6、ハロルド店長
「リン。気が変わった。君が合わないというのなら、すぐ別の職場を勧めようと思っていたけど、止めた。君は誰にも渡さない。僕の側にずっといてもらうよ」
「ひぇ」
美形が凄んだら妙な迫力がある、というのは事実だった。
私は思わず後退さる。――けれど場所が悪かった。背後には壁。勢い良く下がったせいで頭をぶつけてしまう。とても痛い。涙が出そうだ。
ハロルドさんは私が後頭部を押さえている隙に真正面へ回り込み、逃げ道を腕で塞いだ。いわゆる壁ドンだ。
金色の瞳が、好奇心によって爛々と輝いている。いくら美形に壁ドンされたとは言え、ハロルドさんの考えが分かり切っているので、全く嬉しくなかった。
彼、私を実験対象としてロックオンしたわね。
「ちなみに他には何が見える?」
「ええと、効果の持続時間と、それを最大限に生かすための分量……だと、思います。パーセンテージで表示されています……。ハロルドさんが失敗したのは多分入れ過ぎで、少なかったら効果は短くなりますが、多すぎたらむしろマイナスにって……あのっ」
彼の身体を押し返す。
近いです。近い。ギブアップです。息がかかりそうな距離での会話は、心臓に多大なる負担がかかる。相手がジークフリードさんだったら気絶していたわ。
もう少し適切な距離での会話をお願いしたい。
「んー……逃げない?」
「逃げません! そもそもここが私の職場です。逃げたりするものですか」
「わぁ、嬉しいな。言質とれた」
「……ひきょうもの」
「ふふ。イイねぇ、その顔。実は僕、実験・研究の次くらいに、困っている人の顔を見るのが大好きなんだ。最高だね」
最低だ。分かっていたけど。この人最低だ――!
私を雇ってくれる店長、これからお世話になる人、という認識はあるけれど、敬う気持ちは完全に消え失せた。幸い、ハロルドさんは私の態度を気にした様子はないし、このままでも問題はないのかもしれない。
「リン、僕は君を絶対に離さないから。覚悟しておいてね」
「それって実験対象としてですよね!?」
「もちろんさ。君は行き詰まっていた僕の研究に対する救世主。つまり僕にとっての聖女さまさ!」
こんなに嬉しくない聖女さま呼びがあっただろうか。
乾いた笑いしか出てこない。
「というか、本当に見えないんですか?」
「見えていたら君たちで実験する必要もないだろう?」
それもそうだ。
「ちなみに、そんな画面が見える魔法なんてものも存在しないよ。僕が言うんだから絶対にね」とハロルドさんは付け加える。しがない食堂の店長が、魔法について絶対と言い切って良いのかしら。専門外でしょうに。
もう一度画面に触れる。私の指はすり抜けて、画面が波打った。
ハロルドさんの言葉がどこまで真実かはわからないが、私にしか使えないのなら良い武器になる。この世界にとって料理は薬。味は二の次。
でも、もし――もし最大限の効果と持続時間を得たまま美味しい料理が作れたら、料理の概念が変わるだろう。
目標もなくただ生きるのは好きじゃない。進むべき道が明確になり、私の心はすっきりと晴れ渡った。
「そうだ。そろそろ食材も少なくなってきたし、君の能力を見るついでに買い出しにでも行こうか。ランバルト王国の城下は賑わっていてね、市場では色々なものが手に入るよ」
「ランバルト王国? そういう名前なんですね、この国」
「……そっか、君は召喚されて間もないんだったね。僕は君の上司になるわけだし、分からない事があったら聞いてくれていいよ。君にだったら何だって答えよう」
分からない事、か。
私は少し考えた後、ハロルドさんに向き合った。
「魔法に詳しいなら教えて欲しいです。王宮では二人の聖女様が召喚されたんですが、どっちが本物か、すぐに分かりますか?」
「え、ちょっと待って。何それ。君の他に二人も? あっちはややこしい事になってるんだねぇ。うわぁ、大変そう……」
「ちょっと、本気でドン引きしないでくださいよ。ドン引きしたいのはこっちですってば」
「ああ、ごめんごめん。そうだね、多分すぐに分かると思うよ。聖女を見分ける水晶みたいなものが――」
「すみません! それ私が割っちゃいました!」
「え」
ハロルドさんはハトが豆鉄砲を食らったように固まったかと思えば、次の瞬間腹を抱えて笑い出した。
ジークフリードさんといい、ハロルドさんといい。なぜ笑うのだろう。国にとって大切なものじゃないのかな。
「あはははは! わ、割った? また? あはははは! そりゃあ時間かかるかもね! ダリウス王子ご愁傷様! ってかすぐに割れすぎでしょあの球! ふっ、はははっ、あー、お腹痛い!」
「笑い事じゃないんですけど……」
「大丈夫大丈夫。当時の第二騎士団長が一回割ってるから、あれ。試しに魔力を込めたらパリーンってね。一回も二回も同じでしょ。また直せばいいだけさ」
そういうものなのかな。
からからと心底愉快そうに笑うハロルドさんを見ていたら、少し気持ちが軽くなった。
「じゃあ旧式の判別方法になるのかな。うーん、たぶん聖女の力が発揮されるまでは、どっちが本物かは分かんないんじゃないかな? でも、どうして?」
「一人、助けてくれた人がいるんです……。もし彼女が聖女じゃなかったらどうなるんだろうなって、思って。まだ大丈夫そうなら良いです」
でもあまり悠長にはしていられない。
あの王子だ。ゆるふわ美少女ちゃんさえいれば後は何もいらない、とばかりに黒髪さんを追放してしまう可能性がある。むしろその可能性しかない気がする。
頭に浮かんだ王子の嫌みったらしい顔を振り払おうと、私は頭を振った。美形でも二度と視界に入れたくない顔だわ。
私がここで手に職をつければ彼女を守ってあげられる。困った時はお互い様、ですもんね。頑張らなくては。
「そういえば、リン。君はなぜ聖女召喚が行われたか知っているかい?」
「聖女様が今回に限って現れなかった、って話ですか?」
「そっちじゃなくて」
「ええと、じゃあ第二騎士団長さんが召喚の儀を復活させたって方ですか?」
「そうか、知っているんだね」
ハロルドさんは視線を落として、小さく息を吐いた。
「君は、例の第二騎士団長を恨んでいるかい? 彼がいなければ君は呼ばれる事もなかった。巻き込まれる事もなかった。だから……」
「いいえ」
きっぱりはっきり、私は否定した。
「実は私、向こうの世界で死ぬところだったんですよ。巻き込まれたおかげで助かったんです。だから、第二騎士団長さんは私にとって命の恩人。出会えたら、お礼をしないと」
第二騎士団の団長さん。役職的に王宮にいらっしゃるのよね。もう二度と王宮には近付きたくないから、直接お礼を言える機会は滅多に訪れないかもしれないけれど。
この世界の食事が美味しくなったら、少しはお礼になるかしら。
「そっか。でも、お礼はいらないと思うよ。君のその言葉だけで救われる」
「ハロルドさん、もしかしてお知り合いですか?」
「まぁね。じゃ、行こうか。良い食材が売り切れない内に、ね」
* * * * * * *
ハロルドさんに連れられ市場に出かける。
彼の言った通り、そこはとても賑わっており、私はお店に並んである食材を片っ端から鑑定させられた。それはもう、疲れたのでギブアップ宣言をしても解放されなかったくらいだ。
おかげで四つの事が分かった。
一つ、穀物など主食系は他の料理と一緒に取る事により、効果時間を延長させたり、効果を増大させたりするものが多い。
二つ、一般的に売られている食材は、効果時間が短く効果も小さいものが多い。
三つ、鮮度があるように、同じ食材でも同じ効果をしているとは限らない。育て方や食べる時期によって効果には差がある。
四つ、ほとんどの食材にマイナス効果のパーセンテージが設定されている。ハロルドさん曰く、これが料理の研究を妨げる要因になっているらしい。下手に美味しさのみを追求した場合、マイナス効果の餌食になる人もいるとか。
ここまで分かれば後は実践だ。
買ってきた食材を組み合わせれば、効果時間の延長を狙えるかもしれない。まずはハンバーグにリベンジよ。付ける効果は火傷防止。
私たちは戦闘装束――又の名をエプロン――を身に纏い、厨房という戦場に立った。
悲しきかな。ハロルドさんの気持ちが少し分かってしまった。未知の探求。それは、こんなにも興奮する行為だったのね。
「さぁ、美味しく役立つ料理になるか。腕の見せ所ですね!」
「わくわくするね、リン!」
後々、ジークフリードさんに「リンがハロルドに似てきた」と肩を落とされるのだが、それはまた別のお話。