37、お見通し
ガルラ火山の麓に到着すると同時に、腰に下げた空のドリンクボトルへ全力バージョンの特製ドリンクが補充された。まだ木々の姿があるとはいえ、地面からは小さな炎が立ち昇っている。鎧を着ている身には辛い。
私は口の部分をスライドさせ、開いた所からドリンクを捻じ込む。飲み干すと、身体全体に防炎の膜が張られ、鎧を着ていても快適な温度になった。
これから特製ドリンクが二時間置きに届く手筈となっている。ハロルドさんからの支援だ。あまり無理はしてほしくないけれど、どうしてもと言われて断れなかった。
更に私の腕にはブレスレットがはまっている。マル君の本来の姿――巨大な狼の毛を編み込んで作られたものらしい。
これが目印となって、私の居場所は完璧に把握されていた。なんと高さもわかるらしい。GPSか。
影のある場所ならば全て彼のテリトリー。よって私がガルラ火山へ入山すると同時に、それがマル君からハロルドさんへ伝わり、ドリンクの補充が行われたのだ。
影の中を移動できる魔族。凄く便利な能力だと思う。ただ影を使って食料などを移動すると、瘴気にまみれて毒になってしまうので、デリバリーには向かないらしい。移動できるのは精々魔族であるマル君のみ。
私はノエルさんの隣に立ってゆっくりと山を登り始めた。相変わらずの最後尾だが、ヤンさん、アランさんの姿がすぐ近くにある。自然と笑みが漏れた。ちょっとは認めてもらえたって事だよね。
「それにしても、彼らの性格をよく見極めないと出来ない和解策だったけど、確証はあったのかな?」
「7か8割、です」
「ふむ。結構高い。初対面だったろう?」
ノエルさんは顎に手を置き、考えるように首を傾けた。
全てつつがなく上手くいったとしても、結果論には違いない。下手をすると、ジークフリードさんの手を煩わせる羽目になっていた可能性もある。
さすが副団長様。手放しで褒めるわけにはいかないらしい。
ヤンさん、アランさんとの会話から、強引にいっても大丈夫だと確証が持てたけれど、それは結局のところ後押しに他ならない。一番の理由は――。
「だって、ジークフリード様の部下ですよ。任務中に乱闘騒ぎなんて起こさないでしょう?」
「リンゾウ君……」
ノエルさんは拳を胸において、小さく頭を下げた。
「これは副団長としてではなく、僕個人からの礼です。ありがとう。君のおかげでこの遠征にも希望が見えた。――それにしても団長の事、本当に信頼しているんだね」
「はい! それはもちろん!」
「満面の笑みが見えそうなくらい、元気な声だ。どう? うちの団長がそんなに好きなら、いっそのこと第三騎士団に乗り換えてみる?」
「の、乗り換え!?」
どうしてそうなった。
ジークフリードさんに対する賞賛の言葉ならば湯水のように湧いて出るけれど、まだそれほど出していないはず。第一騎士団のリンゾウが、ジークフリードさん推しってやっぱりおかしいですか。おかしいですか。
私が挙動不審ぎみにぷるぷる震えていると、ノエルさんは「冗談だよ。ライフォード様には内緒にしておこうね」と、悪戯っぽく微笑んだ。
* * * * * * *
「うへぁー……」
言葉にならない声を出して、私は近場の岩壁に背中を預けた。
普段、過度な運動をしていない身に登山はキツイ。ドリンクで防炎効果と同時に体力を回復していてもこうなのだ。まだまだ余裕といった風なノエルさんたちは、さすが騎士団員さんだ。鍛え方が違う。
帰ったらハロルドさんにお礼を言っておこう。ドリンク無しでは、ただのお荷物になっていた。
「リンゾウ君は手伝い……は出来なさそうだね。少し休むと良いよ」
「すみません。ありがとうございますぅ……」
疲れた。私はパタリと身体を横たえると休息モードに入った。
もうすぐ日没だ。明るいうちに野営地を確保しておかなければならない。
火口近くでは夜でも絶えず炎が燃え盛っているが、中腹にも至っていないこの場所では立ち昇る炎は弱火になっていた。ドリンクがなくとも過ごしやすい気温だ。
夜に山を登れたら最高なんだけれど、問題なく休息がとれる温度になるのが夜しかなく、体力の面を考えてこの時間は休むしかない。
「はい。今日の夜食。美味しくは無いけど、ちゃんと食べておかないとね」
「ありがとうございます」
ノエルさんから片手に収まるくらいの固形物を貰って口に入れる。昼間も食べたけれど、確かに美味しくない。
色々な材料を細切れにし、つなぎを足して練り固めた後、直火で焼いたような味だ。うん。体力が回復するのは分かるけれど、噛みしめるたび自然と無表情になっていく。
ハロルドさんライフォードさんが顔を逸らす気持ちが分かるわ。言葉に言い表せない味と食感だ。
「ノエル」
頭上から声が落ちてきた。ジークフリードさんである。
私は夕食の残りを口の中に放り込むと、居住まいを正した。もちろん、いの一番に鎧の口部分は下げる。開けたまま喋ってしまえばリンの声が出てしまうからね。
「俺は少し見回ってから休む。先に眠ってくれ。後は任せたぞ」
「はい、団長」
ノエルさんの返事に軽く微笑んで、ジークフリードさんは去って行った。
もう夜になると言うのに、どこへ行く気なのかしら。見回りと言ったけれど、普通団長が一人でするものなのかな。
「あの、ノエルさん」
「団長が気になる?」
さすがノエルさん。私の考えなどお見通しのようだ。下手に言い訳をしても仕方がない。私は素直に頷いた。
「仕方ない。実は僕も気になっていたんだけど、団員を任されているからね。リンゾウ君、お願いできる? 団長ってば、無茶しがちだから」
「はい。分かっています!」
「気を付けて」ノエルさんの言葉を背中に受けて、私は走り出す。適度な休息と夕食のおかげで私の体力は十全に回復していた。恐らく体力のマックス値が低いためだ。すぐに回復するが減りも早い。
しばらくすると、ジークフリードさんの後姿が見えた。休息地から遠いわけではないが、団員の姿が見えない程度には離れている。何をするのだろう。
私は岩陰に隠れて様子を覗き見る。
彼は地面に手を置くと詠唱を始めた。足元に魔法陣が広がる。
「――防ぐは炎、鎮めるは光」
詠唱終了と共にそこから溢れ出た魔力は、ジークフリードさんの真上に集まった。赤や黄、オレンジと言った光は混ざり合い、発光する球体となって空に浮遊――後にくるりと一回転して休息地の方へ飛んでいった。
何の魔法だろう。
私はその光の玉を追って休息地が見える位置にまで引き返す。
球体は休息地の中心部にまで到達すると、ぶくぶくと膨張して弾け飛んだ。薄いベールに覆われるかのように、周囲に広がっていく光の波。しかし頭上高くで行われているため、誰一人として気付いた様子は無い。
「これは……?」
「結界だ。寝込みを襲われてはたまらないからな。先に言っておくが、この程度の魔力消費ならば問題ないぞ」
「ひぇ!」
振り向いたらすぐ傍にジークフリードさんの姿があった。私がいる事に動じた様子もなく、半ば諦め顔で眉間には少し皺が寄っている。気付かれていたらしい。休んでいろと言われたにも関わらず後を追ってきた事、怒っているのかな。
私は「すみませんっ」と口を開きかけたが――しかしジークフリードさんの言葉に遮られた。
「リンゾウ君、先に謝っておく。俺の予想が外れていたらすまない」
「え」
どうしてジークフリードさんが謝るのだろう。
ぼんやりと彼の顔を見上げていると急に視界が開けた。
夜風によって揺れる真っ赤な髪も、細められた赤褐色の瞳も、全てが何の隔たりもなく視界に飛びこんでくる。
「あれ?」と呟いた声は甲高く、普段の私のものだった。もしかして。もしかしなくとも、鎧を剥ぎ取られてしまったのか。
私はジークフリードさんの手の中にある物を確認するや否や、素早く距離を取った。これは絶対怒られる。いくら優しいジークフリードさんでも「俺を心配してくれたんだな」とはならない。この人はそんな脳味噌お花畑ではない。どうしよう。
「……――リン」
怒ればいいのか、困ればいいのか、何とも形容しがたい表情で私を見下ろしているジークフリードさん。
「な、なな、ん、何で……どうしてバレたんですか!? だって確かに鎧はおかしいかもしれませんが、それ以外はびっくりするくらい誤魔化せていたと思うんですけど!」
「誤魔化せていた? ああ、確かに最初の方は騙された。だが歩き方、体の動かし方、話す時のクセ、言葉の選び方。どれをとっても君以外の何物でもなかったから混乱したぞ! まさか本当に本人だとはな!」
「え、なに。からだのうごかし……え?」
「――あ。ちょ、待て。待とう! 今のはいったん忘れてくれ!」
片手で口元を押さえ、もう片方の手で制止のポーズをとる。待ちますよ。待ちますけれど、体の動かし方や言葉の選び方って。そんなもので私だと分かるものなのか。
それじゃあもう誤魔化しようがないじゃない。染みついた習性でバレるだなんて、想定外にもほどがある。ジークフリードさん凄すぎませんか。
「人の癖すべて把握しているんですか? そんなの、太刀打ちできません……」
「いや違う。君以外だったら分からなかった。俺が普段から君をよく見ているから分かった事であって――って、何を言っているんだ俺は!」
手の甲で顔を覆い、ふいと顔を逸らすジークフリードさん。しかし、表情が見えなくとも耳まで赤いので照れていると分かった。
すみません。こんな状況だと言うのに私の推し素敵過ぎませんか。尊いメーターが振り切れそうだ。なぜこの世界にカメラは無いの。
「……引いたか? 引いただろう?」
「いえ! まさか!」
「気遣ってくれなくて良い。俺も自分自身にドン引きだ。何だ体の動かし方って言葉の選び方って。俺はどれだけ普段から君を見ていたんだ」
「す、すみません、ご心配ばかりおかけして……」
つまりこういう事か。ジークフリードさんは私の護衛担当。普段から少し無茶をするきらいがある私を注意して見ていたら癖を覚えてしまった、と。最初から詰みでしょう。これじゃあどんだけ上手く変装しても絶対にバレてしまうじゃない。
ジークフリードさんは目を数回瞬かせて「リンがリンで良かったと思う」と、謎な台詞を零した。
「ともかく向こうで話をしよう。あいつらに見つかったら色々と面倒だからな」
「……はい」
これはお説教コースというやつでしょうか。ともかく、帰らされないよう全力で抵抗しなければ。私は渋々彼の後ろをついていくのだった。