67、聖女さまとハンバーガー
訓練を終えた第三騎士団の面々が、まばらに散っていくのを遠くから確認すると、私は梓さんの向かい側に腰かけた。
バスケットを手繰り寄せ、ちらりと中を覗く。すると中にいたフェニちゃんは、役目は終わったとばかりに、炎になって燃えるように姿を消した。
実はライフォードさんの執務室へ行く途中、『同期をしながらはしゃぎ過ぎたようじゃ。妾はしばらく休む』と言って、ガルラ様からフェニちゃんに戻ったのだ。もちろん、マル君と合流出来たら合図をするよう頼まれている。
ガルラ様は面倒見が良い人――いや、星獣様だ。
私の寄り道に文句を言わず付き合ってくれたのだから。申し訳なく思うと同時に、マル君と引き合わせてあげなければという使命感めいたものが、私に芽生える。
待ち合わせ場所なんて決めていないけれど、まぁ、なんとかなるでしょう。意地でも合流しないと。
「そういえば、これから別の仕事が入っているのよね?」
梓さんが顔を上げてライフォードさんを見る。
彼女は私の真正面の席に座っており、ちょんちょんと私の前にあるバスケットを指先で突いた。
「問題ありません。ジークフリードと合流してからの仕事になりますから、今訓練を終えたばかりとなると、まだもう少しかかるでしょう」
「いつもなら出て行くくせに」
「ははは、ご冗談を。目の前にリンの作った新商品があるのです。出て行くわけがないでしょう?」
ライフォードさんの言葉に、私は顔を強張らせた。
どうしよう。ライフォードさん用に作っておいた分、全部ダリウス王子に差し上げてしまった。
あの時は雰囲気的に仕方がなかったとはいえ、どうして二個も渡してしまったのか。いいえ。むしろもっと用意しておくべきだったのよ。
完全に私の準備不足だ。
コバルトブルーの瞳に、期待と言う名のキラキラしたものが灯っている気がして、非常に居たたまれない。ごめんなさい、ライフォードさん。
「あ、あの……す、少ないですけど、これ、梓さんに……」
私は恐る恐る、梓さんにバスケットを差し出す。
「んふふ、やっとご対面ね! なにかしら!」
彼女は私から素早くバスケットを受け取ると、掛けていた布をさっと取り外した。
「これって……」
「前、梓さんが向こうの世界にいた時、主食がファストフードとか冷凍食品だとか言っていたので。馴染の料理かなぁって思って作ってみたんですけど……」
味の再現までは難しくて、とすまなさそうに頬を掻く。
聖女様と言っても、話を聞く限り好き勝手できるわけではないみたいだ。
もしもの時は魔物の相手をしなければいけないし、力が鈍ったりしてはいけないから日々の訓練も欠かせない。この世界についての知識や、慕われる存在――皆の手本としての立ち居振る舞いなども求められるはず。
梓さんは私の事を「大変」と言ったけれど、この世界に馴染んでしまえば、後は楽しく過ごせている。
豪華な服装も待遇もないけれど、私にはそれでいい。それで十分。今が幸せだ。
だから私は、私なんかより梓さんの方が大変だと思っている。
レストランテ・ハロルドで比較的自由にさせてもらっている分、せめて日々頑張っている梓さんが喜んでくれるよう、好みの味を目指してみたんだけれど。
いざ手渡すとなると、少し緊張してしまう。
気に入ってもらえるかな。もらえたら嬉しいな。
「毎日お疲れ様です。少しでも梓さんの役に立てたらって考えた結果、こうなりました」
「――ッもう。私が男なら、保護者面する男ども全員蹴散らして、毎日私のご飯を作ってくださいってプロポーズしているところよ! もー、好き! 凛さんのそういう気を回してくれるところ大好き!」
「え、あ、私も梓さんが好きですよ。友人として!」
保護者面する男ども、の辺りでライフォードさんが耐え切れないとばかりに、くつくつと笑い出した。そして、「聖女様の豪胆さと潔さ、誰かさんにも見習ってほしいですね」と、呆れたように呟く。
彼の言う誰かさんに心当たりはあったが、梓さんを見習って先程のような冗談を言うようになってしまったら、確実に私の心臓が持たない。
もっとも、大和撫子系美人に言われるのも、なかなか込み上がってくるものがあったんだけれど。
照れくささとかそういう方向で。
梓さんはバスケットをぎゅっと抱きしめた後、脆いガラス細工にでも触れるように、中からゆっくりとハンバーガーを取りだした。慣れた手つきで巻かれた紙を剥ぎ取り、大きく口を開けてかぶりつく。
ライフォードさんが「聖女様」と言いかけるが、私は片手で彼の言葉を制し、人差し指を唇に当てて「そういう食べ物なんです。すみませんが、大目に見てください」と、お願いした。
「……そうですね。息抜き、か。たまにはいいのかもしれません。いつも気を張っているのは、疲れますからね」
「ありがとうございます」
何か思うところがあるのか、今回は大人しく引き下がってくれた。
一日中気を張っているのはライフォードさんも一緒。もしかすると、梓さんの苦労を一番理解できるのは、彼自身なのかもしれない。
「んーッ! 生き返るわぁ!」
正面を向くと、頬一杯にハンバーガーを詰め込んだ梓さんが、とろとろに蕩けてしまいそうなくらい幸せな表情で、一口一口噛みしめている所だった。目を閉じ、視覚を遮断して、味覚に全力を注いでいる。
普段は美人で頼りになるお姉さんなのに、今日ばかりは子リスのような、好物を目の前にした子供のような、幼い顔になっていた。
何だか可愛い。
梓さんは唇の端についたタレを親指で拭うと、バスケットの中に入れておいたナプキンを取り出し「借りるわね」と言って拭きとった。さすがにダリウス王子みたく、豪快に舐め取るとかはしないみたいだ。
「レタスのシャキシャキ感に、お肉のジューシーさ! そしてマヨネーズと甘辛ダレが絶妙に絡み合って、最高に美味しいわ! それにこのパン。どうしたの? このために開発しましたってくらい、マッチしているわ!」
「さすがです、梓さん。美白ジュースのお店、覚えていますか? あのお店、今はパンも焼いているんですよ。作っている方はまだ見習いなんですが、とっても美味しくて! ハンバーガーはそことうちとのコラボレーションメニューなんです!」
「え、あの店と? いやいや、どうやって関係修復を――って凛さんには野暮な質問ね。この人タラシさんめ。えい」
ぺちん、と額を指ではじかれる。
「痛いです、梓さん」
「ふふ。ちょっとくらい良いじゃない?」
悪戯っぽく笑う梓さん。
すると、涼やかな声で「リン」とライフォードさんが私を呼んだ。
――これはもしかして。もしかしなくとも、「私の分は?」という事ですよね。
「ンンっ……、と、ところで。貴方の事ですから、きっとご準備があると思っていたのですが」
「す、すみません! それがその……」
誤魔化しても仕方がない。
私は念のためライフォードさんの分は用意していた事。しかし王子とうっかり出会ってしまい、成り行きで全て彼に渡してしまった事などを話した。
「ぜんぶ、おうじに?」
ライフォードさんは生気の抜けた声でぽつりと呟いた後、その場に崩れ落ちた。部下の皆さんが尊敬し、恐れる、完璧な第一騎士団長様の面影が消し飛んでいる。
罪悪感が凄まじい。
味見として食べた一個を残しておけば――いいや、味を確認していないものを他人に出せるわけがないし。やっぱり、もしもを想定して多めに作っておくべきだったのだ。
後悔しても後の祭り。
この世の終わり、みたいな顔でため息をつくライフォードさんには、また明日にでもデリバリーで送るとしよう。
「ほほほ! あんたの部下にも見せてあげたいわね、その顔!」
「部下がいれば意地でも地を這いませんよ」
服に付いた汚れを手で払い落とし、何事もなかったように身なりを整える。こういうところ、本当にライフォードさんらしい。
先程までの落ち込みが嘘みたいだ。
「あらあら、そろそろお仕事の時間ですわよ? 騎士団長様」
「聖女様、はしたないお願いだと重々承知しておりますが――」
「一個しかないんだから一口たりともあげないわよ?」
「……せめて最後まで聞いてください」
額に手を当て、本日何度目か分からない溜息を落とすライフォードさん。
そろそろお仕事の時間なのか。ならば、伝える機会は今しかないだろう。
「あの、よければ明日、デリバリーでお送りしますの――」
「本当ですね? 本当に送ってくださるのですね?」
まさかのライフォードさんが食い気味で被せてきた。
最後まで聞いてください、と言った口で最後まで聞かないとは。どれだけ必死なのか。
梓さんの為に作ったとはいえ、メニューに加えないとは言っていないし、ライフォードさんが食べたいとおっしゃるなら、いくらでも作りますとも。ええ。
でも――、ふわふわとした柔らかいブロンドヘアーが揺れ、澄み切ったコバルトブルーの瞳が私の顔を映す。形の良い唇が三日月形に微笑む様を目と鼻の先で見せつけられ、私は思わず椅子を掴みながら後退った。
「近い! 顔が近いですライフォードさん!」
「おっと、失礼しました。私とした事が」
素早く距離を取り、こほん、と咳払いを零す。
「では、楽しみにしております。……本音を言うと、わざわざ貴方が運んできてくださった料理を食せる聖女様が、少し羨ましくもありますが。こんな事を言ったらジークフリードに怒られてしまいますからね」
それでは私は失礼いたします、と恭しくお辞儀をして部屋を去っていくライフォードさん。
確かに明日はレストランテ・ハロルドの営業日だし、王宮まで足を運んでいる時間はない。そういった意味で、ジークフリードさんが怒ると言ったのかな。
「ジークフリードさんって、私の仕事の事も考えてくださっているんですね」
「あ、今のそう捕らえるの? 捕らえちゃうの? ニブチンとニブチンだと、見てるこっちの方がモダモダしちゃうものなのね!」
「ニブチン?」
「いいの。気にしないで。こういうのは当人たちの自由意思に任せるって決めてるから!」
梓さんはうんうんと頷いて、ハンバーガーの続きを食べ始めた。