59、お願いの行方
ぱちぱちと焼ける音がする。
朝。レストランテ・ハロルドに充満するのは、食欲をそそる甘い肉の匂いだ。
私は薄く伸ばしたミンチ肉をくるりとひっくり返し、満面の笑みを浮かべた。
ダンさんがパン屋を兼業すると宣言した時から、作ってみたかったものがある。
材料が全く揃わないので日本食などは無理だが、梓さんが時折「私、あっちの世界にいた時は、冷凍かコンビニか、ファストフードが主食だったのよねぇ」と口にするので、ハンバーガーを作って驚かせてみたいと思っていたのだ。
少し特殊なパンになるので、ダンさんに無理を言って頼み込んだのが少し前。売り物用のパンではないのに、私の我が儘を叶えてくれたダンさんには、本当に足を向けて寝られない。
さすがに味までは再現できないけれど、材料は良いものを使っているので美味しいはずだ。
パンと肉なので体力回復にもってこいなのも、聖女のお役目で大変な梓さんにはピッタリだろう。ついでに、簡略化して食堂のメニューにも加えられたら最高だ。
そういえば。防炎機能が備わっている特製ドリンクをメニューに載せているので、そろそろ体力回復以外の料理を並べてみるのはどうか、なんて事を最近になって店長に提案してみた事がある。
しかし――。
「とっておきはとっておきの時にって、ライフォードも言っていただろう? 何が蛇に化けて襲ってくるか分からないからね、藪は突かない方が賢明だよ。今はね」
――と、諭されてしまった。
確かにライフォードさんにも、手の内は全て見せるものではなく、使うべき時は見定めろと言われた事がある。薬師連盟――もといダリウス王子たちと対立するのも面倒だ。
様々な効果を付与する研究を疎かにはしていないが、日の目を見るのはまだまだ先らしい。まぁ、新しいものというのはじんわりと広がっていくもの。急激な改革は毒になる可能性もはらんでいる。と考えれば、やはりこれで良いのだろう。
メモにでもしたためておけば、いつかはきっと役に立つ日がやってくるはずだ。多分。
でも、逆を言えば「とっておきの日」には「とっておき」をぶつけても大丈夫なのかもしれない。それも、薬とは関係のない方向で、なおかつ薬師連盟とは共存していく形だとベストだ。
焼けたハンバーグとレタスをバンズに挟み込み、特製のソースをかけながら思う。
年始のお祭り二日目。レストランテ・ハロルドとしても屋台を出すのだから、何か面白いものを提供できれば良いのだけれど。
「っと、よしよし。試作品完成!」
「わふっ!」
足元を見ると、クロ君が期待に満ちた表情で見上げていた。
実は彼、さっきからずっと私と厨房の間に挟まりながら、何をするでもなくじっと立っていたのだ。実家にいた犬を思い出すなぁ、これ。
手を洗ってから抱き上げ、ふわふわのお腹に顔をうずめる。
クロ君は仕方ないなぁとでも言うように右手で私の頭をぺちぺちと叩いた。マル君の分身らしいが、彼の面倒な部分を全て抜き取って、お人よしとしっかり者の部分だけを抽出したのがクロ君――のように思える。本人に言ったら怒られそうだけれど。
「おい、いつまでそいつとじゃれ合っているつもりだ?」
クロ君の何倍もある尻尾をゆらゆらと揺らしながら、こっちを見ている魔族様が一人。カウンター席から顔をのぞかせていた。
「はいはい、すぐにご用意します。もう少しだけ待ってくださいね」
「ああ。急げ急げ、ご主人様。俺の腹が限界だぞ」
先程よりも増して尻尾をブンブンと振り回すマル君。よほど食べたかったらしい。本当に尻尾だけは素直なんだから。
「わふぅ……」
クロ君は呆れた表情で本体を見つめると、空気を読んで姿を消してくれた。本当に良い子だ。今日は一日暇を持て余す予定だから、フェニちゃんと一緒に後でゆっくりかまってあげよう。
「んー……良い匂い……リン、僕の分もある?」
更にハロルドさんが軽快な音を響かせて階段から降りてくる。
「はーい、じゃあハロルドさんの分も準備しますね。それにしても、今日は定休日なのに早いですね。いつも昼過ぎまで寝てるじゃないですか」
「いつもじゃないですぅ。僕だって用事がある日は早いんですよー。というわけでマル君、やっと許可が下りたらしいから、昨日取りに行ってきたんだ。協力してくれるんだろう?」
「ほい」と小指大の何かをマル君へ投げて寄越す。
遠目からだったので詳細は分からないが、恐らく赤い宝石のようなものだと思う。窓から差し込む光を浴びて、きらり透明度の高い輝きがそれから発せられた。
「……あの赤髪はいないだろうな?」
「赤髪ってジーク? ああ、今日はライフォードの方に用事があるから会わないと思うけど、何? そう言えば、あの日マル君ってばジークに連れられて外に出たけど、何かあったの?」
「連れられてじゃなく、半ば強制的に連れ出されたの間違いだ」
心底嫌そうに顔をしかめ、ハロルドさんから渡された石を人差し指で転がす。
公爵家ご兄弟が喧嘩をしながらやってきたあの日。仲直りを果たしたジークフリードさんは仕事に戻る前、余った時間を使ってマル君を呼び出していた。
「ところでペット君というのは君か? 少し話したいのだが。店の裏で」
「うん? 別に構わんが。やれやれ、ご主人様の護衛は心配性だな」
そんな会話の後、余裕綽々と出て行ったマル君だが、戻ってきた彼は「あの赤髪、俺には天敵だ」と文字通り尻尾を巻いてハロルドさんの後ろに避難したのだ。
そういえば、ジークフリードさんには動物を一瞬でメロメロにしてしまうゴッドハンドがあった。魔族とは言え、正体は巨大な狼だと言うマル君にも効果はあったのだろうか。
聞いても絶対に答えてくれなさそうだけれど。
ちなみにあの日、私もジークフリードさんとライフォードさんには、酷いからかわれ方をしたのだった。
どうしても私からお願いを引き出したいライフォードさんが「そうですね。一日休暇を取るので、無理やりにでもお願いをしてもらう形にもっていきましょうか。魔女様のご趣味は――人間のペットでしたっけ?」と、全くナイスアイディアではない提案を口にし、それに悪乗りしたジークフリードさんも「ふわふわの耳や尻尾など目に入らぬくらい、尽くしてみせようか?」なんて事を言い出す始末。
公爵家の御子息であり騎士団長様たちが何を言っているのか。冗談だと分かっていても心臓に悪い。
幼気なただの料理番をからかって楽しいですか、と反撃しようとしたものの、隙のない完璧な笑顔で頷かれそうだったので、墓穴を掘る前に口を閉ざした。
そして結局、「うわー、混沌としてきたなぁ」「団長サマって、あんな冗談も言うのね。楽しそうにしちゃってまぁ。初めて見たわ、あんな顔」なんて遠目で見世物みたく楽しんでいるハロルドさんと梓さんに助けを求めて、ようやく解放されたのだった。
「ところで、その宝石のような石は何ですか……って私が聞いても大丈夫ですか?」
「もちろん。君がジークフリードへのお願いを譲ってくれたから、手に入ったものだからね」
「これが、お願い?」
ハロルドさんは悪戯に微笑み、手元で弄んでいたもう一つの赤い石を私に手渡す。
指で掴んで光に透かすと、まるで映像のように小さな文字が映っているのが分かった。いや、正確に表現するのならば、映っているではなく泳いでいる、だ。小さな赤い池の中を、魚のように文字が泳いでいる。不思議な石だ。
「これはね、王城への入城許可証」
「王城の?」
「うん。レストランテ・ハロルドとして、正式に許可を取ってもらったんだ。僕一人なら全く問題ないんだけど、マル君はねぇ。色々問題あるだろう?」
「それは確かに。経歴不肖の魔族様ですし。でも何のために? 料理の配達ならデリバリーで足りるのでは? あ、いや、ライフォードさんの周り以外だと、それも出来ませんね。色んな場所に転移魔法陣を設置するわけにもいきませんし……そのため?」
「まぁ、それも一つかな。選択肢は多い方が良い。でも、今回のはちょっと違ってね。例の薬ぶちまけ事件、もやもやするんだよね。だからマル君にも協力してもらおうと思ってさ。僕も少なからず世話になった場所だし、柄ではないんだけどお節介を焼いてみようかなぁって」
「少しリンに似てきちゃったのかも」とハロルドさんは照れくさそうに笑った。
結局、お二人から頂いた「何でもお願いを聞く権利」は、二つとも騎士団の為に使われる事になったようだ。何だかおかしくて、私もつられて笑ってしまった。