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51、嵐の前の



 とぎれとぎれに浮かぶ雲。その奥に見えるのは、透明度の高いブルーの空だ。手を伸ばしても全く届きそうにない。空が伸びるわけがないのだけれど、心なしか高くなった気がする。


 今は日本でいうところの秋に近い季節なのかもしれない。

 息を吸い込むと、少しだけ冷たい空気が肺を満たした。こうやって自然を身近に感じられるようになったのは、この世界に来られたおかげだと思う。


 空の色とか空気の匂いとか、そんな小さな違いを感じて楽しんでいたのは子供の頃までだった。仕事を始めてからは周囲の様子に気を配る心の余裕なんて無かったもの。

 そういえば、雨の匂いは好きだったな。湿った土や石の匂いに埃っぽさが混ざったような、独特なものだった。


 でも――木箱から溢れる甘い香りをいっぱいに吸い込んで、満足げに笑う。やっぱり食べ物の匂いが一番好きかもしれない。


 私はちょうど今、ダンさんのお店から焼きたてのパンを仕入れてきたところだ。

 実はダンさん「料理で勝負するとどうしてもあなたのお店を意識してしまうので、ちょっと別のアプローチをしようかと思いまして」と言って、レストラン兼パン屋として心機一転営業中なのだ。


 そして、そのパンのプロデュースには私も一枚噛んでいたりする。と言っても、材料となる小麦粉などの分量を少し手伝っているだけ。パン釜を準備したのも、パンを実際作っているのもダンさんであり、ダンさんの所の従業員さんたちだ。

 特に元薬師の友人という方が、まさに天職を見つけたように恐ろしい才能を見せ、めきめきと腕を上げていっている。

 おかげでふわふわの食パンや、外側サックリ中もっちりなクロワッサンなど、修行中なので種類は少なめだけれど、とても美味しいパンが並ぶお店になった。


 味は美味しい、上手く食べ合わせれば効果もバッチリで、町での評判も上々だ。

 最近のダンさんに笑顔が多いのも、これが理由だろう。いや、もしかすると、家が燃えてから塞ぎがちだった親友が、やっと楽しそうに働く姿が見られて嬉しいのかもしれない。

 ダンさんは優しいから、ずっと彼の事を気にしていたものね。


 そして、プロデュースのお礼として、我らがレストランテ・ハロルドはダンさんの店のパンをかなり安価で仕入れる事が出来ている。ウィンウィンの関係とはこういう事を言うのだろう。実際、うちの店でパンまで焼こうとしたら人手が足りないもの。


「キュキューイ」

「こらこらフェニちゃん。勝手に飛んでいったら迷子になっちゃうよ」


 ガルラ火山遠征が終わって一週間ほどがたった。

 フェニちゃんやクロ君は店でのんびりしている事が多く、外に連れ出すことはあまりない。


 最初、飲食店でペットはどうだろうと思ったのだが、彼らは魔法生物と呼ばれる部類らしく、毛も落ちなければ匂いもないので今の所問題はなさそうだ。

 フェニちゃんは男性客から、クロ君は女性客から人気で、うちの看板として頑張ってくれている。二匹とも可愛いからね。


 今日は久しぶりに外に出て街の活気に紛れているので、少しテンションが高いみたい。

 フェニちゃんは私の頭上をくるくると三回転してから、いつものポジションである肩に止まった。と思いきや、さっと飛び立って横道から出てきた人の頭に着地する。


「あれ? ハロルドさん? どうしてここに?」

「おや、リン。今帰り?」


 ハロルドさんは頭上のフェニちゃんを人差し指でつつくき、「僕の頭は止まり木じゃないんだけどなぁ」とため息をついた。フェニちゃんは何故かハロルドさんにだけ態度が尊大だ。


 ではなくて。

 どうして彼がここにいるのか。まさか店はマル君に丸投げしているのだろうか。駄目でしょう店長。


「当てて見せよう。リンは今、店の事について考えている。でもって、たぶん君の考えは大当たりだ!」

「大当たりだ、じゃないです! マル君怒りますよ! 大体、昼前だからって……」

「今日はちょっと用事があってね。早めに書類通しておかないと、場所とれないんだよね。まぁ、店内に人は居なかったから、マル君一人でも大丈夫でしょ」


 「場所?」首をかしげると、ハロルドさんはそうだった、と言わんばかりに目を細めた。


「そろそろ年が変わるからさ、色々催し物があるんだよ。年末は喪に服するから厳かな感じだけど、年始はお祭りだよ」

「喪に? 誰の喪に服するんですか……?」

「あー、なるほど。君のいた世界とこことでは、随分と暦の概念が違うみたいだね。店に帰るまでの道すがら、ちょっと話そうか」


 日本にいたときほど明確な四季の移り変わりを感じていたわけではないが、この世界にも似たような移ろいはあった。だから自然と、同じような暦で生きているものと思っていたのだけれど。どうやら違うらしい。


 向こうの世界で広く使われているがグレゴリオ歴、だったかな。一年が365日。閏年には366日になる。

 日本で採用されたのは確か明治時代。元いた世界にも様々な歴があったのだから、そう考えると一年の感覚が違うのなんて当たり前だ。


 ハロルドさんは私が抱えていた木箱をひょいと取り上げると、「君も帰りでしょ?」そう言って微笑んだ。

 確かに。どうせ帰り道も帰る場所も同じなのだ。暦の概念くらい知識として頭に入れておいて損は無い。


「マル君には悪いですけど、知っておきたいですし。お願いしても良いですか? あと、持ってもらってありがとうございます」

「いえいえ。オーケー。じゃあ、少し早めのペースで歩きながら話そうか。この国は一年ごとに神様が生まれ変わるとされているんだ。だから古い神様が土に還って次に新しく生まれる日を新年、としているんだよ」


 さすが魔法が使えるファンタジックな世界だけあって、暦すらも神話みたいな始まり方だった。


「神様と言っても魔力の塊みたいなものらしいけどね。生まれた神様の質によって一年の暦が設定される。まぁ、よっぽどおかしな数値がでない限り、毎年同じような年月日になっているはずだよ」


 「さすがの僕も暦師じゃないから詳しくは知らないけど」とハロルドさんは付け足した。

 暦師。話の流れからして神様の質をはかり、一年の暦を設定する役職なのだろう。計算で機械的に設定されていた元の世界とは大違いである。


「年月日ってことは、月もあるんですよね?」

「長さはその年の暦師が決めるから、年によってまちまちだけど、基本六ヶ月。そして月は神様の感情や状態を表していると言われているんだ。実際、気候とも連動してるしね」


 生まれたばかりの神は、誰に守られるでもなく一人で生まれる。けどまだ子供の状態なので周囲の情報には疎い、だからまだ肌寒いくらいで済む――それが生誕月。


 そして世界の汚れ――今は魔物という解釈が一般的らしい――そういうのに気付いて心を閉ざす凍月(いてつき)。気温も下がる。

 次に、少しずつ人間の営みに気付き見守る守護月。気温も暖かくなってくる。

 世界が希望に満ちていると知る祝福月。外に出ると暑いくらい活気に満ち溢れる。

 そして、少しずつ神の力が弱っていく衰月。最後に、神が土へ還る神無月。


「生誕月と神無月は他の月と比べて短いから、合わせて循環月と呼ばれる事もあるよ。今は丁度衰月の終わりごろだね」

「なるほど」


 日本的に言えば、冬の始まりが生誕月、冬が凍月、春が守護月、夏が祝福月、夏の終わりから秋にかけて衰月、秋が神無月――と、大体こんな感じになるのだろうか。


「それで新年は神様の誕生を祝い、ついでに人々の賑わいや強さを実感してもらい凍月の寒さを緩和する、という意味も込めてお祭りになるんだよ。三日間くらい」

「三日間……楽しそうですね!」

「王都の場合、一日目は王族貴族のパレードが主。二日目は市民たちによる出店アンド夜は魔法使いたちによる夜空アート。三日目は騎士団や有志によるトーナメント。ぶっちゃけ三日目が一番盛り上がるかな。正直、チケットとれないと思うよ。毎年すごい人気でね、ジークやライフォードでも用意してもらうのは無理」


 三日目のトーナメントは、来賓席を除いて完全抽選制らしい。さすがに貴族席枠と市民席枠には別れているが、神に捧げる試合のためコネもツテも使ってはならないとされている。


 聞いているだけでも、恐ろしいチケット争奪戦が行われる気配しかしない。騎士団という事はジークフリードさんも出るのよね。見たい。凄く見に行きたい。けど、もともとチケット運が壊滅的に悪い私に、果たして確保できるのだろうか。


「はいはい、リンがなに考えてるか分かるけど、今ジークフリードの事より大切な事いったんだけど?」

「ジークフリードさんの事より?  ……あ。二日目!」

「遅い。出店、うちも出る予定だよ」


 ハロルドさんは呆れたようにため息をついた。


「え、でも出店って何するんですか?」

「うーん、毎年食べ物屋はけっこう好き勝手やってるかな。一番凄かったのは三年前。皆が思い思いに、味と値段度外視の研究成果を発表する場になった事があってね。うん、今でも市民の間では『奇跡のゲテモノカーニバル』と呼ばれているよ」

「字面の破壊力凄まじいですね……」

「それが理由かはわからないけど、その年の凍月は本当に寒かったよ……」


 奇跡のゲテモノカーニバル。一体どんな惨劇だったのか。かなり気にはなるけど、とりあえず今は横に置いておこう。

 話を聞いている限り、本当に好き勝手しても良いみたいだ。もう少し祭りの内容を詳しく聞いてから、面白そうな事を考えてみようかな。できれば、レストランテ・ハロルドのお店に興味をもってもらえそうなものを。


「ああ、もう着いちゃったね。……あれ? マル君?」


 目と鼻の先には、いつものレストランテ・ハロルドがある。しかし、店の前には苛立ちと困惑を湛えたマル君が、腕を組みながら立っていた。

 そして私たちを見つけるなり飛んできて――。


「遅い! さっさと中へ入れ。お前に客だぞ、リン!」


 怒られた。



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