39、最大のミッション
「ノエル、お前いつからそこに?」
「団長が大声で嬉しいと叫んでいる辺りから、ですかね?」
「よりにもよってそこか……」
どうやら私とジークフリードさんの帰りが遅いので、心配になって迎えに来たらしい。
今、騎士団の方はヤンさん、アランさんが見張りを担当している。と言っても起きているのは彼ら二人だけ。今朝まで不穏な空気に包まれていた事もあり、皆疲れてすぐに寝入ってしまったそうだ。
「リンゾウ君がリンゾウさんだったのには驚きましたが、それ以上に団長の様子が普段とあまりに違うので、ついつい声をかけ損ねました」
リンゾウではなく、リンなのですが。まぁ、些細な事だ。置いておこう。
すみませんと謝るノエルさんの表情に、反省の色は見られなかった。なかなか強かな人である。彼を味方に付ければジークフリードさんを強制的に休ませられるかもしれない。
ノエルさんを見ると、彼は小さく頷いた。共闘オッケーと受け取って良いのかな。
「団長が途中でダウンすると、団が総崩れになってしまいます。わかっていますよね?」
「……いや、余力は残しておくつもりだが」
「ギリギリ大丈夫はアウトです。では、団長はきっちり休んでもらう方向で。しかし、ずっと僕とリンゾウさんが見張りをするのは難しいですから、分担しましょう。前半が僕とリンゾウさん。後半が団長、という形でよろしいですか?」
「待て待て待て。何を勝手に決めている。しれっとリンまで巻き込むな」
「駄目でしたか?」
「いいえ、任されました」ジークフリードさんの手から鎧を奪い返し、さっと被る。騎士団は基本男性の職場。ジークフリードさんやノエルさんにバレてしまったとは言え、今まで通りリンゾウでいる方が良いと判断した。
第三騎士団の皆さんを信用していないわけではないが、無用な混乱は避けるべきだろう。せっかく雰囲気が和らいだのに、別の心配事を追加させてしまっては申し訳ない。
「はい、決定ですね。さっさと休みましょう。あ、ご安心ください。リンゾウ君だろうが、リンゾウさんだろうが、あれほど覚悟を持ってここに来られたのです。今まで通り第三騎士団の一員として節度を持った対応をさせていただきます」
「お任せください」と微笑むノエルさん。優しげであるのに妙な強制力がある。今のジークフリードさんは頭が回っていない状態なので、このまま問題なく言い包められそうだ。自分の失態を部下に見られたという羞恥心も相まって、彼の表情は諦めの色が浮かんでいる。
策士だな、副団長さまは。
私が覚悟をもってここに来た、と分かるのは嬉しい発言よりももっと前だ。ジークフリードさんを混乱させる意味も込めて、わざとあの場所から聞いていたと嘘をついたのだろう。
ナイスファインプレーです、ノエルさん。
「では、野営地に戻りましょう」
「リン、分かっていると思うが」
「ええ、酷い無茶はしません。もちろん、ジークフリードさんもですよ?」
「分かった。どうにも君には勝てないな」
よし、折れてくれた。二対一でも勝ちは勝ちです。
ジークフリードさんは苦笑を湛えた表情で、私が差し出した手を握る。鎧を着ていて良かった。肌の温度を直接感じないからか、いつもより強気に出られる。私は逃がすまいと彼の手をぎゅっと握った。
もっとも、後方はノエルさんが固めているので逃げ場は無いのだけれど。
野営地に戻ると、舟を漕ぐヤンさんの頭をアランさんがスパーンと小気味良く叩いている場面だった。本人たちは強く否定するかもしれないが、仲の良い二人の様子が見られてほっとする。気安くないと出来ない事だものね。
私たちは彼らに事情を話し、見張り役の交代を申し出た。ヤンさんは「ん。りょーかいりょーかい。リンゾウ、きばれよぉ。あんがいツレぇからなぁ、これ」とフラフラとした足取りで岩壁にまで辿り着くと、糸が切れた操り人形の如く、べちゃっと倒れてそのまま眠りはじめた。よほど疲れていたのだろう。
アランさんはヤンさんの姿をため息とともに見つめ「では僕も。……団長、いつも見張りをしていただいてありがとうございました。今日は少しでもお休みください」と軽く頭を下げてから開いているスペースを確保し、横になった。
「では、お前たちに甘えて俺も少し眠らせてもらおう。時間になったら起こしてくれ。――その、大変だとは思うが」
「ええ、承知の上です。気にせず休んでください」
「君がいると話が早くて助かる。何かあったらまずノエルを頼れ。恥ずかしながら、俺は後回しの方が上手く回るだろう」
ジークフリードさんは申し訳なさそうに眉を寄せて、私の隣に身体を横たえた。
君がいると助かる、だなんて。頼られているようで、とても嬉しい。私は緩む頬を抑えきれず、表情筋が馬鹿になったまましばらく過ごした。鎧を着ていなければ、だらしない表情を見られていただろう。鎧様様だ。
「団長、眠れないのですか?」
「ん? ああ、すまない。やはり気になるか」
寝心地の良い向きを探してゴロゴロと寝返りを打つジークフリードさん。
床やソファで寝る事はあっても、地面に直接横になる事はなかったため、どうにも居心地が悪いらしい。布団の上と固い地面の上とでは雲泥の差があるものね。元々遠征先で眠る事が無かった事もあり、なかなか寝付けないようだ。
早く休んでもらいたいのだけれど。
「あ、そうだ。柔らかくないので申し訳ないのですが、よければ使いますか?」
太ももを叩いて差し出す。あまり肉付きが良いとは言い切れない足だが、無いよりはましだろう。鎧は腰までなので、固めの枕代わりにはなるはずだ。
「――ッ、え、あ、いや、……いいのか?」
「もちろんです」
遠慮がちに私の太ももに頭を乗せる。
衣服越しなので髪の毛がチクチクするだとか、そういった事は無いのだけれど、ジークフリードさんの頭が乗っていると思うと、自然と心臓の鼓動が早くなってしまう。もしかして私、恥ずかしい提案をしてしまったのでは。
しかし、羞恥心さえ捨ててしまえば、これほど贅沢な状況は無いように思えた。だって、推しの寝顔を間近で独り占めできるのだ。別の意味で胸が高鳴ってくる。
芯の強そうな髪がさらりと頬を滑り、きめ細やかな白い肌は立ち昇る火柱によって、ほんとりと赤く染め上げられる。凛とした赤褐色の瞳は瞼に隠され、長い睫毛が影を落とす。素晴らしい。パーフェクトだわ。もう一種の芸術だと思う。
元々好みの顔立ちをしていたが、こうやってまじまじと見つめる機会は滅多になかったため、自制が効かなくなっている。何せ見つめるという事は、見つめられるという事に等しい。ジークフリードさんの視線を受けて平常心でいられるほど、強い心臓ではないのだ。
「そう見つめられると、眠れないのだが……」
「す、すみません」
恥ずかしそうに上目遣いで抗議される。
しまった。気付かれていた。鎧越しにじっと見つめられると、さすがに圧迫感があるものね。彼が完全に眠るまでは自重しよう。
私は出来るだけジークフリードさんを意識しないよう努め、ノエルさんと小声で会話をする事にした。ガルラ火山の事。これまで行ってきた遠征の事。防炎の薬が割られた事。犯人とされる第三騎士団の団員の事。――あとは他愛ない世間話などもした。
時間が経つのは早い。気付けばジークフリードさんはすやすやと可愛らしい寝息を立てていた。頬を突いても起きない事から、ぐっすりと寝入っているようだ。
良かった、これで少しは疲れが取れるだろう。
「うーん、眼福。最高ですね」
「ははは、団長は凄い美形だからね」
ノエルさんの言葉に深く頷く。取り繕っても仕方がない。
「リンゾウ君、もし疲れているのなら先に休んでも良いよ。何だかんだ君に頼りっぱなしになっているし。――ああ、でも団長が起きてからの方が安心か。一応僕も男だし」
「お心遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ。まだいけます。それに、いざとなったら痺れさせるんで問題ありません」
「そうだった。それは勘弁願いたいな」
「もっとも、貴方に手を出すなんて恐ろしくて出来ないけど」ノエルさんは心底愉快そうに笑った。
「ふふ、団長もちゃんと男だったんだなぁ」
「この鍛え抜かれた筋肉に、男前寄りの美形ですよ。男性以外の何物でもないと思いますけど……」
「本気? うわ、本気の目だ。団長も大変だな、これは」
どういう意味かしら。首を傾げる私にノエルさんは「僕が口を出すことじゃないから」と言って、強制的に話題を中断させられた。
「さて。もうすぐ交代の時間かな」
「ああ、ついに。はい、頑張りましょうね」
「うん、この遠征。必ず成功させよう」
そういう意味で言ったのではないのだけれど。まぁいいか。完全な間違いでもなし。遠征は必ず成功させなければならない。私はとりあえず頷いておいた。
私の言葉の真意をノエルさんが理解したのは、ジークフリードさんと見張りを交代する時だった。
「だ、ん、ちょ、う! いい加減目を覚ましてください!」「ノエルさん静かに。皆さんが起きます」「ご、ごめん」二人がかりで揺すって抓って、ようやく薄らと目を開けてくれたのだけれど、安心してはいけない。気を抜けばすぐまた意識を手放してしまうのが、寝起きのジークフリードさんだ。
「団長が僕たちの前で眠らないはずだな、これは……」
「休まないでください。今を逃したら最初からです。もうライフォードさんを倣って、首根っこ掴んで叩き起こしましょう。ノエルさんファイト」
「か、過激……っていうか、やるの僕なのか。そうだよな、筋力的に」
二人であの手この手で頑張る事、数十分。やっと覚醒したジークフリードさんは、私たち相手に深々と頭を下げた。