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幕間「白の聖女の後悔と懺悔」後編



 有栖の親はあまり家にいない人だった。


 母親も父親も仕事をしており、どちらもその世界ではとても権力と地位のある人物だった。ゆえに有栖は家政婦に育てられたと言っても過言ではない。


 でも、悲しいだとか苦しいだとか、そういった感情は一切抱いていなかった。周りは何でも言う事を聞いてくれたし、誰も有栖に逆らおうとはしなかったからだ。有栖はそれを愛されていると感じていた。


 だから我が儘を言った。


 我が儘を言って、それが認められた時、愛されていると感じるようになっていた。両親相手だって同じだ。面倒くさがらず自分の意見を聞き入れてくれる。

 それが、それこそが愛情だと。それが愛されている証だと、彼女は思っていた。


 我が儘は子供の特権。子供は愛されるべき。


 なのに。それなのに、なんだ。

 目の前にいるこの子供は。


「なに、それ。うつるから傍に寄るなって。あなた子供でしょう? なんでそんな我慢するの。お母さんに傍に居てほしいんでしょう? だったらそう言いなさいよ。ううん、言うの。言うべきなのよ。子供は我が儘を言うべきだもの!」

「で、でも、おかあさんにめいわくかけちゃうから……」

「いいのよ! かけなさいよ! 子供なんだもの! こども、なんだもの……」


 有栖は小さな手をさらに強く握った。


 怖くないと言ったら嘘になる。怖い。怖いに決まっている。全身が真っ黒になる症状。うつるかもしれないと言われたら、怖くないわけがなかった。


 でも有栖は目の前の少女よりずっと年上だ。

 子供は我が儘を言うべき。では自分の願いに蓋をしてしまうこの少女は、誰に縋ればいいのだろう。症状を見られることを恐れ、母親は人を追い返す。しかし、うつるかもしれないからと、傍に居てやる事すらしない。


 ――なら、私しかいないじゃない。私のせいかもしれないのに、私が逃げたら、誰がこの子に愛情をあげられるの。


「子供は愛されるべきでしょう……?」


 まるで自分に言い聞かせるように、ポツリとつぶやく。


「ありがとう、おねえちゃん」

「お礼は早いわ。私は、あなたの手を握るためだけにきたわけじゃないもの」


 有栖は聖女だ。聖女には浄化の能力が備わっていると、ダリウスが言っていたのを思い出す。

 これが何か悪いものの仕業なら、対処できるのは白の聖女である有栖か、黒の聖女である梓くらいだ。


 少女の手を、自らの額に持っていく。そして、触れ合っている部分から聖女の力を流し込む。

 効いてくれ。治ってくれ。祈るような気持ちで少女の手を強く握った。


 すると、力を流した部分からすぅと黒が引いていき、ゆっくりと肌色が現れてくる。ああよかった。この子を助けられる。

 しかし、有栖が安堵した瞬間――。


「あ」


 元に戻った部分が一瞬にして再度黒に覆われる。


 少しでも気を抜けば、すぐに食われてしまう。まずい。これでは全身を浄化しきる前に自分の魔力が底をつく。いいや、それ以前に何十分何時間と集中力を維持できるかという点が問題だ。ほんの一瞬、気を逸らしただけで簡単に押し負ける。


 どうする。どうすればいい。

 有栖は奥歯をギリッと噛みしめる。理解した。


 ――今の私では、この子を救えないかもしれない。


「認めない。そんなの絶対認めない……ッ!」

「ありがとう、おねえちゃん。なんかいっしゅんだけ、らくになったきがする。おいしゃさまじゃなくて、まるでせいじょさまだね」

「え?」

「うん。せいじょさまだよ。だって、わたしのこんなこわい手、ずっとにぎっていてくれたの、おねえちゃんだけだもん」

「ち……がう……ちがう、わたしは、……わたし、は」


 屈託なく笑う少女の顔を直視できず、有栖は下を向いた。


 何が聖女だ。何が国の希望だ。こんな小さな女の子一人救えず、特別だなんて驕っていた自分が恥ずかしい。

 物語の主人公だと思っていた。なにか問題が起きても、最後はきっとうまくいくものだと思っていた。


 違うのだ。これは物語でも何でもなく、現実だった。


 現実だから、都合よくピンチで覚醒する力も、駆けつけてくれる仲間も、寄り添ってくれる恋人も、なにもかも存在しない。そんな都合の良いストーリーは展開されない。


 やっと理解した。


「わたし、は……」


 ――どうしようもなく無力だ。




 必ず解決策を見つけます、と誓って少女の家を後にする。

 魔力を使い過ぎた事により、足元がおぼつかない。落ちていた小石につまずき、有栖は正面から地面に倒れた。


 ぼんやりと前を見れば、糸が切れたのか、首から下げていた石が転がっている。彼女は条件反射でそれを掴み、思い切り地面にたたきつけた。

 何度も、何度も、繰り返し。繰り返し。手が腫れるまで。

 

「こんなものっ! こんなものっ! 壊れなさいよっ!!」

『残念。壊れないようになっているんだよなぁ』

「……え」


 突如聞こえてきた男の声。


 人通りのない道を歩いていたため、周囲を見回しても人の姿はほとんど見えない。声はすぐ傍から聞こえてくる。当然、有栖の傍に人などいない。

 一体どこから。


『おっとすまねぇ、あんたの手の中だよ』

「ての、なか……?」


 有栖の手の中には例の石しかない。

 はっとして手首をひっくり返し、石を見る。


 先程と変わらない様子――ではなかった。

 どうしようもない不快感。有栖は小刻みに震える手をもう一方の手で支えながら、石の向きをくるりと変えた。途端、黒がぐにゃりと歪み、一本の線が現れる。何が起こっているのか、なんて考える暇もなくそれは見開かれた。


 目だ。

 真っ赤な一つの目。

 それが愉快そうに有栖を眺めていた。


「きゃあ!」


 驚いて投げ出す。

 乾いた地面に叩きつけられたそれは、カランと軽い音を立てて転がった。


『おいおい、ひどいじゃねぇか。まぁ、妥当な判断だが』

「なに? なんなのこれ!」

『おや、そんな言い方ねぇだろ? 契約者様。つっても、あんたはただの仲介役みたいなもんだがね。……あ、これ言っちゃダメなやつだったか?』

「けいやくしゃ?」


 有栖は恐怖に震える心を押さえつけ、もう一度石を掴み上げる。


 契約者。

 言葉の表す意味が彼女の考えた通りならば、どうしようもなく最低な結末が待ちうけているだろう。聞きたくない。答えを聞いてしまえば、もしかして違うのでは、という逃げさえ許されなくなる。


 けれど聞かなければいけなかった。

 これは義務ではない、責任だ。


 彼女は意を決して口を開いた。しかし、出たのは悲鳴のような吐息だけだった。心臓の音がうるさい。はぁ、はぁ、と泣きそうになりながら必死に空気を吸う。

 そして一つ大きく息を吸い込み、彼女はついに腹を括った。


「やっぱり……あれは、わたしのせい?」 

『かわいそうになぁ。確かにあんたは邪魔者が不幸になれ、と願った。でも、どういう方法を取るかの指定はしてないだろう? そのミスを上手く使われちまったってわけだ。――あーいや、違うか。あの方はもとよりあんたを仲介役にするつもりだったんだろうさ。俺への願いを口にして、何かあったら肩代わりする役。ほんと、かわいそうになぁ』


 可哀想。そう口にする男の声は、少しも哀愁の色を纏わせてはいなかった。本気で可哀想だとは思っていないのだろう。酷い男だ。いや、石なので生物ですらないのだが。


 ――ハメられたんだ。


 有栖はやっと気づいて、空を見上げた。

 先程まで突き抜けるような清々しい青空だったのに、今ではすっかり黒い雲に覆われていた。夕立かもしれない。ぽつり、と雨の雫が彼女の頬を叩いた。


 このままでは雨に濡れる。

 分かってはいたが、足が動かなかった。有栖はよろよろと立ちあがり、手の中の石を力いっぱい握りしめた。


 まだ希望がないわけじゃない。


「私は絶対治すって誓った。なら、治さなきゃ。ううん、違う。治す義務があるの。治す以外の選択肢はないのよ……!」

『ははっ、さすが腐っても聖女様だ。で、具体的には?』

「あの人に聞けば解決策だってあるかもしれない。この私をハメたんだから、絶対に協力させるわ」

『ほぅ、なるほど? で、その人って誰だ?』

「誰って、あんたなら知っているんでしょ。あんたをくれた……え?」


 白々しい男の回答に有栖は内心舌打ちをし、ふん、と鼻で笑う。しかし、その人の顔を思い浮かべようとして、ある事に気付いた。


「あれ? なんで……」


 消えていく。 

 さらさらと砂のように散っていく。


 顔も、声も、交わした会話も、出会った記憶も、全てが幻だったと言わんばかりに、脳から消去されていく。あの人との会話が、全て黒く塗りつぶされていく。


「まって。まって! いや、いや、いや! いかないで! どうして! 消えないでお願い! だめっ、だめ! やめてぇえええ!!」


 雨脚は次第に強くなり、雨に流されるかのように記憶が漂白されていく。きっと算段の内なのだ。有栖が騙されていた事実に気付いた時、自分に関する記憶が全て抹消されるよう、仕組まれていた忘却の魔法。


 打ち付ける雨は、容赦なく有栖を責め立てた。


「……だ、れ。だれなの……」


 呆然とつぶやく。

 思い出せない。この石を誰かに貰った記憶はある。この石に願いを込めたら叶うと言われた記憶もある。優しい声色で有栖の身を案じてくれた記憶だってある。


 それなのに、その人物の情報だけが綺麗さっぱり抜け落ちている。まるで白抜きのシルエットだ。男か女かすらわからない。

 手元に残った情報は、騙されていた、という事実だけ。


「だれよ……だれなのよ……私をハメたのは誰なのよぉおおお!!」


 有栖の叫び声は、激しくなってきた雨音にかき消された。



* * * * * * *



 一体、聖女はどこへ行ったのだ。


 降りしきる雨の中、ダリウスは王宮内を走り回っていた。雨のせいで全身濡れ鼠になり、張り付いた衣服が気持ち悪い。

 前髪を掻き上げ、ため息をついた。


 王子は中でお待ちください、と兵から何度も進言されたが、ダリウスは首を縦に振らなかった。彼女の保護責任者はダリウスだ。安全な場所から悠々と報告だけを待っているわけにはいかない。


 ――そんなの、リィンに顔向けできないだろうが。


 城内の捜索は既に終わっている。外ももうすぐ終わるだろう。ここまで探していないとなると、王宮の外に出ている可能性もある。

 ダリウスはきびすを返し、城門へと移動した。


 衛兵に声をかけ城の外へ足を踏み出す。当然のように止められたが「少しだけだ」と振り切って、彼は地面を蹴った。

 ぱしゃぱしゃと足元で跳ねる水がうっとうしい。


「ん? あれは、聖女か! やはり外に――」


 雨脚で視界が悪い中、目を凝らして良く見れば一人の女性が王宮に向かって歩いているのが見えた。足取りは重く、今にも倒れてしまいそうだ。


 いつも尊大で、世界が自分中心に回っているとすら考えていそうな聖女。しかし、今はその片鱗すら伺えない。一体何があったのか。

 ダリウスは急いで彼女に駆け寄った。


「おい、聖女! どこへ行っていたんだ! 城中大騒ぎで――」

「放っておいて」


 伸ばした手は、力なく叩かれた。


「……何があった?」

「放っておいてってば!」


 普段のダリウスならば「そうか」と言って立ち去っていた。けれど――ダリウスの脳内にはリィンの言葉が残っている。

 一度手を取ったのなら手を離すべきではない。たとえ嫌われていたとしても。それが、召喚した者の責任。


 ダリウスはもう一度手を伸ばし、有栖の腕を掴んだ。彼女は振りほどこうともがくが、ダリウスはそれでも彼女の腕をしっかりと掴み、離そうとはしなかった。


「僕は離さないぞ。君が何と言おうと、この手を離さない。君が苦しんでいるのなら、そのすべてを聞かせろ。僕は必ず君の助けになる。誓おう。それが、君をこの世界に呼んだ、僕の責任だから。――話してくれ、アリス」


 聖女と王子という立場ではなく、一個人として話を聞く。その意思を込めてアリスと呼ぶ。ただ真っ直ぐに、誠実に。アリスという少女に向き合わなくてはならない。


「だり……うす……」

「うん」

「たす、けて……」


 初めて吐いた弱音。

 アリスはすがるようにダリウスの胸に両手を置くと、泣き腫らした目で彼を見た。


「おねがい……たすけて……」


 ずるずると力が抜けるように、ダリウスの身体を伝って地面に膝をつくアリス


「おねがいします……たすけて……たすけてください……」


 彼女に何があったのかはわからない。

 ただ、ダリウスは頷いた。


「わかった。僕にできることなら全力で力になろう」


 


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