5、料理の効果
食べ進め、やっと残り一口。
覚悟を決めて口に放り込む。どれだけ不味くとも。そう、例え草の味がしたとしても。作っていただいた食べ物を粗末には出来ない。
噛むごとにじんわりと広がっていく苦味。
我慢ができなくて、水といっしょに勢い良く流し込む。ミッションコンプリート。胃液と大格闘を繰り広げたが、私は辛くもハンバーグに勝利したのだった。
「ごちそうさまでした……!」
「はい。それじゃあ、ちょっとこっち向いてねー。そろそろ効果が出てくると思うんだけど」
ハロルドさんの手が私の頬に伸び、細長い綺麗な指に包まれる。
効果って何ですか。空腹を満たせるってだけじゃないんですか。言いたいことは沢山あったけれど、間近に迫った金色の瞳があまりにも神秘的で、私は吸い込まれるように彼の目を見つめた。
「ねぇリン。違和感はあるかい? 僕としては既に効果を実感し始めているんだけど、リンはどうだい? 感じるかい?」
「効果? 特に身体に違和感なんて……」
「ありません」と続けようとしたところ、ハロルドさんは私の頬を無遠慮に摘まんだ。ちょっと痛い。いきなり何をするんだ、この人は。
「あにょ……はろるどひゃん……?」
「ふふ。さすが噂通り効果抜群だね。人体への影響もなさそうだし。ほら、リンも触ってみると良い。止まらなくなるよ」
「触ってみろって」
自分の頬を?
ハロルドさんはマイナーなご趣味をお持ちなのかしら。残念ながら私の乾燥しきった肌を触っても、何度も触りたいという気は起こらない。むしろ男性であるジークフリードさんの方が、魅力的な肌質をしているまである。
私は訝しみながら自分の頬を触り――瞬間、あまりの出来事に目を見開いた。驚くべき事に、もっちりとした弾力が返ってきたのである。
例えるなら赤ちゃんの肌だ。柔らかくてスベスベで適度な弾力感が気持ち良い。あらゆる女子憧れの柔肌。
「え、そんな、嘘。何これ。ええええぇええ!?」
自分の肌から手が離せなくなった。指の腹で押すと、ぷにっと押し返される。こんなにもっちりとした肌、生まれてぶりです。
苦味を耐えた先に合ったものが、肌質改善のご褒美だったなんて。まさか最後まで味の邪魔をしていた草の効果かしら。
ハロルドさんが料理に対して「効果」や「実験」といった単語を使っていた意味、分かった気がする。これは料理じゃない。医療に近い行為だ。
元いた世界にも食を医療として捉える考え方はあった。医食同源と呼ばれ、薬膳料理なんかもそれに該当する。
日々の食事は薬と同じで、食べる食材に気を使い、病気を予防するといったものだ。でもこの世界の料理はそういうレベルを超えている。
「あなたはまた人を実験台にしたのか! リン、大丈夫か?」
「すみません違うんです、ジークフリードさん。ハロルドさんは悪くありません。むしろ感謝しかないと申しますか、肌が劇的に良くなっていると申しますか」
「肌?」
ジークフリードさんは私をじっと見つめる。
目と鼻の先に彼の端正な顔が現れて、私は思わず目をつぶった。駄目、直視できるわけがないわ。
「……リン、ここで目をつぶるのは……その、いけないと思う」
「す、すみません」
薄目を開けてジークフリードさんを見る。彼は頬を染め、照れたように目を伏せた。
「ンッ、失礼した。女性の顔をあまり覗き込むものではなかったな」
「いえ、大丈夫です。ええと、ジークフリードさんも変わっている……のでしょうか?」
元が元だけに分かりにくいけれど、さっきより1割増しで輝いている気がする。
「ジークは元々肌質はいいから意味ないんだよ。もちろん僕もね。自分で実験できないから、僕はリンがきてくれて本当に嬉しかったんだ。君の日照りが続いたような肌で実験出来るなんて最高じゃないか! だからねジークフリード、次に僕の所に来るなら彼女くらいになってから……具体的に言うと、そうだね。5徹くらいしてから来てね。色々実験できそうだ」
「あのな、ハロルド……」
変わり者だと忠告された理由を噛みしめる。
ああ、この人はきっと誰に対してもこうなのだ。言っている内容は棘だらけなのに、悪気が微塵も感じられない。彼の頭の中にあるのは、料理の効力がどれだけ発揮できるか。それだけだ。
怒りを通り越して「素直な人だな」という諦めにも似た気持ちになる。肌が乾いていたのは事実だしね。
「では一度王宮に戻る。くれぐれもリンに変な事はしないように。リンも嫌だったら言うんだぞ。あと料理ごちそうさま」そう言ってジークフリードさんは帰って行った。
まるで父親のような言葉に「はい」と頷いて彼を見送る。少し心細い気もするが、いつまでも彼に頼っているわけにはいかない。
――よし、頑張ろう。
私はハロルドさんに向き直った。この世界における料理は、食べ物よりも薬の意味合いが強い。おそらく、使う食材によって様々な効果が付与される。
「あの、ハロルドさん。さきほどの料理について、詳しく教えてほしいんですが」
「うん。さっきの料理に入っていたのはイシュタリアの葉だよ。何かの葉っぱってわけではなくて、薔薇や林檎などの葉の中にごくごく稀に混ざって生えてくるんだ。ほぼ永続的な効果を有する代わりに超貴重でね。でも実験してみたかったから、大枚叩いて買っちゃった」
「……あの」
「てへ」と舌を出す姿に騙されたりするものですか。今、大枚叩いたとおっしゃいましたよね。
見渡しても誰もいない店内。繁盛しているとは言い難い。むしろ店長自ら「あんまり人は来ないから、のんびりできると思うよ」などとのたまう始末。
どこからお金が出てきているのだろうか。しかも大枚叩いた料理を、実験と称して私やジークフリードさんに食べさせるなんて。完全赤字経営じゃないですか。
これ、私がしっかりしないと駄目かもしれない。
「問題点、あった? 率直な意見をちょうだい」
「もうっ、ありすぎです! お金の問題はとりあえず後回しにしますね。目下の問題は味です。味。とりあえず厨房を見せてください」
「お金は心配しなくて良いんだけどなぁ。っていうか味?」
ハロルドさんは不思議そうに首を傾げた。
この反応。分かっていたけれど、この世界の料理はどれだけ味が度外視されているのか、改めて理解できた気がする。
「そうです。味です。やっぱり、もう少しくらい美味しくても良いんじゃないかと」
「やっぱり不味かったんだ。あれ」
必死に何度も首を縦に振ると、彼はおかしそうに笑った。
「まぁ、僕の料理不味いって評判だからねぇ。真面目にジークくらいなんだよね、まともに食べてくれるの。でも料理は効果が一番なんだから、皆もいつか気付いてくれると思ってるさ! 僕の料理の素晴らしさにね!」
「なんですかそのポジティブシンキング! っていうか、あれ格別にまずかったんですね! 良かった! 世界の基準があれだったらどうしようかと!」
「他の店は、食べられる範囲で効果を入れ込むって形だから、まぁ、食べられるよ。うん」
「あ、他の店でも食べられるよ程度なんですね。さすが効果重視……というか薬ですもんね……」
この世界の人々が考える料理と、私が考える料理は、きっと全くの別物だ。
この世界の料理は、味わうためのものではない。
いわば薬だ。身体にもたらす効果を重要視し、味を優先していない。いや、味に何の意味もないのだ。
美味しくて効果のない薬か、不味いけど効果のある薬か。そう問われれば、誰だって後者を選ぶ。だって、薬とはそういうものだから。
ただまぁ、それにも限度はあるらしいが。胃が拒否したら、効果も何もあったものではない。
「厳密にいうと、薬とは別物なんだけどね。薬は薬としてあるし。まぁ、劣化代用品だと言われれば、今のところ否定出来ないのが悔しいかな。基本的に、市民にとっての料理って日々動く事で減った体力を回復するものだし」
「料理屋の意味とは?」
「家庭で作る料理よりも効果が高い! やっぱり料理人だからね、そういう効果の研究はしているんだよ。市民たちがめちゃくちゃ疲れた時とか、風邪ひいた時とかによく利用するって感じかな?」
完全に医者とか薬屋とかの域じゃないですか。
私は茫然と「そうなんですか……」と呟くしか出来なかった。
料理が薬に近しいモノと認識されているのなら、味なんて気にしなくても、それは何の不思議もない。でも、異世界からやってきた私にとって、それは馴染のない文化だった。
どうにかして、美味しい料理にありつきたい。
「さて厨房だったね。こっちだよ、おいで」
ハロルドさんの後に続いて厨房へ入る。中には見た事もない食材もあったけれど、日本でも目にする食材も比較的多く置いてあった。
良かった。変な食べ物だらけだったらどうしようかと思った。
ふと、キッチンの上に転がっている黒くて丸い物体が目に入る。
「胡椒?」
「ああ、良く知っているね。何か効力があるかもって、乾燥させたりして色々試してみたんだけど、結果は大失敗。舌がピリピリ痺れるだけならまだマシで、他の食材の効果時間を短くする代物だったんだ。使えないね」
「効果がない? でもこれ、火傷防止効果があるって書いてますけど」
「……は? 書いてある?」
胡椒から矢印が伸びており、矢印の先には画面のようなものが浮かんでいた。手を触れるとすり抜けたことから、そこに直接あるのではなく、視覚に訴えかけられているものだとわかる。
画面には食材の名前と効果などが書かれていた。
「ここです、ここ。この辺りにぼんやりと画面みたいなのが浮き出ていて……」
「僕には君が虚空を指しているようにしか見えないよ」
ハロルドさんは目を輝かせて私を見た。