73、聖女様、ごはんを食べる
体力回復効果の高い料理、というのがオーダー内容だ。
そこにハロルドさんの対応を付け加えると、梓さんの状態は疲労からくるものと推測できた。病気か何かだったら、さすがのハロルドさんでも「まず医者でしょ!」と言うはずだ。きっと。たぶん。
なんというか。やろうと思えば何でも出来そうなのよね、あの人。
「マル君、そっちどうです?」
「パスタ残り一分ほど。ソースはもう温まっている。丁度良かったな」
肉料理は提供に時間のかかるものが多い。火を通さなければいけないからだ。
そこで私たちは、ハンバーガーとパスタを作る事に決めた。これらは準備さえしておけばすぐ出すことが出来る。
いや、それだけではない。
パンには効果を増幅させる力がある。体力回復効果の高い肉をパンで挟むハンバーガーなら、肉の量が少なめ――つまりすぐに焼き上がる量でも、高い効果を期待できるのだ。
そして今日の料理番気まぐれパスタが、お肉多めのボロネーゼソース。
オーダー内容にもバッチリ応えられるだろう。
「最近は騎士団員さんたちの来店が増えましたからね。たまたまですけど、お肉多めのソースにしておいてよかったです。……ただ、ああなるまで魔力を消費したのに、城じゃなくてうちの店に来るなんて。何か不測の事態が起こったのでしょうか?」
「ふむ、なるほど。まぁ、厄介事なのは間違いないだろうさ」
この世界の体力と魔力はリンクしている。
聖女である彼女を、社畜よろしく体力の限界まで扱き使うというのは考えにくい。ならば、魔力の使い過ぎである可能性の方が高い。
ハンバーガー用に調整したお肉のパテを、フライパンの上でくるりとひっくり返す。
うん。良い感じに焼けてきた。
じゅうじゅうと音を立てながら、ぱちぱちと肉汁が跳ねる。
夕食がまだだから、この匂いはお腹にくるなぁ。でも、今は梓さんの方が重要。私たちの夕食なんて後回しだ。
「ん?」
ふと視線を感じて隣を見ると、マル君と目があった。
「なんです? 夕食ならこの後ですよ」
「確かに腹は減っているが、そうじゃない。お前もハロルドも可愛げがないくらい会話が楽だ、と思ってな。察しの良い人間は好きだぞ。あとでよしよししてやろうか」
「もう、子ども扱いしないでください」
「仕方のない奴だな。もふもふの方をご所望か?」
「ちーがーいーまーす! もう、ハロルドさんじゃないんですから」
くつくつと声を押し殺して笑うマル君。
さすが魔族様。こんな時でもマイペースである。
ちなみに、マル君の尻尾はとてもふわっとしていて手触り最高。枕にすると天国に連れて行かれる――とはハロルドさんの談だ。
正直、興味がないと言えば嘘になる。
ただ、私は見てしまったのだ。
呆れ顔をしたマル君の尻尾をがっちり掴みながら、気持ちよさそうに眠るハロルドさんの姿を。
衝撃的すぎて、何のためにハロルドさんの部屋に行ったのか忘れてしまった私は、とっさに「お邪魔しました」と頭を下げてすっと扉を閉めた。
奥から「邪魔じゃない。邪魔じゃないから戻ってこい。というか離れないんだ何とかしてくれ!」とかなんとか言われた気がしたけど、もちろん聞こえないふりをして逃げましたとも。ええ。
あのだらしない姿を見てしまったら、喜び勇んで「もふらせてください!」なんて言えなくなったのよね。自戒大事。
「ほら、馬鹿な事を言っていないで仕上げにかかりますよ」
「オーケー。ご主人様」
「マル君……」
まったく。そういう軽口を叩くから、後に引けなくなって自分の首を絞める事態になると思うんだけど。次ハロルドさんに掴まっていても、また知らないふりして逃げちゃいますからね。もう。
本当、仕方のない人たちだ。
私はマル君にお皿を手渡し、ハンバーガーの仕上げにかかるのだった。
「お待たせしました」
そう言って、梓さんに最初の料理を出してからどれだけ時間が経っただろう。途中からハロルドさんもこちらに加わって、急ピッチで進められていった料理の提供。
とりあえず、結構な量が机の上に並んだので、私たちは一旦休憩に入る事にした。
詳しい事情を知りたいレストランテ・ハロルドの面子は全員、梓さんとライフォードさんの周りに椅子を用意して腰掛ける。
当の梓さんはと言うと、最初の方は体力の関係で細々と食べ進めていたものの、今では普段のスピードで普段の倍ほどの料理を胃袋に入れている最中だ。
事情を鑑みなければ、ストレスによる暴食みたいで少し心配になる。ライフォードさんの分も考えていたのに、梓さん一人で平らげてしまいそうだからビックリだ。
「ふむ。やはり臭うな」
すん、と鼻先を動かしてマル君が言う。
彼の見つめる先には梓さんがいた。
「え? 何? 何なの? やだ、あたし臭う?」
「臭うとも。聖女相手にこれだけ染みついたとなると、随分と酷い状況だろうさ。あまり時間は無いな」
彼の一言に、梓さんの表情が一瞬で強張った。
魔族であるマル君の鼻は特別製。私たち人間には分からない、何か嫌なものでも嗅ぎつけたのだろう。
決して梓さんが臭いわけじゃない。そんなの、この場にいる人たちなら百も承知だって事くらい分かっている。けれど、それとこれとはまた別だ。
私は念のため「私は臭いませんよ! ぜんっぜん!」とフォローを入れておいた。
いくら違うといっても女性相手に「臭う」は駄目だと思うの。
「なるほど、臭うってそっちね。ありがと、凛さん。気を使ってくれて」
「いえ、私は何も」
「ううん。そうやって自然と気にかけてくれるとこ、凄く癒されるの。ありがとう」
梓さんは私に微笑みかけてから、周囲を――正確に言うと、マル君とハロルドさんを見て盛大にため息を吐いた。
「ったく、前々から思ってたんだけど、ここってただの食堂よね? 店長さんといい、マルコシアスさんといい、魔法系のプロフェッショナルが揃い踏みってどうなってるよ。何で誰もツッコまないの?」
彼女はこほん、と咳払いを一つ零してから「まぁ、ただの食堂で、しがらみがないからこそ頼りやすいってのもあるんだけど」と、困ったように笑った。
私も最初の頃は不思議に思っていたんだけど、今ではもう慣れてしまったというか、この店の色に染まってしまったというか。うん。
改めて真正面から言われると、何とも言えない気持ちになるなぁ。
「もとより相談する気ではいたし、ご飯美味しかったですごちそうさまでした、ってわけにはいかないものね。そろそろお話しいたしましょう。事の発端は……そうね。あの嫌味なダリウス王子が私の部屋を訪ねてきた事。白の聖女である有栖を連れて、ね」
そう言って梓さんは、ハンバーガーに手を伸ばした。
おっと、まだ食べるんですね。