57、仲直り
「相当ショックだったのかな」
未だ一言も話せず、放心状態のジークフリードさん。
彼の背後に回ったハロルドさんは「えい」という、年齢に似合わない可愛らしい掛け声と共に手刀を振り下ろした。
ストンと一直線に落ちたそれは、ジークフリードさんの頭に直撃。どうやら覚醒を促す事には成功したようだ。彼はメニュー表をテーブルに置き、人差し指で眉間の間をぐりぐりと押した。
「は、はは……すまない。白昼夢を見ていたらしい」
「いや、現実だよ?」
「……現実」
よほど受け入れ難いのか、脳に刻みつけるように何度か「現実」と舌に乗せた後、ややあって頭を垂れる。
あんなジークフリードさんの姿、初めて見たわ。
ライフォードさんにも言える事だが、想像していた以上に「来店禁止」の効果は絶大だったらしい。嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気分である。
「リン、君の言いたい事は分かる。だが、これは俺たちの問題だ。もう店にも、周りにも迷惑をかけない。それでは駄目なのか?」
「確かに、お二人の問題に私が口出しするのはおかしな話かもしれません。でも――」
「異議を申し立てるわ!」
黙っていられないとばかりに会話に割り込み、力いっぱいテーブルを叩く梓さん。腹の奥底から重たい息を吐き出し、鋭く細められた瞳は元凶の二人を交互に睨みつける。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。騎士団長たちですら彼女の圧には逆らえず、背筋をピンと伸ばす。凄まじいです聖女様。
端なくも言葉を遮られた形になってしまったが、今の彼女に意見する気は起こらなかった。だって無理でしょう。恐ろしい。触らぬ神ならぬ触らぬ聖女様に祟りなし、である。
「あの、テーブル破壊だけは、なしでお願いします……」
「オーケー、テーブル壊したら弁償ね!」
違う。違うわ、梓さん。何で誰も間に挟んでいないのに、伝言ゲームみたいになっているのかしら。
全くもう。壊す気満々でない事を祈ろう。
「正直に申し上げますと、ド迷惑なのです。特にうちの団長さん、貴方としては普通に振る舞っているつもりでしょうし、まぁ、実際仕事にも支障は出ていません。それはさすがと言えます。ですが、護衛やら何やらで一緒に居る時間が長い分、分かるんです。ああ、コイツ機嫌悪いんだなって! ぶっちゃけ、こっちのテンションも下がるのよ! 駄々下がりの急降下よ!?」
「さっさと折れちゃいなさい!」足を適度に開き腰に手を当て、決めポーズのようにライフォードさんを指差す。
当のライフォードさんは何か言いたげに口を開くも、自覚があったのだろう。一言も発さずに小さく唇を噛んだだけだった。
梓さんの前では王子様然としなくても良い安心感――むしろ慢心か――があるせいで、素がちらほら出てしまうのかもしれない。
「では、聖女様に倣って僕からも」
全ての指をピンと揃え、胸の辺りでさりげなく挙手をする。控えめながら意志の強さが垣間見えた。ノエルさんらしい。
「今のところうちの団は問題ありません。しかし、団長同士が不仲だと団員にまで伝わってしまうもの。ただでさえ例の事件で対立が深まっているのです。このまま長引けば第一騎士団との関係悪化に繋がりかねません」
「それは……確かに……」
私がこの世界に来る前の事。第一騎士団と第三騎士団はお互いがお互い我関せずと、あまり接点を持ってこなかったらしい。
魔法特化の第二騎士団と違い、二つの団は役割が似通っている。そのため共同で事に当たる場面も少なく、完全に独立して仕事をしていたとか。
だが、ジークフリードさんとライフォードさんの距離が近くなってきた最近、お互いの団も少しずつ歩み寄りはじめた、とガルラ火山遠征のときノエルさんが言っていた。
団長とは団の要。その分、影響力も大きい。
せっかく良い方向に歩み出しているのに、白紙に戻すのは勿体ない。そうノエルさんは言っているのだ。責任感の強いジークフリードさんにとって、堪える内容だろう。
梓さん、ノエルさん。お二人からの援護射撃は心強い。
ここまできたら、もう一押しだ。
「どちらも譲れないのなら、妥協するしかありません。相手を屈服させたいわけでもないのでしょう? だったら譲らなくて良いんです。ただ、相手をそのまま尊重すればいいだけ。今まで問題なくやってこられたんですから、許せないほどダメな所でもないのでしょう?」
ふう、と一呼吸おく。
「ライフォードさんの勝手に苛立つなら、梓さんと一緒に彼の頬っぺたでも抓ればいいですし、ジークフリードさんの無茶が許せないなら、私と一緒にお説教コースを開講しましょう」
「そんな妥協点では駄目でしょうか?」くすりと笑いながら問いかける。これ以上の言葉はいらない。きっと、答えはもう出ているから。
「そうですね」
最初に動いたのはライフォードさんの方だ。彼はジークフリードさんの傍までやってくると、手を差し出した。
「今抱えている仕事が思うように進まず、自らの至らなさをお前に責められ、いつも以上に意固地になっていた。……いや、何を言ってもただの言い訳だ。忘れてくれ。悪かった」
「いや、俺の方こそ、お前にはいつも迷惑をかけてばかりで……感謝はしているんだ。すまない、ライフォード」
伸ばされた手を掴み、ぎゅっと握りしめる。二人は居心地が悪そうに視線を合わせると、照れくさそうに笑いあった。
まさかここまで持っていけるとは思わなかったが、仲直りが出来たのなら、それに勝るものはない。梓さんに向かって小さく親指を伸ばせば、「さすが凛さん」と口パクで告げられブイサインを向けられた。
お役にたてたのなら何よりです。
「お前と喧嘩をするなんて、子供の頃以来だな。あの時と今とでは状況が随分と違うが……普通の兄弟になれたようで、少し嬉しかったかもしれない」
「ライフォード……」
「まぁ、お前と気楽に話せないというのは二度とごめんだが! かなり懲りたよ」
「俺も、少し」気恥ずかしそうに頬を掻くジークフリードさんに対し、ライフォードさんは「少しだけか」と不満そうに唇を尖らせる。愉快な光景に自然と笑みが漏れた。
最初に出会った頃より、ずっと兄弟らしさが増した気がする。
「ところでジーク、隣に座っても良いだろうか? ああ、返事はいらないぞ、ジーク。勝手に座るからな。――そういえばジークは何を食べるか決めたか? 私はつい同じものを頼みがちなのだが、ジークのオススメは何だ?」
「近い近い近い。もう少し離れろ、動きづらい」
「断る。折角いつも通りに戻ったのだ、たくさん話をしよう、ジーク」
ぐいぐいと距離を詰め、お互いの肩が触れ合うくらいにまで近づいていくライフォードさん。しかし、この短い会話の中で計5回。ここぞとばかりにジークフリードさんの愛称を呼びまくるなんて。どれだけ寂しかったというのだろう。
「完全オフモードね、あれ。浮かれすぎでしょう」
「あはは、周り見えてなさそうですね。微笑ましいですけど」
さすがに、あの二人の間に割って入ろうとは思えないのか。梓さんは私の近くまで来ると、傍にあるテーブル席の椅子を引いた。
「ジークフリードさんとこの人たちには口止めしとかないとね。でないとアイツ、後で面倒くさいくらい自己嫌悪に陥りそうだわ」
「でも悪い面ばかりじゃなさそうですよ。だってほら、「親近感湧くなぁ」って顔してません?」
「あ、本当。表情が柔らかくなってる」
第三騎士団の皆はジークフリードさんの事が大好きだ。好きなものが同じだと親近感がわくものね。
もっとも、普段完璧な人の意外な一面を見てしまったから、かもしれないけれど。
「凛さんって、ビックリするくらい周り見てるわよね。人の感情に機敏っていうか。あたしも悩みがあったら、多分真っ先に思い浮かぶのは凛さんの顔だと思うわ。きっと」
「私なんかで良ければ、いつでもお話聞きますよ。愚痴でも何でも」
「……もー、そうやって甘やかす」
梓さんは「たまには甘えられたいんですけどっ」と、私の腰辺りに抱きつき、ぐりぐりと頭を振った。この状況でどうやって甘やかすと言うのだろうか。全く、可愛い人だなぁ。
甘やかしている自覚は無いが、人の話を聞くのは苦ではない。
学生の頃、友人からはふざけて「お悩み相談室」だなんて呼ばれていた事もある。今日みたいに自分から首を突っ込む事は稀中の稀だったけれど。
ジークフリードさんもライフォードさんも、中身が大人だから引き受けた。どちらか片方でも精神が未熟だったり、相手を打ち負かさないと我慢ならない性格だった場合、第三者が入ってもこじれるだけだ。
理屈を述べたところで感情が優先されるのなら、自分が納得する以外、決着は付けられない。
「もー、梓さんくすぐったいですってばー」
「リン」
涼やかな声で名前を呼ばれ、弾かれたようにそちらを向く。
「はい。ご注文ですか? ライフォードさん」
「いえ、それはまた後で。ガルラ火山遠征といい、今回といい、貴方に助けられてばかりでしょう? 礼を返さなければ騎士として以前に、男として情けないと思いまして。何か、我々にしてほしい事はありませんか? 何でも良いですよ」
「遠慮なく言ってほしい。君の頼みなら何だって喜んで引き受けよう」
ふわりと。蕾が開いて大輪の花を咲かせるように、輝かんばかりの笑みを向けられる。私は思わず一歩後ずさった。美形の破壊力とは恐ろしいものだ。
ジークフリードさんだけでも手が負えないのに、華やかな王子様の笑顔までプラスされてしまえば、拒絶する事などできやしない。
でも、お願い。お願いか。――正直、今の私に出てくる言葉は何もなかった。だって、現状に不満なんてないもの。
ジークフリードさんは、忙しい時を除いて店に顔を出してくれるし、ライフォードさんも、デリバリーが主だが、こうやって店に足を運んでくれる事もある。
私自身、公爵家の人に「何でも」と言わせるほど恩を売ったとは感じていない。半分以上、私が進んで首を突っ込んだ事もあって、お願いを聞くと言われても何も浮かばなかった。
どうしよう。
悩んでいると、ふと、第三騎士団の面々が目に入った。
そうだ。一つ、ライフォードさんにしか頼めないお願いがあるではないか。とても我が儘なお願いだ。しかし、私は意を決してそのお願いを口にする事にした。
「あの、では凄く、すごーく我が儘なお願いが一つあります。……えっと、ライフォードさんに」
「私に、ですか?」
意外とでも言いたげに、ライフォードさんは目を瞬かせた。





