53、アランさんの考え
花束から桃色のラッピングペーパーを丁寧に外し、一度テーブルの上に置く。花瓶なんて洒落たものは、残念ながら店に存在しなかったので、ハロルドさんが趣味で買ったらしい縦30センチはあろうドリンクジャーの蓋をとって代用することにした。
予想通り。パンの入った木箱を厨房へ置き、カウンターテーブルでくつろいでいる持ち主から、抗議の視線が寄せられた。しかし私が「使っても良いですか?」と問えば、「まぁ、長すぎて使わないからなぁ」と仕方なく花瓶として認めてくれた。
何だかんだハロルドさんは甘い人である。
彼の隣に腰かけているマル君は、さして興味無さげにぼんやりと第三騎士団の面々を眺めていた。一応、彼らもお客さんなのだけれど。メニューくらい持っていってほしいものだ。
私はドリンクジャーの中に水を汲み、花を差し入れた。
店にはカウンターテーブルと四人掛けのテーブルの二種類がある。主に活躍するのは四人掛けテーブルの方なので、カウンターの端に花を飾ることにした。
赤、白、黄、ピンク。鮮やかな色合いの花たちが、レストランテ・ハロルドの店内に色彩を与えてくれる。
「うん。一気に店が華やかになった気がする。皆さん、ありがとうございます!」
今持てる精一杯の笑顔で感謝を伝えれば、騎士団の皆は照れ臭そうに笑った。
「それにしても、魔女様ッつーからどんな恐ろしい婆さんかと思ったら、フツーに可愛いお嬢さんじゃねぇか。ビックリしたぞ」
「ヤンさんってば、お世辞が上手いですね。そんな事言われても、ちょっとしかオマケできませんよ?」
「ちょっとマケてくれんのかよ! 魔女様ちょろすぎじゃね?」
ちょろいとは失礼な。
でも、お世辞でも可愛いと言われたら、嬉しくなってしまうのが乙女心と言うものだ。少しくらいオマケしても罰は当たらないだろう。一応、ハロルドさんに視線を送って確認をすれば、「好きにしなよ」と返ってきた。
「ヤン! お前、魔女様に向かって失礼だぞ!」
「いや、お前のその崇拝具合の方がヤベェだろ」
「す、崇拝!? ち、違う! 僕は――」
「イダダダッ!」
無造作にヤンさんの頭頂部を鷲掴む。あれは痛い。禿げてしまっては可哀想なので、やんわりとアランさんをなだめて、二人の距離をとらせる。
さすがに崇拝は言い過ぎだと思うが、彼は私を前にすると肩に力が入りすぎている節がある。
魔女だなんだと言われていても、それは噂に尾ひれがついて泳いでいったものだ。私自身はただの一般人。ガルラ火山遠征が上手くいったのだって、私だけの功績ではない。
ライフォードさんの兄心による助力要請や、マル君の位置把握、そして何よりハロルドさんが転移魔法を駆使してくれたからこそ、上手くいったのだ。
もちろん、ジークフリードさんや第三騎士団の皆の頑張りが大前提としてあるが。
だから、リンゾウくらい気楽に接してもらえると嬉しいのだけれど。私はアランさんの中にいる魔女様像を覗き込みたくて、少しだけヤンさんに味方することにした。
「アランさん、どうかそう畏まらないでください。私は見ての通り一般人、ただの料理番です。もっと気楽にしていただいて大丈夫ですよ?」
「いえ、魔女様は凄い人です! ですから気楽にとか、そういうのは……」
「いや、違うか」アランさんは気恥ずかしそうに首を振った。
「僕、女性はか弱いもの、守るべきものだと教えられて育ちました。実際、そう在るよう接してきたつもりですし、騎士団に入って力もつけた。女性に守られるなんて事、想像の片隅にもなかった。でも――」
右手を掴まれる。そしてそのまま、巣から落ちた雛を優しく拾い上げるような繊細な手つきで、彼の手のひらに包まれた。
「軟弱者だと呆れられるかもしれませんが、今回のガルラ火山遠征、実はとても怖かったのです。仲間が薬を割り、その理由もわからない。遠征の日を移動することも出来ない。薬は足りない。更にヤンを筆頭とするメンバーたちとはギスギスしていて……」
当時を思い出したのか、長い睫毛が瞳にかかり艶やかな影を落とす。
気付かなかった。遠征時の第三騎士団は確かにギスギスしていたが、主にヤンさんの派閥が疑心暗鬼に陥っていた事が原因だと思っていた。
アランさん自身は飄々としていて、普段通りに仕事をこなすべきと気負っている様子は無かったのに。
「あなたは我々の遠征が厳しいものになるだろうと、ライフォード様を通じてリンゾウ君を派遣し、ドリンクで支援してくださいました。調子が悪いにも関わらず、です。決して前には出ず、それでいて後ろから力強く支える。お淑やかであるのに、頼れる女性。僕、そのような女性に初めて出会って、どう接したら良いのか、分からないのです……」
力強い瞳で真っ直ぐに見つめられ、自然と一歩後ろに下がってしまう。
困った。完全に勘違いされている。
私はリンゾウとして遠征に同行した上、後ろから支えるどころか前線に出張っていた人間だ。お淑やかとは真逆の立ち位置にいる。どちらかと言えば、じゃじゃ馬だ。
でも、笑いの混じった声で「お淑やか」と小刻みに肩を震わせている彼らは、なかなかに失礼ではないだろうか。約三名――ハロルドさん、マル君、それからノエルさん。貴方たちです。
レストランテ・ハロルドのメンバーだけなら、後でピリッと痺れさせますよ、くらいの気持ちでいられるのだが、まさかノエルさんまで混ざっているなんて。地味にショックである。
もっとも、いくつか心当たりはあるので仕方がないと言えば仕方がない。自分の蒔いた種だ。潔く諦めよう。
「アランさん、女性は意外とあなたが思っているより強かで、どっしり構えているものですよ。私だけが特別なわけではありません。きっとこれから、そういう方にも出会っていくでしょう。だから、ぜひ、そう畏まらず自然に接してください」
「ですが」アランさんは少し困ったように眉を寄せた。
その隙に、彼の手からそっと逃げ出す。いつまでも手を握られているというのは、やはり居たたまれない。
「そうそう。つーか、力強い女性なら、黒の聖女様がいるだろ? あの人はマジヤベェって。俺、この間手合わせお願いされて気ぃ失ったし」
「あのな、ヤン。あの方はなんかもう、女性とかそういう次元じゃないんだよ。わかるだろ?」
「まぁ、あの人は性別『戦士』みたいな人だからな。そういやお前、聖女ぎゃくえびがため? ってやつ喰らわされたんだっけか」
「やめてくれ! トラウマが蘇る!」
先ほどまでキラキラと眩しいばかりに輝いていたアランさんの表情が、一瞬で土気色に変わる。
梓さん、幼気な青年にどんなトラウマ植えつけているんですか。というか、聖女逆エビ固めって何ですか。聖女関係ない気がするんですが。――ツッコミが追い付かないレベルのパワーワードに、私は頭を抱えた。
彼には同情を禁じ得ない。
「ね、ねぇ、リン。ぎゃくえびがためって何?」
「逆エビ固め、ですか?」
梓さんに対して後ろめたい事案があるらしいハロルドさんから、不安そうに尋ねられる。
どう説明すべきだろう。
正に名前の通り。腹側に丸まったエビとは逆方向に、足を反り返らせて締め上げる技なのだけれど。魚介類を食べる習慣がないこの世界の人に、エビって通じるのかな。そもそも存在しているのかどうかも怪しい。
私が悩んでいると、なぜかハロルドさんの顔色がみるみる蒼白く染まっていった。
「あ。あー、ダメダメ、痛い痛い痛いってそれ絶対痛いってば!」
「私なにも言ってませんけど……」
「リンが単語を口にしたから、映像が脳内に再生されたんだよ。酷い技だこれ……」
なるほど。召喚者特典の翻訳チートのおかげか。便利な能力である。
「なんでも聖女つければ良いってもんじゃないよ……」ハロルドさんがカウンターに倒れ伏すと、彼の頭をぽんぽん叩きながらマル君が「当代の聖女は随分と過激なんだな」と呆れたように目を細めた。
本当に仲良くなったわね、この二人。だからこそ、今フェニちゃんとガルラ様が同期していなくて良かったと心から思う。『マルコシアス様の頭ぽんぽん、羨ましい……!』と、また隣で呪詛を吐かれるところだった。
「魔女様!」
「は、はい……!」
振り向くと、アランさんが曇りなき眼でこちらを見つめていた。
「強い女性は存在するのでしょう。ですが何事も中間、中間が素晴らしいと思います! ええ、その点魔女様は理想です!」
「あはは、わぁ、ありがとうございます……」
今回の訪問だけで、彼の中の美化された魔女様像を打ち砕くのは難しそうだ。
リンゾウの正体を明かせば楽なんだろうけど、ライフォードさんから「リンゾウの件は内密に」と言われている手前、それは出来ない。
とりあえず胃袋ガッツリ掴んで常連になってもらおう。それから、ゆっくり私という存在に慣れてもらえばいい。きっと、気を遣わなくて良い存在だと分かってくれるはずだ。
ドリンクを飲んだ時の反応を見る限り、うちの店の味は好みから外れているわけでは無さそうだ。やってやれない事は無い。
そうと決まればやることはひとつ。
「皆さん、そろそろ座ってください。オーダー取りますよー」