幕間「調査と魔族サマ」後編
「君さぁ、最近、僕の前では取り繕わなくなったよね」
「ご主人様には刺激が強すぎるだろうから慎んでいるんだ。殊勝だろう?」
「素はそれって事?」
「これでも丸くなったんだ。若い頃はあれだ、世界の終焉を見てみるのも面白いなんて思っていた事もある。若気の至りだ、ははは!」
敵のボスクラスが仲間になったみたいですね、なんてリンが言っていたが、もしかするとその通りなのかもしれない。
魔族が敵なら、マルコシアスはその中心人物に名を連ねているはずだ。今は多少丸くなっていたとしても、人間ではない。
人の常識では測れない存在。それが魔族。
しかし、呪詛について彼に尋ねたとき、彼は人間の奥底にしまっていた感情を揺さぶり起こすのは、嫌いだ何だとか言っていなかっただろうか。
ハロルドは「芯、ブレてない?」と眉をひそめる。
「おっと、下級魔族と一緒にするなよ? 俺は陰湿なのは趣味じゃないが、大っぴらに求めるのは嫌いじゃあない。だから正面からお誘いしているんだろう? 墜ちてみないか、とな。俺の手腕は一級品だ。気持ち良く墜としてやるぞ?」
「ご遠慮願いまーす。残念だけど、君の玩具になってあげる気はないからね」
「玩具? そんな勿体ない事するわけないだろう」
「……ああ、そういう事。魔族の生態って、便利だよね」
マルコシアスは人間の料理を好んで食するが、別にそれで腹を膨らましているわけでは無い。魔族に食事は不要。
彼らの生命活動に必要なのは魔力だ。
通常は空中を漂っている魔力を、呼吸をするように身体に取り込んでいる。しかし、それだけでは、本当にただの生命維持程度の量しか手に入らない。
だから、人間を使うのだ。
魔族の力の源は魔力。そして、それを手に入れるためには人から奪うのが、一番効率が良い。
ただ――どうやら魔力にも好みと言うものがあるみたいで、力のある上級の魔族は人間を自分好みに誘導し、育ちきったところでぱくりと頂くらしい。
最初、食べ物でいうところの好き嫌いに近いのだろう、と気軽に考えていたハロルドだったが、想像より幾分も物騒だったので、読んでいた文献を危うくぶん投げそうになった。
魔族の好み。
本には、人間の性格や感情によって魔力の味が変わると記載されていたが。
「で、君は? どんなのが好みなの?」
「ははっ、詳しいと説明が省けて楽だな。俺の好みは尊大なまでの自信や自賛、それから――快楽だ」
「うっわ、最低」
嫌悪に満ちた目でマルコシアスを睨みつける。
「快楽に溺れる人間は良いぞ。色欲はその最たるものだが、それ以外にも快楽を感じる方法は沢山ある。他人を蹴落とす快楽。承認欲求を満たすことによる快楽。あとは……そうだな。散財浪費なんかも当てはまる。欲したものを手に入れる快楽は、なかなか逃れられるものではないだろう?」
「はぁ……ほんと、その本性リンの前で出したら、店から叩き出すからね。クソ野郎」
「何を今さら。お前が魔族をどう認識しているかは知らんが、魔族など所詮そんなものだ」
だから――と、何か言葉を続けようと口を開いたマルコシアスだったが、ハッと目を見開いて「何でもない」と片眉を上げた。
何だと言うのか。
ハロルドはマルコシアスの胸辺りに足の裏を当てると、押し倒すかのように力を入れた。
元第二騎士団長と言えど、所詮は魔導騎士。魔法によるボーナスのない脚力なんて、一般人に毛が生えた程度だ。故にこれはただの嫌がらせ――のはずだったのだが。
「ぅえ!?」
意外にも、その程度の刺激でマルコシアスの身体はいとも簡単に後ろへ倒れた。傍から見れば、仰向けになった男の胸を踏みつけているハロルド、という図になってしまう。
さすがに居心地が悪いので足を退けようとしたが、しかし、マルコシアスの唇が挑戦的に吊り上がったのを見て止めた。
売られた喧嘩は積極的に買う主義である。
ハロルドは苛立ちを隠して微笑み、彼の胸をぐりぐりと靴底で踏みつけた。
「ふ、はは、サディストかお前は。――安心しろ。言っただろう? あれは愛でるものだ。堕すものじゃない。魔族にだって特別はある。俺にとってリンは特別。彼女はあのままで良い」
「そう、ならこれからもそれでいてね。でも残念ながら僕は堕落しない。魔族の誘いであってもね。僕を堕落させたければ来世まで待つことだ。頭に叩き込んでおけ、ド畜生魔族サマ」
ハロルドは脳の停滞を嫌う。過ぎた快楽など思考の放棄に他ならない。彼にとって何よりも忌むべき、嫌悪の対象だった。
マルコシアスを踏みつけたまま、ゆらりと右手を挙げる。瞬間――、ハロルドの背後に大量の魔法陣が展開された。全てが眼前の魔族へと攻撃姿勢を取っている。
「性格に似合わず潔癖だなぁ、ハロルド。まぁ良い。今はリンのおかげで舌は満足している。魔力くらいは妥協しよう。――そういうわけで、対価はそれが良い。くれよ」
「いいけど。どう? このまま直接身体にぶちこんであげる、っていうのは」
「はははははっ! いいねぇいいねぇ、そういう過激なのも嫌いじゃあない。だが、残念だ。さすがにその方法では取り込めないんでね。普通に頼む」
仕方ないなぁ、と大袈裟にため息をついて、魔法陣を仕舞う。
もっとも、あれはただの威嚇。打ち込むつもりは毛頭なかった。例えるなら、犬や猫がジャレついているみたいなもの。
人間の常識で測れないのが魔族だが、ハロルドもまた天才ゆえに常識とは縁遠い。
結局は似た者同士。
だから、お互い一緒にいて気疲れしない、ラフな関係に落ち着いているのだ。
「それで? 腕を切ったらいいのかな?」
魔法でナイフのように鋭い氷を出現させる。さすがに丸ごと切り落とす気はないが、魔力を分け与えるならこれが一番手っ取り早い。
しかし、マルコシアスは不機嫌そうに首を振った。
「お前、この程度でそこまで貰えるか。普通に注いでくれたらいい」
「……なにそれ」
人間から魔力を摂取する方法は三つある。
魔族にとって一番効率が良いのは、人間の肉体を食らう事だ。
魔法が使えぬ人間でも、体内に微弱な魔力は流れている。ささやかな魔力量で我慢できるのなら、正直なところ相手は誰でも良いのだ。
次に人間の体液。一般的に血を摂取する事が多い。
ただ、魔法が使える人間でないと頂いても意味はなく、相手を選ぶ必要が出てくる。ハロルドはもちろん優秀な魔導師なので、これを提案したのだが――なぜか断られてしまった。
最後。これは本当に一握りの優秀な人間でないと効果を表さないもの。
魔族の肌に直接触れ、魔力を注ぎ込む方法だ。ハロルドほどの能力があれば、この方法でも可能ではあるが、しかし、効率は三つの中でも最底辺。
なぜマルコシアスは三番目を選んだのか。
不思議である。
まぁ、でも、彼がそれを選んだのなら、要望に応えるのが依頼主として当然の責務だ。
ハロルドは目の前の男の服を面倒くさそうに引っ張ると、素肌に直接手のひらを押し付けて魔力を注ぎ始める。
「君の考えが分からないよ」
「お前は人間の癖に、もっと自分の身体を労われ。……人間は、すぐに死ぬからな」
まるで遠い過去に思いを馳せているかのように、赤い目がぼんやりとハロルドの姿を映す。彼は右手を伸ばすと、よしよしとハロルドの頭を撫でた。
その姿があまりにも人間臭くて――ああ、ようやく繋がった。なぜ彼がいきなり魔族の本性を剥き出しにしてきたのか。
つまり。
そう、彼は、とっても面倒くさいお人好しだったのだ。
魔族など所詮そんなものだ、だから――の続きはきっとこうだ。この件はそんな魔族が関わっている、気を付けろ、と。
わざわざ自分を悪役に仕立て上げてでも、忠告したかったのだろう。
「全く。回りくどい性格してるよね、君。一言言えば済む話なのに。ちょっと僕も認識が甘かったかも。反省するよ」
「……好意的に受け取り過ぎだろ」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
ただし、耳が真っ赤に染まっていた。素直じゃない。
「あ。言っとくけど、リンから魔力を奪うのは無しだからね。欲しかったら僕のをあげるから、変に迫るのは駄目だよ?」
「馬鹿を言うな。ご主人様の魔力を直接もらうなんて死ぬ死ぬ。相性以前の問題だ。あれの魔力は魔族にとって毒にしかならない」
「へぇ?」
面白い情報だ。
ハロルドは唇の端をつり上げて笑った。
「うげ。お前のその顔は嫌だな。下手な情報を教えてしまったか?」
「そんな事ないよぉ?」
仕返しとばかりに、マルコシアスの頭をぐしゃぐしゃと両手で引っ掻き回した。すると、耐え切れなかったのか。ひょっこりと黒い獣の耳が顔を出す。
ハロルドは楽しくなってきて、更に耳ごと彼の頭を撫でまわした。
「……お前、限度というものが……うぅ、俺の毛並みをどうしてくれる……」
「あははは! いいじゃんいいじゃん、男前度が上がったよ?」
「ふ、ざ、け、る、な!」
さすがに許容範囲を超えたのか、マルコシアスはハロルドを蹴っ飛ばすと、おもむろに立ち上がった。身体についた埃をはたき落とし、指で髪を梳いて髪形を整える。
ハロルドは尻餅をついた反動で腰を痛めたのか、「痛いんだけど」と恨みがましくマルコシアスを睨み付けた。
「責任転嫁をするな。自業自得だ。……さて、魔力の馴染は上々。地上に出るのは久しぶりなので、カラっ欠だったんだ。これからもよろしく頼むぞ? 店長殿」
「ははは! 君って本当、めんっどくさいね!」
「言ってろ」
魔力を溜めて何に使う気なのか。
今までの言動を見ていたら、自ずと答えは分かる。自らが思っていたよりも、レストランテ・ハロルドはこの魔族さまにとって居心地が良いようだ。
「今回はこれだけにとどめておくけど、あんまりはしゃぎ過ぎると追い出すからね。忘れるなよ、魔族サマ?」
「お前どの口が……いや。オーケーオーケー、肝に銘じておくよ。――それじゃあ、試運転がてら王宮に戻ろうか!」
マルコシアスが両手を広げる。すると、彼の背中から漆黒の翼が生えた。空を撫でるように、ばさりと広がった羽は4枚。
黙って立っていれば、それこそ本当に神秘的な存在だと錯覚してしまいそうだ。人間を、特に女性なら容易に堕落させられるだろう。
「何それ。本体、狼じゃなかったの?」
「狼の背には羽が生えているものだろう?」
「どこの世界の常識だ!」
「さぁ、さくっと飛んで行こうじゃないか」
伸ばされた手を握りしめた途端、ハロルドの空中散歩は始まった。
ちなみに、運ばれ心地は最悪だったらしく、門前に着くなり「二度とごめんだ!」と顔を真っ青にして地面にばったりと倒れたそうな。





