幕間「慟哭」
実質4.5章です。
第三騎士団副団長ノエル・クリーヴランドは、目の前に光景に口をつぐんだ。
一言たりとも声が出せない。息を吸うのすら苦しかった。
事の起こりは、一時間ほど前までさかのぼる。
ノーマン・ディルレイ。
第三騎士団の中では比較的年長者にあたり、副団長のノエルよりも年齢は上だが、気さくで気取らない、頼れる兄のような存在だった。
そして――ガルラ火山遠征時に防炎の薬を割った男。
ノエル、アラン、ヤンの三人が団長二人に連れてこられた場所は、窓のない薄暗い部屋だった。
ノーマンはその部屋の真ん中で椅子に座っている。両脇は第一騎士団の団員が固めていた。逃げられる状態ではないが、形式上一人で待機させるのはまずいのだろう。
ノーマンは両手を後ろで縛られ、虚ろな目をしていた。まさに無気力。精悍だった顔つきも、今では頬が痩け、見る影もない。力なく垂れた首は、ノエルたちが入ってきても上がる事はなかった。
どうしてこんなに憔悴しきっているのだ。
彼の尋問を担当しているのは第一騎士団。
ノエルは驚いて、団長であるライフォードを見る。入り口付近で腕を組みながら佇んでいたライフォードは、やれやれと息を吐いた。
「自分にその資格はないと、食事をあまり取ろうとしないのだ。昨日はジークフリードに頼んで、無理やり携帯食を口にさせた」
非人道的なやり方はしていない、と付け加えて、隣に立つジークリードに目配せする。ジークフリードは壁に背を預け、苦々しげに首を小さく縦に動かした。
「私とジークフリードはここにいる。君たちは好きに尋ねるといい。食事を取らせたいと言うのなら、すぐに運ばせよう。……もっとも、彼に食べる気力があれば、だが」
ライフォードの言葉には微かな諦めが混じっていた。彼自身、努力はしたのだろう。ジークフリードに頼らざるを得なかったのは、苦渋の選択だったのかもしれない。
ノエルたち三人は、ノーマンの前に用意されていた椅子に腰かけ、会話を試みる。
最初は些細な話から始めた。
現在の騎士団の様子。ヤンとアランが仲良くなった事。食堂の魔女様の話。ノーマンの方も、旧知である第三騎士団のメンバーだからか、ぽつりぽつりと言葉を返してくれた。
だが、本題であるガルラ遠征の件について少しでも触れると、彼は途端に唇を結び、ひたすら謝罪の言葉しか口にしなくなった。
第三騎士団が独自に入手した切り札、「銀髪の男と言い争っている」という証言も突き付けてみたが、少し顔が強張ったものの、それ以外はまた謝罪の繰り返しだった。
突き崩せない――ノーマンはここまで強情な男ではないはずだ。一体何を守っているのか。
時間も無限ではない。ノエルは焦り、アランは苛立ち、ヤンに至っては怒りで地面を強く蹴った。
「チッ、どーしたんだよノーマン! 確かにやったのはあんたかもしんねぇけど、なんか理由があんだろ!? あんたは俺たちを陥れるために薬を割ったわけじゃねぇ。んなことくれぇ分かってる! なんだよ。何があったんだよ! 口をつぐんでちゃ、ずっとこのままだぜ? あんた、嫁さんと嬢ちゃんのところ帰りたくねぇのかよ。嬢ちゃん、噂じゃ結構ヤベェって……言われてんだぞ。あんただって、知ってんだろ。嬢ちゃんが病気なのは、昨日今日の話じゃねぇし」
しかし、このヤンの言葉で全てがひっくり返った。
「いま……なん、て……」
ノーマンは勢いよく顔を上げ、信じられないものでも見るような目でヤンを見る。
先程まで何をするにも緩慢な動作だったのに。
それに驚いたのか、ヤンの背筋がピンと伸びた。「えっと、どれの事だ?」どの件を言われているのか分からない彼は聞き返すが、返事を待つよりも早くアランが割り込んでくる。
「僕たちは直接見たわけじゃない。町の人たちも、誰一人お嬢さんの姿は見ていない。皆、奥方に追い返されるんだ。どうか勘弁してください、とな。貴方の奥方なら、彼女の言動からお嬢さんの様子ぐらい推しはか――」
「どうして!?」
勢いよく立ち上がるノーマン。
後ろ手に縛られているため椅子が宙を浮くが、それすら気にならない様子だった。
「どうして。どうして! 黙って全ての罪を被れば貴方の娘を助けるために全力を尽くしてやろう、と! 必ず完治させてあげよう、と! 確かにそう言ったのに! なぜ、なぜなんです、なぜ! 王子を。ダリウス王子をここへ呼んでください! お願いします!」
「――ッ、ノーマン」
彼の気迫に押され、アランは椅子ごと後ろに下がった。途端、椅子の足が何かに引っかかり、ぐらりと後ろに倒れそうなる。
「お前たち、良くやった」
その背を支えたのはジークフリードだった。
彼は前髪をぐいと掻き上げ、「ノエル」と呼んだ。
長年彼の下にいたから分かる。後は俺に任せろ、の合図だ。
ノエルはさっと立ち上がり、ヤンとアランに対して後ろに下がるよう指示する。ヤンは不服そうに頬を膨らませたが、アランが彼の頭をスパンと叩き、首根っこを引っ掴んで下がらせた。
「すまん。少し後ろで待機していてくれ」
「はい。お願いします、団長」
頷くジークフリード。
その隣をふわりとマントをなびかせライフォードが通り過ぎる。彼はノーマンの傍まで来ると、澄み切ったコバルトブルーの瞳を細めて、鋭く言い放った。
「覚えている範囲で良い。君がした会話を再現しなさい。いいか、再現、だ」
ノエルは爪が肉を抉りそうなほど拳を強く握った。
苦しかった。喉に石でも詰まったと錯覚するほど、息をするのが苦しかった。空気が足りないから、と呼吸をしようとして、ひゅう、と喉が鳴った。
室内に響くのは、ノーマンの泣き叫ぶ声。どうして、どうして、と繰り返す彼の声は絶望の色が滲んでいた。
「事情はわかりました。もう休みなさい」
ライフォードは部屋にいる者全員に目配せする。部下にはノーマンのことを、ノエルたち第三騎士団には部屋を出ろと命じた。
ジークフリードはそっとノーマンの背を撫で、「出来る限り、手は尽くしてみよう」と声をかけてから自ら率先して部屋を後にする。
団長が部屋を出たのに、部下であるノエルたちが立ち止まっているわけにはいかない。ノーマンの事は気になったが、全てを吐きだした彼に悪辣な対応はしないだろう。
「王子が関わっていた、と。彼は証言していますが……どうされるおつもりですか?」
全員が部屋を出たタイミングで、ライフォードに問いかける。
この可能性を、考慮に入れていたはずだ。銀髪の男――ダリウス王子である可能性を。ノーマンの口から彼の名が出た以上、それは確定事項になった。
あの王子が、全ての元凶。
しかしライフォードは凍えるほどに冷めた目でノエルを見た。あまりの迫力に、思わず後ずさる。
「私は、彼に思い出せる範囲で再現しなさい、と言ったはずだが? 一文字一句間違いのないように、ね」
「そ、その意味は……」
「分からないのですか?」
爽やかな理想の王子様、なんて。嘘をつけ。
結局のところそれは、好感度を考えて外向けに作っている顔に過ぎない。団長としての彼は、自らにも部下にも完璧を要求する、氷のように厳しい男である。
ノエルの後ろで「第一騎士団やべぇ怖ぇ」というヤンの弱音が聞こえてきた。
悲しいが、今は彼に全面同意だ。
「ライフォード」たしなめるようにジークフリードが呼ぶ。
心の底から第三騎士団で良かったと思った。――うちの団長は優しい。優しすぎて心配になるほどだけれど。
「お前だって気付いているだろう、ジークフリード。あれはダリウス王子ではない。口調が大分違う。焦る場面では素が出てしまうもの。彼の話を聞く限り、逆だった」
「ああ。そもそもあの王子が、騎士とは言え平民相手に丁寧な物言いをするはずがない。貴方、なんてもっての他だ」
「まったくだ。天地がひっくり返ってもない。演技だろうと絶対に」
うんうん、と頷きあう団長たち。
なんだろう。王子の傲慢、不遜に対する信頼度が半端ない。あまり関わった事はないが「平民の分際で!」とかいうタイプなのだろうか。タイプ、なんだろうなぁ――ノエルはダリウス王子の顔を思い浮かべ、少し納得してしまった。
「半信半疑だったが、確証に変わった。どうやら七面倒な事になっているらしい」
「ライフォード、まずは……」
「分かっている。病気、らしいが、もしかすると病の類ではないかもしれない。まずはそちらの調査を行おう。手遅れになっていなければいいが」
「感謝する。――お前たち。お前たちは少し休憩してから訓練に戻れ。後の事は俺とライフォードが処理する。心配だろうが、堪えてくれ」
堪えてくれ、というジークフリードの方が、なんとも沈痛そうな趣をしている。そんな顔を見せられては嫌とは言えない。
ノエルは「分かりました」と頷いた。「頼んだぞ、ノエル」「今回の捜査協力、感謝いたします」そう言って去っていく団長たちの姿を、ノエルたちはただ見つめる事しか出来なかった。
* * * * * * *
心が酷く沈んでいる。
雲一つない輝かんばかりの蒼穹が、目に痛い。
ノエルたち第三騎士団の三人は、ジークフリードの言いつけどおり、少し休憩を取ってから訓練に戻る事にした。
この精神状態では、訓練に戻っても身が入らない事くらい分かり切っている。副団長なのだから、団長の留守を預からなくてはならないのに。
ノエルは自らの不甲斐なさに嫌気がさした。
ああ、まったく情けない。
彼らは人通りのない中庭に腰掛け、空を見上げた。
「どうなってんだよ、一体。おい、俺より頭いいだろ。教えてくれよ、アラン」
「僕だって全てわかってるわけじゃない。ただ、ダリウス王子に魔法か変装で擬態し、ノーマンを騙した奴が黒幕……いや、実行犯の可能性もあるか。どっちにしろ、ライフォード様が面倒だと言うくらいだ。そうとう面倒な事になっているんだろう」
アランの回答に一言うめき声を漏らし、「わかんねぇことだらけだ!」と地団太を踏むヤン。近くにあった茂みがガサリと音を立てて揺れた。
猫でも鳥でもどっちでもいいが、驚かせるのはやめなさい。可哀想だろう。
ノエルが注意すると、ヤンは「ゥッス」と小さく頭を下げた。
「でもよぅ、なら、お嬢さんの病を知って、ノーマンをターゲットにしたって事か?」
「病の類じゃないかもって、ライフォード様が言ってただろ。……ノーマンは家族思いだ。それをダシに使われた可能性があるって事だよ、分かれよ。もし病気じゃないなら、誰かのせいだって話になるだろ」
「だったらなんで約束を守らねぇンだ。そういう魔法かなんかをかけたんなら、解除くらいできんだろ。ぱぱっと」
「何らかの理由があって解除できない、とか?」
どんなんだよそれ――むすっと唇を尖らせるヤン相手に苛立ちが勝ったのか、アランは彼の頬を摘み上げ、「少しくらい頭を使えよ!」と声を荒げた。
「もー、何でもかんでも僕に聞くな! お前の頭蓋には何が詰まってるんだ。綿か? 綿なのか!?」
「ひっでぇ! なにもそこまでいう事ねぇだろ!」
ヤンも負けじとアランの頬を摘み返す。
子供同士の喧嘩か。
ノエルは二人の間に割って入って、どうにか落ち着かせる。二人の喧嘩。いつも通りの、見慣れた光景。気分が沈んでいたため、少しだけ救われたような気持ちになる。
「まだちっちぇ娘さんなのによ。このまま俺たち、指をくわえてろってのか。もしアランの言う通りだとしたら、ひでぇだろ。酷過ぎんだろ。まだ、あんなちっちぇのに」
「ヤン。君の気持ちもよく分かる。けど今、僕たちに出来る事はないんだ。団長たちを信じよう。うちの団長も、ライフォード様も優秀な方たちだ。きっと、娘さんの事もなんとかしてくれるはずだ。それに……」
ふと、ガルラ火山での出来事が脳内を駆け巡った。
ジークフリード団長には心強い援軍が控えている。
彼女の作る料理は、薬の劣化代用品などではない。味も、効果も、飛びぬけて破格だ。誰も口にしないが、きっと誰もが思っている。聖女様でなければ女神様だと。魔女だなんて恐ろしい存在ではない。決して。
そして――。
「彼女の力もすごいけれど、彼女の料理に魅了されて集まった人たちも、すごい人たちが揃っているからなぁ」
きっと大丈夫。
漠然と胸に巣食っていた不安は、魔女様の顔を思い描いた途端に消え去った。
あの人は、団長が困っていたらきっと手を貸してくれる。だから、今はどしっと構えて団長をサポートする。
それが副団長ノエル・クリーヴランドに課された仕事だと、彼は思った。