さんにガミガミ言われるより堪えるわ。よくこの人の下についていられるわね。あたしならその内心折られそうよ。凄いわ、凛さん」
彼女はヒールを響かせ私の前まで来ると、乱暴な手つきで私の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわした。
そして「でも大丈夫。あたし、諦め悪いから」と言ってニヤリと不敵に笑った。
凄いのは梓さんの方ですよ。本当に。
「頭ぐちゃぐちゃです……!」
「ふふっ、ごめんなさい。さて、そろそろ帰るわ。早く対策を練らないといけないしね。のんびりしている時間なんてないわ。私が諦めるとすれば、それはもうどうしようもない状態になってから。まだ希望はある。そうでしょう?」
長い黒髪をくるりと翻し、彼女は真っ直ぐにハロルドさんを見た。
「でも……、でもね。もし、知恵があるなら貸してほしい。初動のミスを押し付ける形になって申し訳ないけれど、私は聖女です。この手に乗せた以上、小さな砂の一欠けらすら零れ落ちたりさせないわ」
漆黒の瞳に宿るのは決意の証。
胸を張って真っ直ぐにハロルドさんを見据える彼女の表情に、一片の曇りもなかった。
聖女としての矜持。責任感。それに押しつぶされたりはせず、どこで間違えたと狼狽えたりもせず、使えるものは全て使って救おうとする。
彼女を聖女に選んだ存在がいるとするのなら、有能としか言いようがない。たとえ突如異世界から呼び寄せられた元会社員だったとしても、関係ない。
彼女こそ紛れもなく聖女様だ。
まぁ、隅っこで胃を押さえているライフォードさんは見ないふりをしておこう。頑張れ、護衛騎士様。
さすがのハロルドさんとて、聖女様にここまで言わせて「無理」だと切り捨てたりはしない。小さく微笑んで、「うん」と頷いた。
「聖女様の頼みとあらば仕方ないね。少し考えてみるよ」
「ありがとう、店長さん」
私も何かお手伝いできれば良いのだけど。
話について行くのがやっとで、現状足手まといにしかなっていない自分が情けない。料理でフォローする案は既にハロルドさんから却下が出ている。
何か、何か他に、梓さんたちをバックアップできる方法はないのだろうか。
――雷の魔法は……使い道ないわよね。
とりあえずお見送りの準備でもしようと席を立ち、ドアノブに手を掛ける。外はもう暗いから、ついでにクローズの看板も出しておかないと――なんて考えていたら、梓さんの声が響いた。
「凛さん、ちょっとまって!!」
「はい? なんでしょう?」
「えーっと、えーっと、あ! お、お土産もいいかしら? ほら、夜食に!」
「梓さん……」
まだ食べるんですか。
まぁ確かに、これから作戦を練り直すのなら食べ物があった方が良い。お腹がすいたら頭が回らないくなるものね。
うん。なるほど。ならライフォードさんの分も用意しておこうかしら。
こんな事でも役に立てるなら、と私はドアノブから手を離す。途端、クシュン、という可愛らしい女の子のくしゃみが聞こえた気がした。続いて「寒いのか?」という男性の声も。
店の外に誰かいるのだろうか。いるとしたら、何故入ってこないのだろう。今の時期、外はかなり寒い。風よけ目的だけでも大歓迎なのに。
何か入りづらい理由があるのかしら。やっぱり魔女の噂が尾を引いているのかな。だとしたらショックだ。
「ん? あれ? でも……」
店内に慌てて入ってきたのは梓さんとライフォードさんの二人。
しかし、少女の治療に当たっていたのは聖女様二人のはず。いくらライフォードさんがついているとは言え、あれだけ疲弊した梓さんを放って、彼らは先に城へ戻れるのだろうか。
もしかして――。
「四人分、かな?」
私はふ、と笑って、厨房へと足を向けた。