55、兄弟
「な、なんでライフォード様が……?」
「私も常連客の一人ですので。おかしいでしょうか?」
ふ、と小さく笑うライフォードさんだが、目が笑っていなかった。正直怖い。
どうしたんだろう。
ライフォードさんの事をそれほど深く知っているわけではないけれど、今日は妙に苛々しているというか、余裕が無い感じがする。何かあったのだろうか。
「まぁ、あなた方の団長殿と比べ、堅物というのは間違っておりませんし、別に目くじらをたてるような事でもないのですがね」
ライフォードさんは眉間に寄っていた皺を指先で揉み解し、はぁ、と苛立ちの混ざったため息を漏らした。一旦、瞳が瞼に覆われる。その後、再び開かれた時にはもう中に誰の姿も映していなかった。
ノエルさんを盾にしつつ凍り付いているヤンさんに、サービスとして温かい紅茶を一杯プレゼントする。彼は一口それを含むと、へなへなとテーブルに倒れ伏した。
「すまねぇ、魔女サマ」
「いえ。温かいものは落ち着きますよね」
念のため、店内に入る前にスッと姿を消したフェニちゃんを呼び寄せ、テーブルの端で待機してもらう事にした。彼女はキュイと鳴いて了承してくれた。賢い子だ。
「その鳥は?」
不思議そうな顔をしたアランさんに、「リンゾウ君経由でうちに来たんです」と誤魔化す。彼の疑問も尤もだ。フェニちゃんはガルラ様からリンゾウに渡された子だものね。
さて、この店の雰囲気。どうすべきか。
付き合いの長いハロルドさんに目配せをすれば、両手でバツ印を作られた。無理という事ですか。もう、店長ならこういう時にこそ役に立ってくれないと困るのに。
未だテーブルに着こうともせず、腕を組みながら入り口に立つライフォードさん。誰か待っているようにも見える。――と、次の瞬間。店のドアが慌ただしく開き、梓さんが飛び込んできた。
「ちょっと! 目的地が目の前だからって護衛対象放っておいて先に店に入るのってどうかと思うわよ! って、何よこの空気」
彼女は困惑している私たち店側、ヤンさんを中心に居心地が悪そうな第三騎士団のメンバー、そしてライフォードさんの順に視線を巡らせると、盛大にため息を吐いた。
「まったく。第一騎士団団長ともあろう人が大人げないわね。素直にごめんなさいしておきなさいよ」
「私は悪くありませんが?」
「店での事は知らないけど、あっちの方は謝っておいた方が良いんじゃないの? 私を放ってまで逃げるなんてね」
親指を立てて背後にある扉を指差す。
まさか扉に謝れと言うわけではあるまいし、後ろから誰かが店に向かってきているのだろう。そして、その人に謝れと梓さんは言っているのだ。
「その件については……」言い淀むライフォードさんだったが、心当たりはあるらしく、先程までの氷柱に似た鋭利さは鳴りを潜めていた。代わりに、そわそわと落ち着きのない様子で不安そうに店のドアを見つめる。
さすが梓さんだ。ライフォードさんが軟化した事により、店の雰囲気も正常に戻りつつある。
「梓さん、直接はお久しぶりですね!」
「ああもう、凛さん! 凛さん! いつもデリバリーありがとう! あと、変な空気にさせてごめんなさいね。良い感じにタイミング被っちゃったみたいで」
彼女は両手を広げながら私に近づき、ぎゅうと抱きついた。
ガルラ火山へデリバリーに行っている間は当たり前だが、梓さん自身が自由に動けない立場なので、こうやって直接会えるのは珍しい。
「はぁああ、癒されるわぁ……」
「もう梓さんったら。……ところで、ライフォードさんどうしたんですか?」
身体が離れる瞬間、梓さんの身体に隠れながらこそりと尋ねる。本人が目の前にいるのに、店に響くほどの声で訊く勇気は無かったからだ。梓さんはさも面倒くさそうに「ああ」と肩をすぼめ、右手で髪の毛をすくい上げた。
「それなんだけど……」
「リン、すまない。今うちの者がこちらに邪魔していると――」
ドアベルが来訪者の存在を告げ、私は瞬時にそちらへ顔を向けた。誰か、なんて見なくても分かるけれど、条件反射のように身体が動いてしまう。「相変わらずねぇ」梓さんは含みのある笑いで私の背中を押した。
梓さんってば。そういうのじゃないのに。憧れの人が前にいたら、目で追ってしまうのは普通だと思うの。絶対。
「今日は偶然が重なって皆さん勢揃いなんですよ。ジークフリードさんまで来てくださるなんて、とても嬉しいです!」
「事後処理がゴタついてな、なかなか顔を出せなかったが……やっと来られたよ。俺もリンに会えて嬉しい」
桜の花が鮮やかに綻ぶように、優しげな微笑みを湛えながら爆弾を投下してくるジークフリードさん。破壊力の塊である。私は駆け寄ろうとした足をいったん止め、心臓を押さえながらテーブルに手をつく。
ジークフリードさんは常日頃から女性人気抜群なライフォードさんが傍にいるせいで、自分の魅力に疎いと思う。しかし、彼に微笑みながら「会えて嬉しい」なんて言われたら、大抵の女性は舞い上がってしまう事、理解してほしい。
「あいつらは迷惑をかけていないだろうか?」
「それどういう意味っスか団長ぉ」
「そのままの意味だぞ。ノエルやアランは心配ないだろうがな」
「うぐっ」
図星を突かれたように目を見開き、またしてもノエルさんの陰に隠れるヤンさん。残りの二人はやれやれと呆れたように両肩を上げた。故意ではないとは言え、ライフォードさんに喧嘩を売った後だものね。
「あれ? そういえば……」
梓さんはライフォードさんに後ろから来ている人物に謝れと言っていた。そして丁度良いタイミングで入ってきたのはジークフリードさん一人。とすると、二人の間に何かあったのだろうか。
第三騎士団のテーブルに残っているお皿を見て、既に食べ終わっていると判断したジークフリードさんは、彼らと同じ席に着くのは止めたらしい。ちらりとライフォードさんを確認してからカウンター席に腰掛けた。
おかしい。違和感を覚える。
普段はテーブル席を選ぶことが多いのに、ライフォードさんから離れたくてわざと遠くのカウンター席を選んだようにも見えた。
「あの、梓さんもしかして……」
「アタリ。あの二人、ちょっとした喧嘩中らしいのよ」
ああ、やっぱり。普段なら入店が被った時点で何かしら会話があるものだ。「やぁ、ジーク。奇遇だな。お兄ちゃんと一緒に食べよう」「断る」とかなんとか。今は第三騎士団の面々がいるから、もう少しマイルドな表現をするかもしれないが。
そんなジークフリードさんを構い倒したいライフォードさんが、無言を貫いているのは違和感しかなかった。彼の機嫌が悪かったのも、ジークフリードさんと喧嘩中だったからなのかもしれない。
「この間の遠征、団長様がジークフリードさんに内緒で凛さんを巻き込んだことについて、小さな言い争いがあったらしいのよ。騙し討ちのような形を取らずに相談してほしかったジークフリードさんと、彼は意固地だからその方法は絶対に出来ないとするライフォードさん。まぁ、これについてはどっちもどっちというか、結果オーライでお互い納得はしたみたいだけど……」
「けど?」
「問題がね、ここからなのよ」
梓さん曰く、常日頃から感じている不満――例えばライフォードさんなら「自分の身体を考えず無茶をすること」「未だに兄と認められないこと」。ジークフリードさんなら「人の意見を聞かずに勝手に決めてしまうこと」「兄だと言って構い倒すこと」など――を吐きだしていったら、ついには言い争いの喧嘩になってしまったらしい。
塵も積もれば山となる。一度本音を零してしまえば、普段せき止めていたものまで口をついて流れ出てしまうもの。他愛もない小さな愚痴でも、長年積み重なった事によって思いもよらぬ不満に育ってしまったのだろう。
今まであまり会話をしてこなかったという事は、その分言えなかった事もたくさんあるわけで。一度吐きだしてしまえば、喧嘩になってしまうのも止むなしなのかもしれない。
アランさんとヤンさんの場合、年季の入った恨み辛みではなかったし、お互い勘違いしていたからこそ円満に解決できた。
本音で語るというのは、年季があればあるほど難しく、諸刃の剣なのだ。
「で、謝るタイミングをお互い逃して、絶賛ああなっているのよ。ほんっと、幾つになっても男は子供よねぇ。でも仕事はいつも通りに完璧にこなしているから、なおタチが悪いわ」
「怒るに怒れないじゃない?」と、梓さんは困ったように眉間に皺を寄せた。
「凛さん、良い案ないかしら?」
「うーん……」
マル君とハロルドさんが持って行ってくれたのか、ジークフリードさんはカウンター席で、ライフォードさんは入り口に一番近いテーブル席でメニュー表を眺めている。
ただ、二人の様子を観察していると、上手く相手に気付かれないよう横目でちらちらと様子を窺っている事が分かった。
多くの団員を部下に持つ騎士団長様たちが、子供のような喧嘩をしているなんて。少し笑ってしまいそうになる。
あれだけお互いが気になるのなら、そのうち自然と仲直りするだろう。あの二人だもの。きっとそうだ。
でも昼食の書き入れ時に、この居たたまれない空気が流れているのは食堂として良くないわよね。解決済みとはいえ、私も原因の一端なわけだし。
――仕方がない。一肌脱いでみますか。
「効果があるかは分かりませんが、やってみますね」





