61、ダリウス王子 前編
苦手意識からか、近づく事すらしなかった王宮。
手入れの行き届いている並木道を抜け、美術品のように細部まで緻密に彫り込まれた城門にたどり着く。
やはり国の根幹をなしている場所なので、かなりの面積を有していると分かった。左右を見渡しても、どの辺りが端なのか全く見当もつかない。
遠くの方では城の屋根が見えた。
あの時はジークフリードさんの背中しか見ていなかったから、こうやってじっくりと観察するのは初めてだ。
「よろしくお願いします」
衛兵さんに入城許可証を手渡すと、彼はその石に魔力を込めはじめた。
かすかに光が灯り、石の中で泳いでいた文字が勢いよく外に飛び出してくる。まるでプロジェクター。それらは空中に並び、文章を構成する。
「わ、すごい!」
「おや、初めてでしたか。なかなか見ごたえあるでしょう? それではレストランテ・ハロルドの店員殿。許可レベルを確認いたしました。騎士団長の執務室までですので、Aランク相当ですね。迷わないようお気をつけて」
許可証を私に返却し、爽やかな笑顔と共に送り出してくれる衛兵さん。彼は朗らかに胸を張っており、自分の仕事に誇りを持っている様子が覗えた。
私はお礼の後「お仕事頑張ってください」と言って城門をくぐり抜ける。
向かって真正面。遠くにあると言うのに、首を左右に振らないと全体像を把握できない程に巨大な建物が、まず出迎えてくれた。
メインのお城だ。
何本もの柱が連なって空高く伸び、間には巨大な窓がはめ込まれていた。目を引く白亜の壁。全体的に重厚ながら、差し色の青が明るい印象を与えてくれる。
城までの道のりには小さな石が敷き詰めてあり、組み合わせ方によって、まるで模様を描いたような通路が出来上がっていた。そして、その通路を避けて青々と茂る芝生。真ん中には控えめながら噴水が、涼しげに水を吐き出していた。
別世界の風景にテンションがあがる。ただ、目標地点はお城ではない。騎士団長の執務室だ。
私はきょろきょろと辺りを見回し、とりあえず誰か歩いている人に道を聞いてみようと思った。
知らない場所を訪れた人間にとって、当たり前の選択肢。言うなれば普通。おかしな点など一切なかった。
それがまさか、こんな事になるなんて――。
「なぜ!? さっそく迷子です!」
『リン……』
腕に抱えたバスケットからフェニちゃんが顔を出す。
中は、一番下にハンバーガー、次にフェニちゃん、一番上に小さな布という順で積み重なっている。彼女は道すがら、料理が冷えては困るだろうと、保温の意味も込めてバスケットの中で待機すると言ってくれた。
見た目は鳥だが、フェニちゃんの本質は炎だ。温度を調節すれば、食べ物を温かく保つくらいはできるらしい。なんと頼もしい。
『道を聞いたのではなかったか?』
「そのはずなんですが……言う通りに進んでみたら、なんか庭みたいなところに」
まるで隠すように、木々の隙間から庭園のような場所が見える。ただ、人間の背丈ほどに伸びた垣根が塀の役割を果たしており、中の様子までは分からない。
唯一鉄製の門が取り付けてある入り口付近に、ちらちらと花の姿が確認できる事から庭だと判断した。
ちょっと気になるが、私の目的地はここではない。とりあえず一度引き返して、もう一度別の誰かに道を教えてもらうのが一番かな。
うーむ。方向音痴の気はなかったはずなんだけど。
「はぁ、聞き間違えたのかな?」
「ここで何をしている」
突如響いた声に驚き、私は振り向く。
しかし、一瞬でその判断を後悔した。
これだけ広い敷地内。出会う可能性は限りなく低いばず。だからきっと、私は本当に運が悪かったのだ。
透き通るような銀髪が風に揺れ、パープルの瞳が訝しげに細まる。私の目の前にいた人物――ダリウス王子は、平時と変わらぬ鋭い目つきで私を見ていた。
「ここからは私以外ほぼ立ち入らぬエリアだ。誰の許可を得てここにいる?」
「も、申し訳ございません! 第一騎士団長様の執務室に行こうとして迷ってしまいました。こちらだと言われたのですが……」
「見え透いた嘘を。騎士団の執務室は真逆だ。人に尋ねたというのなら、ここは間違うはずもない場所だ」
「嘘、真逆!?」
何故。まっすぐ進めばすぐだよと言われ、馬鹿正直に真っ直ぐ進んだのが悪かったというのか。
しかもそのせいで王子とエンカウントするなんて。ついてなさすぎる。厄日か今日は。
「怪しいな」
「道を間違えたのは謝ります! ですが、どうか私の話を……!」
「ふん、それになんの意味が?」
予備動作も無しに、腰に下げた剣へと手をかける。
相変わらず腹の立つ男だ。人の話を吟味せず嘘だと決めつけてくる王子に、苛立ちが沸き上がる。でも、今はそんな事を言っている場合ではない。
幻術の魔石のおかげで、私が巻き込まれ召還者のリンであるとバレていないのは喜ばしい事だ。しかし、そのせいで切り捨てられてはたまったものではない。本末転倒だ。
バスケット中で『なんじゃこやつ。燃やすか?』と尋ねてくるガルラ様を抑え、私は両手を上げる。
敵対する意志は無いというアピールだ。
「本当です! 入城許可証ならこちらにありますし、ええと、ダンダリアンさん? という方にこちらだと聞かされて」
「ダンダリアンだと? 許可証をかせ。……投げて寄越せ」
言われた通り、許可証を投げて渡す。
ダンダリアンさんとは、私が王城に入ってすぐに出会った人物だ。サングラスのような眼鏡をかけた、黒髪の若い男性。少し怪しげな雰囲気が漂っていたものの、王宮内にいるのだから大丈夫だと信じて道を聞いたのだが。
王子の反応を見るに、何か問題のある人物だったのだろうか。
許可証に魔力を込め、文字を浮かび上がらせるダリウス王子。特に表情も変えず「本物のようだな」と呟く。
しかし次の瞬間、彼の表情が一瞬にして曇った。
「料理屋か。しかし、わざわざ許可証をくれてやるなど、どれほど気に入っていると……ん? 責任者ハロルド・ヒューイットぉ!? あんの阿呆、城勤めを止めると言い出すから何事かと思えば!」
急に怒鳴りはじめた王子の様子に、二、三歩後ずさる。
まさか王子とまで知り合いだったなんて。ハロルドさんの顔の広さには驚かされてばかりだ。
「お、お知り合いですか?」
「やつの尻拭いに私まで駆り出されることが度々あってな。思いだすだけでも胃痛がする……! おまえ、苦労しているんだな」
生暖かい眼差しを私に投げて寄越した後、わざわざ近づいて許可証を返してくれた。投げ返されるものだとばかり思っていたので、少し驚く。
それにしても。まさかハロルドさん関連で親近感を持たれるとは思ってもみなかった。うちの店長ってば、王城でお世話になっていた頃、一体何をしでかしたのやら。
王子自ら尻拭いって、よっぽどでしょう。
「それで、あいつは?」と聞いてくるので「いません」と答える。王子はあからさまに安心したような顔を見せた。正確にはここにいない、だが。言わぬが仏だろう。
「で、ダンダリアンは他に何か言っていたか?」
「他? ええと、自分は王族直属の相談員だと……まさか、違うのですか?」
「はぁ、その時点で少し間違っている。アイツは王族ではなく、我が妹ユーティティア・ランバルト専属だ。恐らく、暇潰しか何かで遊ばれたのだろう。あれはそういうヤツだ。……悪かったな。妹のお気に入りのため、罰することはできんが、注意くらいはしておこう」
「ありがとう、ございます……」
苦々しい顔で告げる。なんて傍迷惑な人間を雇っているのだ。
人をからかうのが好きなハロルドさんやマル君でも、からかう相手は選んでいる。初対面だろうが何だろうが気にせず手近な人間で遊ぶなんて、厄介な人に声をかけてしまったらしい。
「詫びといってはなんだが、執務室までは私が案内してやる。ありがたく着いてこい。……まったく。遠征の件と良い、どうしてこう面倒事ばかり起きるのか」
「……遠征とは、ガルラ火山遠征の事でしょうか?」
「ふん。平民のくせに、よく知っているな。誰が漏らしたかは知らんが、口は慎めよ」
彼の言葉には、心底迷惑しているという様子が見て取れた。
おかしい。彼は面倒事ばかり起きると言った。もし王子が主犯なら面倒事ばかり「起きる」と口にするのは違和感がある。起こしたのが自分なのだから。
そもそも、関係者ならわざわざ話題に出したりはしないだろう。
ただの料理屋の女に嘘をつくメリットは無いはず。ハロルドさんの言った通り、本当に王子は無関係なのだろうか。わからない。情報が少なすぎる。
少し、探りを入れてみるか。まぁ、徒労に終わるだろうが。王子が私なんかの質問に、律儀に答えてくれるはずがない。
「一つだけ、お聞きしたいことがございます。何故、遠征の延期が出来なかったのでしょう。あのままだと、ジークフリードさ……いえ、第三騎士団が危険になると理解していたはずですが」
「はっ、そうか。目当てはライフォードではなく、ジークフリードだとはな。だが他人の心配より自らの立場を理解した方が良い。不敬だぞ、女」
「め、目当てだなんて! そういうのではありません! 彼はアイドル……じゃなかった、憧れのような存在で! ライフォードさんだって、ただのデリバリーのお客さんです!」
「――、……お前」
背をむいて歩き出した王子の足が、ぴたりと止まる。勢いよく振り向いた王子の瞳は、信じられないものでも見るように見開かれていた。
何だと言うのか。騎士団長様たちは確かに美形だけれど、彼ら目当てに許可証を強請ったと思われては心外だ。料理番としての矜持くらいはある。
「ですから!」
「はぁ、目あての方に反応するのか。もういい、馬鹿が移りそうだから黙っていろ」
「……うぐっ」
反論できない自分が悔しい。
またもやバスケットの中から『燃やすか?』と顔を出したガルラ様を必死に抑える。
いくら腹が立っても、憎々しくても、あれはこの国の第一王子なのだ。危害を加えれば私はただの犯罪者になってしまう。
「王子ですから。あれ、王子ですから」と小声でガルラ様を説得し、何とか事なきを得る。ガルラ様は最後まで『うっそじゃあ』と言っていたが、そう言いたいのはこっちの方である。
嘘みたいだが、あれが王子なのだ。
私は恐る恐るダリウス王子の顔色をうかがう。
ガルラ様の声はキィキィとしか聞こえていないだろうが、私があれ呼びしたのは聞えているかもしれない。ついうっかり本音が出てしまった。
「あの、ダリウス王子」
「各店の在庫や、薬を作るための材料がどれだけあるかなど、定期的に報告させている。さすがに王国全土とはいかないが、王都に近い店の状況は把握している。防炎など、ここ王都では大量消費される類いの薬ではない。だから、かき集めれば問題がないはずだった」
「へ?」
間の抜けた声が漏れる。
驚いた。質問しても答えは返ってこないだろうと思っていたのに、彼は律儀に答えてくれたのだ。それも、説得力のある言葉で。
私は彼の顔を真っ直ぐに見返す。透き通るようなパープルの瞳に淀みはなく、嘘偽りのない真実を語っているのだろうと感じた。
「何だ。聞きたかったのだろう?」
「あ、えっと、はい。では、想定よりも薬の量が少なかったという事ですか?」
「僕だってガルラ火山の危険性は充分理解している。だが山は封鎖しており、あれ以上待たせれば、強制入山してくる馬鹿も多く現れかねない状況だったのだ。魔石発掘を生業としているやつらは特に」
ダリウス王子は憎々しげに息を吐いた。
「……ジークフリードなら、やれると踏んだ。あいつ自体は気に食わんが能力はある。優秀な男だ」
「ゆう、しゅう?」
「なんだ。僕があいつを褒めるのがそんなにおかしいか。能力に人柄や立場は関係ない。それくらい、分かっている」
私はポカンと口を開けたまま固まっていたが、ダリウス王子の顔が不機嫌に歪み始めたので、慌てて首を横に振った。
意外だ。目に見えてジークフリードさんを嫌っているダリウス王子の口から、「優秀」という言葉が出てくるなんて。誰が想像しただろう。
初日からの印象でダリウス王子は子供っぽい思想――失礼だが、相手が嫌いならば容姿、声、能力まで全てが嫌いなのだと思っていた。
相手の認めるべき所はきちんと認める。人は結構自分の感情に左右される所があるから、これって簡単なようで実は難しいのだ。
「それで。僕に聞きたいのはそれだけか?」
今までの刺々しい声色は鳴りを潜め、子供を諭すかのような柔らかいものへと変わる。
「失礼ですが、頭でも打たれたのですか?」そう言い出しそうな口を必死で閉じ、私は無言で頷いた。