46、星獣ガルラ 中編
『すまぬ。少し調子に乗ってしまった……』
ジークフリードさんの雷に触れて大人しくなったガルラは、羽を小さく折り畳み、落ち込んだように頭を垂れる。
ぐるりと一周。頂上の様子を確認してみると、彼があんなにも必死になってガルラを止めていた理由が分かった。
ドリンクで熱さは感じない上、暴風に視界を奪われていたから気付けなかったけれど、ここは火口。もし飛ばされでもしたら、中央でグツグツと煮立っている溶岩に落ちる可能性もあったのだ。
想像するだけでも恐ろしい。血の気が引いた。いくら加護をつけていても、マグマにダイブは危険である。
きっと、ガルラと対峙しているのが自分だけだったら、このような強硬手段には出なかっただろう。悲しきかな、ジークフリードさんとはそういう人だ。
もう少し、自分の身も労わってほしいのだけれど。
「すまないガルラ。団員のためとはいえ私もやりすぎた。どうか気を落とさないでくれ」
すっかり意気消沈としてしまったガルラの首筋を、慈しむように撫でるジークフリードさん。彼女は心地良いのか長い首を擦り付け――しかし暫くの後、ばたりと地面に沈んだ。頭のみならず身体すらも床につけ、ぴくぴくと全身を震わせている。
何。何が起こったの。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫なんですか?」私が目を白黒させていると、ヤンさんが近づいてきて「さすが団長。猛獣使い」ボソリとそう言った。
「猛獣使い……?」
「おう。うちの団長すげぇだろ。ガルラサマ、今でこそああだが、はじめましての頃はそりゃあもう、人間如きが! って感じでツンケンしてたんだぜ?」
ヤンさん曰く、過去ガルラ火山遠征は他遠征に比べて格段に難易度が高かったらしい。山の熱さも理由の一つだが、ガルラ本人の気性と、人間に良い感情を抱いていなかった部分が大きかったそうだ。
しかし、担当が第三騎士団――もといジークフリードさんが同行するようになってから様子が変わった。
何でも彼の撫でテクニックは素晴らしく、あのガルラさえ一瞬のうちに陥落したそうな。 そのため団長は、第三騎士団のメンバーから『猛獣使い』と、こっそり呼ばれているとか。
知らなかった。
この遠征に同行しなければ得られなかった情報かもしれない。ちょっと得した気分だ。例えるなら、漫画のカバー裏にこっそり書かれている設定を見つけたような感じ。
「なんてガルラが羨ま――いえ、団長凄いですね!」
「大丈夫だぜ、リンゾウ。繕わなくても気持ちは分かる。一体どんな超絶テクニックなのか、一度くらい体験してみてぇよなぁ」
「何を言っているんだ、全く」
私とヤンさんの肩を軽く叩いたノエルさんは、ジークフリードさんに向き直る。
「団長、そろそろ話を進めましょう。結界の状況については、奥にいる魔物の種類と能力を見て総合的に判断しなければいけませんしね。見分の時間が欲しいです」
そう言えば、ガルラ火山の中腹あたりに張っていた結界を通り抜けてきたが、特に調査などは行わなかったように思う。ハロルドさんのような、魔法に詳しい専門家を連れて登れない弊害がここにも出ている。
ただ、結界の状況を知りたければ一番詳しい人――じゃなかった、星獣様が目の前にいるはずだ。
「あの、ノエルさん」
「何かな?」
「原因なら直接彼女に聞けば良いんじゃないですか? ジークちゃんジークちゃんと好意的ですし。教えていただけると思うのですが」
「え?」
ノエルさんは私とガルラを交互に見やり、困ったように眉を寄せて「教えてもらう?」と首を傾げた。私、何かおかしなことを言ったのかな。
言葉が通じるのなら、教えてもらうのが一番手っ取り早いと思うし、確実だろう。まさか、結界を張ったは良いものの、強度や不具合などはさっぱり感知できない、というわけでは無いでしょう。なんたって星獣様ですし。
『ん? おぬし、妾の言葉が分かるのか?』
「え?」
影が差したのでふと空を見上げると、ガルラが私を見下ろしていた。言葉が分かるのか、って。どういう事だ。もしかして彼女の声が聞こえているのは私だけ、だったのかしら。
『見ない顔……いや、顔が見えぬから気配じゃ。ううむ、変な魔術がかけられているようじゃが。そのせいか?』
「会話しやすくなるような魔法はかかっていると思います」
この世界に召喚すると同時に掛けられたらしい翻訳魔法。人間同士の会話を円滑にするためのものだと思っていたのだけれど、星獣様にも有効なのかな。
「え、会話してる?」「俺、キィキィとしか聞こえないんだけど」「大丈夫、俺もだ」「彼女って、まさか雌だったのかガルラ様」という団員さんたちの会話から、ガルラの声を把握しているのは私だけなんだと確信した。そして、妙に背中に突き刺さる好奇心とも感嘆とも取れる視線。くすぐったい。ムズムズする。
本当に凄いのはこの翻訳魔法をかけた元第二騎士団長様だ。もちろん、それを言ったら私の身元がバレてしまうので言えないのだけれど。
『しかし、なぜじゃろうな。お主から魔の気配がする。懐かしき匂いじゃ……』
「魔の気配? もしかしてこれでしょうか……?」
右手のグローブを外し、マル君にもらったブレスレットを摘まんで引っ張る。魔とついて思い浮かぶもの。普通なら魔物なのだろうが、私の場合マル君の存在があるので魔族という選択肢も思い浮かんだ。
『ふむ、確かにこれじゃな』
「知り合い……マル君って言うんですけど、これは彼の毛で編まれているらしいので、そのせいかと」
『マル君とな? はて、そのような魔族いたかのぅ?』
しまった。いつもの癖で愛称のまま伝えてしまった。
「あ、すみません、マル君じゃなくて、ええと、マルコシアスさんです!」
『ま……まる……』
「マルコシアス、です」
『マママママルコシアス様じゃと!? お、おぬ、おぬしッ! 気安く呼び過ぎではないか!? うらやま――けしからん!』
大きな翼を威嚇するように最大限まで広げる。
また暴れ出すのではないか、と団員の皆はすぐさま距離を取るが、私はそのままじっとガルラを見つめた。今、羨ましいと言いかけたの、バッチリ聞こえましたよ星獣様。
「怪我は無いか、リン。彼女の対応は俺がする」
慌てて駆け寄ってきたジークフリードさんは、ふわりとマントをはためかせて、私の存在を隠すように右手を横に伸ばした。いつも私は彼の背中に守られている。でも、今回ばかりは隠れているわけにはいかないのだ。
私の推しはジークフリードさんだもの。誤解を解かなければ。
「大丈夫です。少しだけわた……僕に任せてください。あと、僕はリンゾウですからね」
「――あ。そうだった。すまない。……無理はするなよ」
小さく笑って前に出た。そしてガルラに近づき、耳を貸すように合図をする。
何と言ったら良いのか。
伝える言葉を迷ったが、私は素直にジークフリードさんの素晴らしさ――性格や行動はもちろんの事、ふいに見せる笑顔の素敵さや拗ねた時の可愛さなどを語りつくした。もちろん小声で。
後ろに本人がいるのに、面と向かって伝えるに等しい行為は出来ない。さすがの私にも羞恥心くらいはある。
ちなみにガルラの反応は『……あ、うむ。そうか。おぬしの言いたい事は分かった。謝るからもう大丈夫だぞ。うん』と若干引き気味なのが気になったが、分かってはくれたようだ。私は安心すると共に、そちらの「ジークちゃん」呼びだって距離が近すぎてズルいとだけ付け加えておいた。
『う、うむ。おぬしの熱意は伝わった。悪かったな、リンゾウ』
「いえ。こちらこそすみませんでした。本人から面識がないって聞いていたものですから、そこまで反応されるとは思わなくて」
『おぬし、もしかして知らんのか? マルコシアス様は魔族の中でも最高位に位置するお方じゃぞ? 人間如きがそう易々と出会えるお方ではないし、いくら比較的温厚だと噂されておっても、あのような愛称で呼ぶなど……正気の沙汰とは思えぬぞ』
「最高位……?」
普段の「ご主人様」と呼んで私をからかってくる彼の姿が脳裏に浮かぶ。確かに。最初に出会った頃は、吸い込まれそうな赤い瞳と相まって、浮世離れした雰囲気を纏っていたが、今ではもう不器用な世話焼きお兄さんといった認識でいた。
星獣であるガルラに「様」付されている上、ここまで畏怖と憧れを抱かれているとなると――もしかすると魔族の最高位って私が考えているよりも、もっとずっと凄いのかもしれない。
最初から分かっていたのなら、マル君もこの遠征に協力してもらっていたのに。レストランテ・ハロルドとガルラ火山との往復が大変かもしれないが、マル君なら魔族の影移動とやらで一瞬だろう。ガルラとの交渉だって、私より数段上手くやってくれたはず。
「あ、そうだ。良かったら話しますか? 呼べば来てくれると思うのですが」
『よ、呼ぶ? はぇ? マルコシアス様を呼びつけられるとでも言うのか!?』
転移魔法でメモを送ったら、後は私のブレスレットを頼りにここまで来てもらえば良いだけだ。現れたらすぐに「絶対にご主人様とだけは呼ばないで」と口止めしなくてはいけないけれど。
マル君はガルラとほとんど面識がないと言っていた。マル君呼びを羨ましいと思うのなら、正面から出会ってみたいはず。それに彼がいればこれからの洞窟調査も楽になる。私はさも名案とばかりに「来てもらえるよう、善処します!」と胸を叩いた。
しかし――、ガルラは目にもとまらぬ速さで首を横に振り、最大級の爆弾を投下した。
『ま、待つがよい! というか待って! 本当に待って! 無理じゃ無理! あの方にここで出会うてはダメじゃ! 喜びのあまり、妾、噴火させてしまう……!』