52、襲来・第三騎士団
滅多に動揺しなさそうなマル君が慌てている。ただ事ではない。
私は言われるがままドアノブに手をかけ――開くなり、眼前いっぱいに広がった色とりどりの花たちに「へ?」と呆けた声が出た。花束だ。
「な、何?」
「あなたが魔女様でしょうか?」
「はい?」
花束から視線を外し、それを差し出している人物の顔を仰ぎ見る。
ああ、そういう事だったのか。私は納得すると同時に、脱兎の如く逃げ出したい気持ちに駆られた。まぁ、扉を開けてしまった時点で出来るはずもないのだけれど。
正面には花束を抱えたアランさん。後ろにはテーブルに座ってゆったりとくつろいでいるヤンさん、ノエルさんの姿も見える。ガルラ火山遠征でお世話になった第三騎士団の面々だ。
騎士服を纏っている事から、仕事で来ていると分かる。
「突然お邪魔してすみません。身体のお加減はいかがでしょうか?」
「身体? ええ、問題ありませんが……」
そうだった。遠征時、魔女様は体調不良で寝込んでいる設定だったわ。「ご心配ありがとうございます」と小さく頭を下げれば驚いたように瞳が見開かれる。
大方イメージと違ったのだろう。
世間一般に流布されている噂によると、魔女様は「店長を差し置いて店を掌握し、人間のペットを飼っているヤバイ奴。更に機嫌を損ねると、食べていた料理を毒にされる」といった酷い人物像をしている。
いや、改めて言葉にすると本当に酷くないですかこれ。一ミリたりとも真実がない。私一体どんな悪女よ。
苦虫を噛み潰したような、何とも言えない表情で突っ立っていると、突然アランさんが私の足元に跪いた。
春の陽気に誘われて芽吹いた若葉を思わせる、キラキラとした新緑色の瞳。それを愛おしげに細めて彼は微笑んだ。眩しい。ライフォードさんの作り込んだ王子様フェイスとはまた違う、穢れなき純粋無垢の笑みである。
ご主人様に会えて嬉しいと尻尾を振る子犬みたいだ。心なしか、耳と尻尾が見えた気がした。マル君の何倍も可愛げがありそうだ。
「どうかこれを。我が第三騎士団団員から感謝の気持ちです。ガルラ火山遠征では、遠くから我々を支援してくださり、本当に、本当にありがとうございました」
差し出された花束。芳醇な甘さと、自然を感じさせる苦味の混ざった匂いが鼻孔をくすぐる。どうしたものかと悩んでいると、ハロルドさん、マル君から肩を小突かれた。
「とりあえず受け取ってあげなよ。僕たちも中に入りたいし」
「店に来た時から魔女様はどこだ、いつ帰ってくる、どんな人物だ、とやかましい事この上なかったんだ。対処はお前がしろよ、ご主人様」
ガルラ火山の遠征について行った事も、第三騎士団のメンバーをサポートした事も、全て私の我が儘。ジークフリードさんの為に私が勝手にやった事である。
そもそも遠征中は私も迷惑をかけたし、未だリンゾウの正体は私であるとは言えないまま。嘘をついたままなのだ。だから一方的に感謝の言葉を述べられるのは、何か違う気がする。少し、後ろめたい。
「お礼だなんて。どうかお気になさらず」
「……花、お気に召しませんでしたか?」
「いえ、そんな事は!」
不安げに瞳をゆらめかせて私を見るアランさん。
駄目だ。完敗です。私の負け。こんな段ボールに入った捨て犬みたいな表情をされては,さすがの私も良心が痛む。
ええい、仕方がない。小さな罪悪感ぐらい丸ごと飲み干して然るべきだ。もう細かい事は捨て置こう。今は純粋に「ありがとう」の気持ちを持ってお礼を受け取ればいいだけだ。
せめて目線は同じに、と地面に膝をつき花束を受け取る。
「お花、とても嬉しいです。店に飾りますね」
「あ、いや、僕、魔女様に膝をつかせるつもりで跪いたのではなく! ですから、汚れますので! その! どうか立ち上がってください!」
先ほどまでの悠然とした態度とは打って変わって、慌てふためきながら私の腕を掴んで立ち上がるよう促してくる。しかし、すぐさま「し、失礼しました!」と手を離し、耳まで朱色に染まった顔を隠すようにうつむいた。
遠征時のアランさんは、確かに子供っぽい一面も持ち合わせていたが、基本冷静に物事を判断する人だったと思う。
それが今ではどうだ。私の一挙一動にこうも反応を示すだなんて。彼の中で魔女様ってどんな立ち位置なんだろう。お願いだから普通の一般人として接してほしいものだ。追々、誤解を解いていかなければ。
「お前、慌てすぎだろ。落ち着けって」
「……む。ヤン、か」
ヤンさんは、固まって動きそうにないアランさんの襟首を掴んで後ろに引き、自然な所作で私に手を差し伸べてきた。掴まって立て、という事よね。お礼を言って手を握ると、力強く引き寄せられた。
おお、凄い。さすがヤンさん力持ち。
「魔女様、ヤンと申します。先日、ガルラ火山ではお世話になりました。本当はもっと早くお礼に伺う予定だったのですが、諸々の事情がありまして、遅くなりました事お詫び申し上げます」
一歩下がって私から離れると、胸に手を置いて小さくお辞儀をする。普段の粗暴さからは想像もつかないほど品のある振る舞いだ。腐っても騎士様。格好良いぞ。
「っつーわけで。扉を塞いで悪かったな、お二人さん」
「お! 君、気が効くねぇ」
振り向くと、私を楔にして店の前には渋滞がおきていた。といっても、ハロルドさんとマル君だけだけれど。そう言えば店の中に入りたいからさっさと花束を受け取って退け、などと言われた記憶がある。忘れていた。
「すみません」と謝れば、「じゃあ今日の昼ご飯担当はリンね!」「食器洗い担当もリンだな」と二人からナチュラルに仕事を押し付けられた。今日のまかないはハロルドさん担当。食器洗いはマル君担当だったはず。
全く、仕方がないなぁ。今日だけは甘んじて受け入れましょう。
「そうだ。そろそろお昼ですね。よければご飯食べていきませんか? お時間があれば、なんですが」
「お、良いんスか? じゃあ食っていきます」
「ぼっ、僕も! 是非! 食べていきます!」
「魔女様の手料理……!」噛み締めるように胸の辺りで握りこぶしをつくるアランさん。食堂なのだから私の手料理に希少性は無いのに。
ここまで喜ばれると逆に恐縮してしまう。
「それから、えっと――」
唯一リンゾウの顔を知っているノエルさん。
いの一番に何かを言ってくるとすれば彼だと思っていたのだが、予想に反してティーカップを持ったまま一歩も動かない。それどころか、今の今まで全くの無表情を貫き通している。まるで、フリーズでもしているように。
――いや、あながち間違っていないのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「……すみません。……ちょっと、理解が、追い付かなくて……」
ノエルさんは私の顔と地面とを何度も交互に見つめ、「あー、そういうことかぁ……」と気が抜けたようにテーブルに突っ伏した。
すみません。そういう事だったのです。私は苦笑しながら「では、三名さまですね」と告げた。