63、ダリウス王子 後編
「あの、失礼ですが、ダリウス王子って、おいくつくらいなんですか?」
「何だ? 僕を子ども扱いしようって言うのか? 残念だったな! 今年十八で、来年は十九だ。もう立派な大人だぞ!」
「う、嘘……」
「嘘をついてどうする。何だ、子供っぽいとでも言いたいのか。……まぁ、ライフォードたちと比べて思慮深いかと言われれば、僕はまだ未熟だし、それに――」
王子は何か苦い記憶を思い起こされたのか、唇を噛んで下を向いた。
でも違う。私が驚いたのはそこではない。
十八歳。そうか、十八歳か。
顔の造形が綺麗な人間って、どうしてこうも年齢詐称レベルで大人びて見えるのだろう。私は両手で顔覆って、地面を転がりたくなった。
どうしよう。王子、めちゃくちゃ年下だったよ。
私たちの世界でいうと、高校生くらいじゃない。
何だか苦手意識をもって避けていたのが、恥ずかしくなってきた。私の常識とこの世界の常識は違うと分かっていても、彼が必死に大人だと主張していても、長年培われた私の中の当たり前が、彼を子供だと認識してしまう。
ダリウス王子に集中していた怒りが、少しだけ周囲の大人たちに分散された。
王子とは言え、まだ十八歳。
意見を言える立場の大人が、もっと気にかけてあげるべきでしょう。どうするのよ、これ。周囲の話を聞かない猪突猛進に育ってしまっているじゃない。
「それにしたって、料理番を捕まえて話をしたい、とか。まるで話を聞いてくれる人がいないみたい」
「……う」
何気なく呟いた私の一言は、どうやら王子にクリティカルダメージを与えてしまったようだ。ぎゅっと握り拳を地面につけて、そっぽを向かれてしまった。
うん、どうしよう。本当にいないみたいだ。
図らずとも傷を抉ってしまった結果に、私は頭を抱えた。誰か一人くらい、相談相手になってあげてよ。
多分、私がジークフリードさんの助けを借りて、何事もなくレストランテ・ハロルドで働けているからこそ、こんな甘い考えができるのだろう。
誰にも頼れず、もっと酷い目に遭っていたら、子供だろうが何だろうが、会話すら放棄していたはずだ。
『リン、まだ終わらぬのか? ……ん?』
バスケットから顔をのぞかせるガルラ様。
本当ならもうそろそろマル君に出会えているはずなのに。お待たせしてしまって申し訳ありません。
私は王子に聞こえないよう、小声で彼女に話しかける。
「すみません、まだもう少しかかりそうで……」
『なんじゃここは、キラキラしておるのぉ! うむ、妾は綺麗なものは特に好きじゃ。少し空を飛んで満喫してくる。その間、リンはそやつの調教でも頑張るがよい!』
そう言うが早いか、彼女はさっと翼を広げ、庭園を自由に飛び回りはじめた。
ガルラ火山は草木の生えない、岩肌のみの山。名物と言えるのは、立ち昇る火柱のみ。ガルラ様だって女性だ。花々が咲き誇る庭園というものは、やはり心躍るのだろう。
楽しそうに空を泳ぐガルラ様を見て、微笑ましい気持ちになる。
ただ、調教は違う。違いますよ、ガルラ様。
「あ、そうだ! これ、今日はこれを届け出に来たんですが、少し余裕があるので良かったら王子もお一つどうですか? お花のお礼に」
ガルラ様の抜け出た奥にあるハンバーガーの姿を見て、これだと思い差し出す。貴重な花をいただいたのに、何も返す物がないでは申し訳が立たない。
しかし――王子は困ったように眉を寄せた。
「僕はこの国の第一王子だ。何でもかんでも口に入れられるわけではない」
「あ、そうか。そうですよね。すみません!」
王子の言う通りだ。
私は自分の浅はかさに恥ずかしくなった。
いくら許可証を持っていても、城下町にある一料理屋の人間が作ったもの。毒見もいないのに、軽々しく口にできるはずがない。
取り出したハンバーガーをバスケットにしまい、もう一度「すみません」と口にする。
「悪い。り……いや、ええと、そういえば名前を聞いていなかったな」
「え? 名前? リ――あ。……リィンです、リィン!」
しまった。通算二度目の大失態。
ガルラ火山で学んだはずなのに、変装だけで満足してしまっていた。学習能力がないのか、私は。
さすがにリンゾウを使い回すわけにはいかないので、またもや咄嗟に浮かんできた名前を口にする。相変わらず酷いセンスだ。
ほぼ本名です。偽名とは一体。
「……お前、もっとマシな……いや、良い。リィンだな、分かった」
「ええ、そうです。リィンです! よろしくお願いします!」
動揺を隠そうと多少オーバーに笑ってみせる。王子は平時と変わらぬ仏頂面で、はぁ、とあからさまなため息をついた。
何なの。リンゾウよりは随分とマシな名前だったと思うけど、この世界ではおかしな名前だったりするのだろうか。
でも、今さら撤回は出来ない。名前間違えてました――なんて、怪しすぎるでしょう。
「お前って利口なのか馬鹿なのか分からないな」
「それ、半分褒めてます?」
「ははっ! 前向きすぎだろ、馬鹿!」
王子は心底おかしいと言った風に、腹を抱えて笑い出した。
ずっと馬鹿だ馬鹿だと言われ続けていたから、半分でも良い意味の単語が混ざり込んだのなら、褒められていると解釈してもおかしくないでしょうに。
そんなに笑う必要、無いと思うんですが。
「笑い過ぎです。もう、一人でライフォードさんのところ行きますよ」
「はは、悪かった。もう少しだけ付き合え」
ダリウス王子は目尻に溜まった涙を指で拭った。
泣く程笑っていたのか。失礼な人だ。
庭園をぐるりを見渡せば、ガルラ様の姿はすぐに確認できた。
ばさりと羽を広げて飛び立ったかと思えば、気に入った花の近くに留まり、鼻先を近づけている。ひくひくとそれが動いた。そして『愛いのぅ』と呟き、うっとりと瞳を細める。
凄く楽しんでいらっしゃる。邪魔をしては悪いと感じるほどに。
私も王子の相手をしなくて良いのなら、もっとこの庭園を満喫したいのだけれど。――どうやら、離してはくれないようだ。
仕方がない。
ガルラ様が満足するまでは付き合ってあげましょう。
「なぁ、リィン」
「はい、なんでしょう」
「お前にこんな事を聞くのはおかしいかもしれないが……」
王子は少し下唇を噛んで、じ、と私を見つめた。
「聖女とは何だと思う?」
「は?」
何だと言われましても。
模範解答としては、「聖女とは国に繁栄をもたらす存在。平和の象徴。存在する事が求められている、民衆の希望」といったところか。
でも、そんな当たり前の事実を聞いているのではないのだろう。ダリウス王子が聖女に対して並々ならぬ感情を抱いている事は知っている。彼の方がずっと、聖女という存在に詳しいはずだ。
私程度の知識で、聖女が何かなんて語れるはずがない。
だからきっと、彼は答えなんて求めてはいないのだ。
「逆に、あなたにとって聖女とはなんです? 憧れですか? それとも――」
「憧れ、か」
王子は一拍おいて「分からない」と首を振った。
「憧れの感情を持っていたのは確かだと思う。うん。僕は、聖女という存在に憧れていた。子供の頃は童話やお伽噺を、大きくなったら文献を。ずっと、彼女を追いかけて――……ああ、そうか。僕は聖女という存在に恋をしていたのかもしれない」
恋、という単語にビクリと肩が震える。
困った。どうしよう。私は生まれて此の方、恋愛相談なんて受けた事がないし、恋バナというやつもした事がないぞ。
でも、多分あれよね。白の聖女であるアリスちゃんへの恋心を、たった今自覚させてしまったとか。そういう流れよね、これ。
無理。相談に乗りようがない。
動揺を悟られまいと、私は無言を貫き通す。しかしダリウス王子は何の反応もない私を気にしたそぶりも見せず、淡々と言葉を続けた。
「特に数千年前、たった一度だけ異世界から召喚した聖女。彼女が僕の理想だった。クリーム色の髪に、愛らしい顔。初めて見たとき、アリスはきっと僕の理想としている聖女だと思っていた」
「思って、いた?」
雲行きが怪しくなってきた。
確かに。マーナガルムで彼らと遭遇した時、関係が良好とは言えなかったけれど。
「まさか。恋愛相談じゃ、ない?」
「そんなわけあるか」
人差し指でおでこを弾かれる。デコピンだ。痛い。
両手で額を押さえる。その隙間から、王子の顔が見えた。
さやさやと吹く静かな風が、銀色の髪を揺らす。パープルの瞳は太陽の光を浴びてもなお、ほの暗さが宿っていた。
空からは暖かな陽気が降り注いでいるのに、彼の周囲だけがじっとりと湿っている。
まるで、暴風に煽られている花びらだ。
あともう少しで本体から千切られてしまう。そんな状態。
きっと、頑張る事を止めれば風に流され、楽になれる。理解はしている。それでも――それでも、ギリギリまで踏みとどまるしかない。そんな印象を受けた。
「――きっと助けてほしかったんだな、僕は。伝承では、聖女と結ばれた男は王族で、理由は不明だが疎まれていたらしい。だが、聖女に出会って、聖女に救われた。だから、僕も聖女が欲しかった。僕を助けてくれる聖女が。ああ、そうだ。いつだって僕は……」
何かを言いたげに口を開くが、すぐに閉じて首を横に振った。
「いや、つまらない話だな。もう良い。解放してやる。騎士団長の執務室だったな」
王子は深い息を吐くと、おもむろに立ち上がった。
話を聞けと言ったり、言うだけ言ってから途中でやめたり。本当に勝手な人だ。
ほら、と手を差し伸べられるが、私は逆に座れと言わんばかりに引っ張った。残念でした。リリウムブランのお礼をまだしていません。
「何をする、平民」
「私にはどうする事も出来ませんが、話くらいなら聞きますよ」
「別にもう良い。さっき僕が言った事はすべて忘れろ。僕は王子だ。くだらない泣き言は吐かない。いいな?」
「別に、泣き言にくだらないものなんてないと思いますけど。だって、苦しい事って吐き出さないと溜まってしまうでしょう? 吐きだすのは良い事ですよ。……絶対、他人に漏らしたりはしませんから」
私がテコでも動かないと気付いたのか。
王子は呆れながらも、もう一度私の隣に腰を下ろす。むすっと不機嫌を隠さない顔で胡坐をかき、片手を支えに顎を置いている。随分と砕けた格好だ。
ここには基本的に王子以外足を踏み入れないらしい。隣にいるのが私だけという事も相まって、気が抜けているのかもしれない。
「どうして、お前が僕を気遣うんだ」
「別に気を使っているつもりはありませんけど」
「急ぐんだろう、ライフォードのところに」
「急ぎではないので大丈夫です。それに」
「それに?」
「だってダリウス王子、話を聞いてほしそうな顔してるじゃないですか」
ぴくりと王子の肩が震えた。
「なんだよ、それ。まるで、お前の方が……本当に……」
絞り出された声は弱弱しく、まるで今にも泣き出してしまいそうなほど掠れていた。