56、胃袋を掴んでいる者
二人を仲直り――までいけるかどうかは分からないが、きっかけ作りになればと思いついた方法。私の独断で進めて良いものではないため、店の責任者であるハロルドさんに了承を得ようと彼の耳を借りる。
最初は面倒くさそうな顔をしたハロルドさんだが、最後まで聞き終わると満面の笑みで「面白そうだからオッケー」と許可をくれた。
面白そうって。店長としてその発言はどうかと思う。もっとも、私がこれからする事も褒められた事ではないのだけれど。
「さて。他のお客さんがいないうちに、ですね」
「ふふ、あいつらがどんな顔するか楽しみだね!」
どの辺りが楽しみなのか。
そもそも上手くいくかどうかも分からない状況だ。緊張と不安から胃を押さえつつ、私は二人から等間隔の場所にあるテーブルを陣取った。
「ジークフリードさん、ライフォードさん。お二人にお話があります」
両手を付き、少し前屈みになりながら言う。
ライフォードさんは、意地の悪い笑み浮かべている梓さんとハロルドさんを見て全て悟ったのか、困ったように眉を寄せながらメニューをテーブルに置いた。ジークフリードさんは挙げようとした手を一旦ひっこめ、不思議そうに私を見た。
すみません。注文は後でしっかりお受けいたします。
「梓さんからお話は聞きました。仲直り、しないのですか?」
作戦その一。
まずは普通に仲直りが出来ないか尋ねてみる。これが成功すれば一番穏便に事が済む。ただ――。
「私にも譲れないものがあります。向こうが折れるなら考えますが」
「それはこちらの台詞だ」
二人は同時にお互いを向いたが、すぐさまふいと顔を逸らした。
やはりですか。
こんな簡単な方法で済めば、ここまで拗れることなく仲良く一緒のテーブルに着いているはずだ。さすが兄弟。血が繋がっていないらしいが、頑固で絶対折れない所はとても良く似ている。本当、面倒臭いくらい。
こうなっては作戦その二に移るしかなさそうだ。
「お二人の気持ちは分かりました。では――」
息を大きく吸いこむ。
「明日から、仲直りするまで来店禁止。デリバリー禁止です。わざわざ足を運んでいただいたお客様を追い出すことはしたくないので、本日は除外しますが、仲直りしなければ明日からすべてお断りします」
食事は生きるための要。ただ、料理屋はうちだけではないし、公爵家のご子息様たちならば家に帰れば有能なシェフがいるはずだ。食べるだけならば来店禁止でも困らないだろう。
それでも、わざわざレストランテ・ハロルドに足を運んで料理を注文してくれている。生活の一部になっている可能性に賭け、それを人質に取ってみた。
私の料理を気に入って、城下にまで足を運んでくれる二人にこんな事を言うのは心苦しいが、和気藹々と食事を楽しめる場所をモットーにしているのに、不穏な空気を振りまかれては困る。
デリバリーまで禁止にしたのは、デリバリーの魔法陣がライフォードさんの執務室にあるからだ。どちらか片方を優遇する気はない。
「な、なんっ、殺生な! あなたには温情というものがないのですか!」
「お、大袈裟すぎませんか……?」
ライフォードさんが立ち上がる。慌てていたのか、反動で椅子が後ろに倒れた。
常に冷静沈着、滅多な事では動揺しそうにないライフォードさん。彼のこのような姿は初めてだったのだろう、第三騎士団の面々から小さなざわめきが起こった。「ライフォード様もあんな顔するのか」「魔女サマの料理ヤベェ」などと聞こえてくる。
ええ。思っていた以上に効果が出て、私自身もびっくりです。
「ともかく。仲直りするまで、とちゃんと期限を決めております。居づらい空気を振りまかれては困りますので。ここは食堂。皆さんには楽しんで食事をしてもらいたいですからね」
「で、では、被らないよう時間をずらせば……」
「来店時のライフォードさん。あれってヤンさんに怒っていたのではなくて、自分とジークフリードさんを比較され、更にジークフリードさんの方を持ち上げられたから、ああいう態度だったのでは?」
普段のライフォードさんならば、自分とジークフリードさんの性格の違い、第一騎士団と第三騎士団の雰囲気の違いなど当たり前のように理解し、そういうものだと納得している。そして、それぞれの長所を生かし仕事をこなしている自負があるので、「そうですか」とサラッと流していたはずだ。
自分と対立している人間が、自分より優れていると他人から称される。苛立ちが生まれる気持ちも分かるだけに責めようとは思わないが、それはそれ。これはこれである。
「……お見通しだったわけですね。すみません。子供っぽい感情だと自覚はしていましたが。面目次第もありません」
「穴があったら埋まりたい」口元を手の甲で隠し、恥ずかしそうに目を逸らす。目尻がうっすらと赤く染まり、照れているのだと分かった。珍しい。
私は驚いて目を二、三度瞬かせた。
ライフォードさんのような隙のない理想の王子様が、図星を付かれて恥じ入る姿。ちょっと可愛いと思ってしまった。ファンが多いのも頷ける。いや、アイドルではないのだけれど。
「君……ええと、ヤンと言ったか? 聞こえた通りだ。さっきは悪かった。すまない」
「え、あ、いや、俺こそ悪口みたいになってしまい、申し訳ありませんでした……!」
ヤンさんはおもむろに立ち上がり、45度の角度で頭を下げた。とても美しいフォームのお辞儀である。素晴らしい。
急に話題に上ったと思ったら、第一騎士団長様から直々に謝罪の言葉を告げられ、恐縮しきりのようだ。
「ぷぷー、ざまぁないわね騎士団長さま!」
「いっ、痛っ、痛いです。ちょ、おやめください、聖女様! ……全く」
心底愉快そうに近づいてきた梓さんは、ライフォードさんの肩を何度も人差し指で突っつく。地味に痛そうだ。
「あら、ごめんなさい。普段偉そうな団長様が子供みたいに照れていらっしゃるからつい。ほほほ、いい気味! さすが凛さんだわ!」
「他人事だと思って楽しんでいますね。当事者になってみたらどうです? 私の気持ちが分かりますよ」
「はぁ? 当事者って、あたしだったら即土下座して許しを乞うわよ。凛さんの料理食べられないとか嫌ですし?」
「相変わらず即物的ですね、貴方は」ライフォードさんは、生気を感じられない死んだ魚のような目で、諦めたように首をふった。基本王子様フェイスを崩さない彼に、こんな顔をさせる梓さんもさすがだと思う。
でも土下座は困る。聖女様を地面にひれ伏させ、許しを請わせる店って。今まで以上に魔女っぽい噂が立ってしまう。
梓さんはもっと聖女様としてのプライドを強く持ってほしい。天秤に乗せるまでもなく、聖女の威厳の方が大事でしょうに。
「ちなみに、強行入店しようものなら、僕とマル君が全力で外に追い出すからねー」
「おっと、当然のように巻き込まれたぞ」
「当たり前でしょ。君はレストランテ・ハロルドの従業員。僕の命令は絶対なのです!」
「ふむ。なら、仕方あるまい?」
久しぶりに生き生きとした表情で、腰に手を当てて胸を張るハロルドさん。この人、相手がライフォードさんなのでいつも以上に張り切っているみたいだ。客入りではなく、客を追い出す方向にやる気な店長って何だろう。
やれやれと肩をすくめたマル君も、面倒見が良いから――ではなく、純粋に愉快な催し物として参戦する気満々のようだ。
相変わらずの二人である。が、今だけは心強い。
いくら騎士団長様とはいえ、なぜか魔法のスペシャリストであるハロルドさんと、高位の魔族らしいマル君を相手に強制入店は難しいはずだ。店への被害をゼロに抑える、という制約付きならほぼ不可能に近い。
マル君の正体を知っているライフォードさんは「騎士の名に賭けて、無頼漢の真似事など致しませんよ。ええ」と、にっこり微笑んで見せた。目が一ミリも笑っていなかったが。
「ところでうちの団長は? 先ほどから一言も……」
「固まってますよ、あれ。多分スけど」
「……団長」
如何とも言い難い複雑な声色。二人の会話を聞いて、私もジークフリードさんの方を見る。
彼はヤンさんの言った通り、メニュー表を持ちながら固まっていた。まさか私から「来店禁止」なんて言葉を告げられるとは夢にも思わなかったのだろう。
私は従順な性格ではないから、ジークフリードさんの言う事を全て素直に受け入れていたわけでは無いけれど、一方的に突き放すような事はしなかった。というか、する気もなかった。彼は恩人。感謝こそすれ、不満や不平はない。
だから――寂しそうにメニュー表を握りしめるジークフリードさんの姿に、私の決意が一瞬で揺らぎそうになる。罪悪感が半端ない。
でも駄目だ。今回ばかりは心を鬼にすると決めたのだ。今ここで撤回する気はない。する気はないけれど――とりあえず今日の昼食分だけは大盛りにしようと心に決めた。