62、ダリウス王子 中編
「ふん、僕に面と向かって文句を言うくらい、ジークフリードが大事らしいな。安心しろ。もう、あのような失態はおかさない。鍵は常に身に着けておく」
「し、失礼しました! 王子相手に気安く……って鍵? まさか、持ち歩いていなかったのですか?」
「……そうだよ。あんな倉庫の鍵、普段使わないから執務室にしまっていた。有事の時は、ライフォードやジークフリードが開けていたからな。――でも、多分、使われたのなら僕の鍵だろう」
ダリウス王子はズボンのベルトに繋がれている鍵を握ると、腹立たしげに踵をぐりぐりと地面に押し付けた。
嘘をついているようには見えない。
この事件の捜査権は第一騎士団、つまりライフォードさんにある。王子はきっと、何も知らされていないのだろう。何も知らないから、能天気に私なんかと会話をしているのだ。
だって、証言、状況、立場全てが彼を犯人だと決めつけている。銀髪の男と言い争っていた証言。ジークフリードさんと不仲である状況。薬師連盟のトップであり、倉庫の鍵を持つ第一王子という立場。――もし、自分が怪しまれていると知ったら、火消しに走っているはずだ。
そもそも言い争っている時、まるで見せつけるかのように顔を隠していないのが気になる。銀髪が珍しい色とだと知っているのなら、普通はフードなどで隠すだろう。
それに――私は自分の髪を一房摘まんだ。
この世界には魔法がある。
目に見えるものが全て真実とは限らない。人間に擬態しているマル君を見て、ハロルドさんはそう言っていた。
きっと、幻術や何かでダリウス王子に化け、罪をなすりつけている可能性もある、と言いたかったのだろう。
嫌な予感がする。
このままでは彼自身も知らぬ間に黒幕だと結論付けられ、内々に処理されてしまうような気がした。勘だ。勘だけれど。こういう時、私の勘は良く当たる。
彼が本当に犯人なら、それで良い。事件は解決だ。
でも、もし冤罪なら。
「今回、薬をぶちまけた第三騎士団の人間と、銀髪の人が言い争っている現場を見たという人がいるらしいのですが……」
「銀髪……?」
本当は言うべきではないのかもしれない。でも私の直感が告げていた。
今ここで手を打っておかないと手遅れになる。
相手がいくら憎きダリウス王子だとしても、人として見過ごせなかった。それに、本当の犯人を野放しにして、またジークフリードさんたち第三騎士団が危険に晒されてはたまったものではない。
私が今回漏らした情報は欠片だ。
私は目撃者の顔を知らないので、この情報だけでは証人探しは不可能。ダリウス王子が犯人だったとしても、口止めは出来ない。そんなギリギリの情報である。
「銀髪と、言ったのか?」
「ええ、珍しい色だそうですね」
「――ッ、何なんだ、それ。何だそれは! 僕はそんなの知らない! そこまで愚かじゃない!」
彼はパープルの瞳に苛立ちをにじませ、手近にあった木を殴りつける。しかし、ハッとして私の顔を見ると「……お前は、信じないだろうが」そう言って、俯いた。
奥歯をギリギリと噛みしめ、まるで泣くまいと我慢している子供のようだ。震える睫毛の下には、うっすらと涙の膜が張っている。
ちょっと待って。これじゃあ私が泣かせているみたいじゃない。第一王子を泣かせる平民とか、色々問題があるでしょう。そもそも、ただの料理屋に信じてもらえなくて涙目な王子って、どれだけメンタルボロボロなのよ。
そういえば、マーナガルムの森で出会った時も、随分と白の聖女様に振り回されていたようだったし。面倒な時に遭遇してしまったのかもしれない。
ああもう、仕方がない。
「信じます」
「……え」
「信じます。だから、そんな泣きそうな顔しないでください」
ハロルドさんはダリウス王子を馬鹿だと言った。今は彼の「誰かを操ってまで嫌がらせするような馬鹿じゃない」という言葉を信じよう。
彼に対する苦手意識や、出会った当初の仕打ちを忘れたわけでは無いが、それはそれ。今回の事件とは無関係だ。分別くらい弁えている。
とりあえず欲しい情報は得た。
珍しくやる気を出しているハロルドさんに、お土産として渡すのもやぶさかではない。いつもお世話になっているしね。これくらいは協力しよう。
後はさっさとこのハンバーガーを梓さんに届けて、王宮とはおさらばだ。――しかし、そう考えていた私の腕を、ダリウス王子は無言で鷲掴んだ。
「ちょ、ダリウス王子!? 何、何ですか!」
「少し話に付き合え。ここは僕以外、誰も来ない。少し話すくらいならばいいだろう」
「ですが私、これから用事が」
「命令だ、と言わなければいけないのか?」
ふいに振り向いた彼の瞳は未だうっすらと涙に濡れ――しかしながら、顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
泣いていると図星をつかれて恥ずかしかったのだろうか。口止めなら一言そういえば済むのに。
こちらの意思を無視してずんずんと進んでいくダリウス王子。どうやら諦めるしかなさそうだ。
いざとなったら全力で逃げる事も視野に入れて、私は大人しく彼に引っ張られる事にしたのだった。
* * * * * * *
近くにあった庭園のような場所。その入り口である鉄製の扉を無造作に開け放ち、王子は私を中へ押し込んだ。
途端、濃厚な花の香りに包まれる。
舗装された道の脇は、色とりどりの花で賑わっていた。
赤や黄、紫にピンク。特に白の花が多くみられ、芸術には疎い私でも、こだわりをもって植えられているのがよく分かった。王宮の庭園にしては少し狭い気もするが、それが気にならない程に華やかで、心躍る庭である。
「うわぁ! すごいすごい! 中はこうなっていたんですね! 綺麗!」
腕は既に自由になっており、私は思わず王子を放って走り出した。
空から降り注ぐ太陽は、花々をキラキラと輝かせている。顔を近づけると、葉も花弁も瑞々しく潤っていた。
軽く見渡しても雑草の類は見当たらないし、とても手入れが行き届いている庭園だ。深い愛情が感じられる。
「わ。この花とても不思議。初めて見ました。綺麗!」
とある花の前で、しゃがみ込む。
乳白色の小さな花弁が六枚。太陽の光を逃がすまいと、中心から大きく花開いている。
ガラスか何かでコーティングされているかのような、艶のある表面。少し角度を変えると、青、緑、紫といった風に色彩を変化させる。まるで宝石のオパール。確か、ゆらゆらと遊ぶように色を変える事から、遊色効果と呼ばれているんだったか。
ライトフラワーのように、食べてみたら何か特別な効果が出たりするのかな。ちょっと欲しいけれどけれど、さすがに王子には頼めない。珍しい花っぽいし。
「リリウムブラン。古の聖女……異世界から召喚された聖女がとても気に入っていたとされる花だ。栽培方法が難しく、王都周辺を探してもここでしか見られないだろう」
ダリウス王子は私の隣にすとんと腰を下ろし、立てた片膝を両腕で抱え込む。
さらりと流れる前髪のせいで表情は分からないが、声に覇気は無かった。
「……ありがとう」
「え?」
「別に。……ここも、花も、全て聖女のために作った。だが、どちらの聖女も花などに興味はないらしい。それもそうだ。過去の聖女と当代の聖女は別物。同一視する方がおかしい。全く、自らの浅慮に腹が立つ。言われた通りだ」
王子は手伸ばし、リリウムブランにそっと触れた。その花弁は、光を反射して様々な色味を見せてくれる。
「だから、もう日の目を見ないと思っていた。……まぁ、相手がお前だというのが癪に障るけど」
ふん、と鼻を鳴らす。
しおらしいと思ったら一言余計だ、この王子。
召喚された聖女に並々ならぬ執着を持っているのは知っていたが、まさか庭園を造ってしまう程とは。推しに対する力の入れ方が半端ないわ。権力と金がある人間は違う。
まぁでも、私だってジークフリードさんに対するパワーなら負けてないですけど。推しの喜ぶ顔が見たい、という気持ちなら痛いほどよく分かる。
「これだけ綺麗な庭を作るの、大変だったでしょうね。今だってちゃんと手入れが行き届いていて、なんだか別世界にきたみたいです」
「そうでもないぞ。確かに育成が上手くいかないときは苦労したが、手をかけた分、綺麗に花を咲かせたときの感動はひとしおだ」
「……え? ここって、庭師さんは?」
「なんだよ。王子のくせに土いじりが好きで悪いか」
今、何とおっしゃいましたか。
私の勘違いでなければ、この庭園は王子が自力で作ったと聞こえたのだけれど。
いやいや、まさか――そんな気持ちを込めて王子の方を見る。彼は恥ずかしいのか、口元を手の甲で押さえた。また耳まで真っ赤に染まっている。
意外と照れ屋なのかもしれない。
「ふん。さすがに全て僕だけで賄えるわけがないから、庭師を一人雇っている。父上には庭いじりが好きなんて情けないと……内密にするよう言われているから、こんな隅にしか持てなかったんだけど」
何を思ったのか。彼はおもむろに両膝を地面につけると、リリウムブランを茎からぶちっと千切る。そして、それを私に差し出した。
「気に入ったんだろう? 持って行け」
「でも、貴重な花なのでは?」
「管理者の僕が良いっていっているんだ。素直に受け取れよ」
「あ、りがとう、ございます」
「うん」
王子の責務も、疑われている緊張感も、背負っているものすべて忘れたような、純粋な笑み。細められた目尻がふにゃりと蕩けて、心底嬉しそうだった。
そうやって笑った顔が、あまりにも子供に見えて。
もしかして王子ってかなり年下なのでは、という疑問が湧いた。
「何? 気に入らなかった?」
「え、いえ! 後で大事にいただきますね!」
「そうか。大事にいただ……え? いただく? 何に使う気だよ、お前」
しまった。つい欲望が口をついてしまった。
さすがに「後で食べようと思って」とは言えず、私は笑って誤魔化すことにした。