33、緊急事態
マル君がうちで働くようになって、数日が経過した。最初に危惧していたような事態にはならず、お客さんの相手も無愛想ながらしっかりこなしてくれる。
誠実な相手には誠実に。ひやかし目的の相手には適度な威嚇を。――いや、威嚇は問題有りなので、もちろん、その都度注意はしている。しかし首輪を使う程でもない。想像の五倍以上は優しい対応をしていると思う。
マル君呼びも、あの後快く許可を出してくれた。
言動が威圧的だから、勘違いされやすいのかも。
「あの、首輪外しましょうか……?」
さすがに申し訳なくなり小声でそう申し出たら、彼は真顔で「俺を捨てるのか?」と少し寂しそうな顔をした。どういう解釈だ。捨てるわけがないでしょう。
私は首を横に降るしかなかった。
「だろうな。俺は役立つものな。ご主人様」
にやり。さも悪戯が成功したように笑うと、私の手からお皿を受け取って配膳に向かう。
ええ、そうですとも。
現在、レストランテ・ハロルドは絶賛営業中。だから小声で言ったというのに、あの男は私の意図を全て汲んだ上で「ご主人様」呼びをしたのだ。自分の迂闊さが腹立たしい。こういう性格でしたよ。
おかげさまで最近は、『食堂の魔女』に尾ひれがついて『人間のペットを飼い出した』も追加された。さっさと廃れないかしら、この噂。そもそも人間じゃないし。
マル君を知っているダンさんからは「……頑張ってください!」と心の底からの激励を。常連客のマリーちゃんからは「今までにないタイプですね。良いと思います! 一番はライフォード様ですけど!」と何故か好評を頂いた。
でも、隣のピーター君が拗ねているのに気づいてあげてほしいな。
特に大きな事件などは起きず、一日がのんびりと過ぎていく。ジークフリードさんに会えるのは次いつかなぁ、なんて考えていた――そんな、ある日の夕刻。
店仕舞いの準備をしていたら、ライフォードさんが駆け込んで来たのだ。
「リン! リンはいますか!」
ふわふわと綿菓子のような髪が汗で頬に張り付き、よほど急いだのか息が乱れている。
彼は手の甲で口を拭うと、はぁ、と大きく息を吐いた。第一ボタンを外し、襟元を引っ張って空気を入れる。ライフォードさんが服装を乱すところなんて、初めて見たわ。
「ライフォードが慌てるなんて珍しいね。よっぽどの事? ドリンク事件の借り程度でまかなえるかなぁ?」
「相変わらず性根が腐っていますね、ハロルド。でしたら次は服でも脱いで客引きでもしましょうか? あなたと違って貧相な身体ではありませんしね」
「はぁ!? 僕だって脱いだら凄いんですけど!」
いきなり話を脱線させないでほしい。ハロルドさんが脱いだら凄いとか、どうでもいい情報すぎる。
「冗談が言えるのなら、まだ急務というわけでは無さそうですね。座ってください。まずは話を聞きましょう」
私はテーブルを拭く手を止め、人数分の椅子を引く。
マル君は既に自分用の椅子を用意して、のんびりくつろいでいた。出した尻尾で私の足を叩き夕食を催促してくるが、私に用事なのだから私が話を聞くのが筋というものでしょう。
夕食は後回しだ。
「ご主人様は俺を餓死させたいのか?」
「少し夕食が遅れた程度では餓死しません。ちゃんと作りますから、大人しくしててください……ん?」
ライフォードさんと目が合う。しかし彼は気まずそうに視線を逸らした。
待って。間違いなく変な勘違いをされたわ。ご主人様呼びは趣味でもプレイでもありません。
私は慌てて説明を試みた。
* * * * * * *
「リン、あなたに全力を出していただきたいのです」
席につくなり開口一番、ライフォードさんはそう言った。
「まずは順を追って説明致しましょう」
昨日、騎士団の薬貯蔵庫に侵入者があり、防炎効果のある薬が片っ端から床にぶちまけられた。犯行を行ったのは第三騎士団に所属している人物。
現在、防炎の薬は王都に近い領土からかき集めているが、頻繁に作られる薬ではないため数が圧倒的に足りていない――ライフォードさんはそこまで一気に話しきると、コップ一杯分の水を飲み干した。
苛立ちが見て取れる。
「現在、犯行を行った者は第一騎士団内で取り調べを行っております。なぜこのような行動に走ったのか、泣いて謝ってばかりで行き詰っている状態ですが――それはこちらでどうにかするので問題はありません。問題は……」
舌打ちでもしそうなほどに顔が歪む。
「ジークフリードが明日出立します。目的地はガルラ火山。あの星獣ガルラが司る、一年中炎が消えぬあの山です」
「はぁ? ガルラ火山って、防炎の薬なしにどうやって登るのさ。延期しなよ」
「そうしたいですよ。ですがマーナガルムの森と同じように何か異変が起きている可能性があり、一刻も早い調査を、と」
ガルラ火山――ハロルドさんから聞いた事がある。一年中炎に囲まれた山で、頂上に近づくにつれて、防炎の薬なしでは立っている事もままならない程に熱いらしい。
そこに、ジークフリードさんが行く。薬が足りない状態で。
私は自然と拳を握りしめていた。
「ばっかじゃないの? 魔物退治も含めての遠征でしょ? 第三騎士団が打撃を受けると、長期的に見て不具合がでてくるって何で分かんないかなぁ? 薬の量が減れば少数精鋭で迅速にって事になるだろうけど、あの山には向かない戦法。ジークに負担かけすぎ」
「そんな事くらい理解しています。ですが、貴方だって分かるでしょう。仕事ならばどこへでも向かわなければいけません。我々騎士団は国に住む人々の剣であり盾なのですから」
ライフォードさんが息を切らしてまで、ここへ来た理由が分かった。ジークフリードさんが危険だからだ。
火だるまになっても生きていられる生物など、魔物を除いていない。つまり、ガルラ火山では食料を現地調達できないのである。持ってきた食料だけで賄わなければいけない上に、じりじりと炎が体力を削っていく。
短期決戦を仕掛けたいが、しかし急いで登ると途中で体力が尽きる。食料だけでなく、薬と体力も調節し、慎重に登り進まなければならない。そう。温存に温存を重ねて、仲間内で協力し会わないと厳しい事くらい、容易に想像がついた。
――その第三騎士団の仲間が薬を床にぶちまけて、遠征を妨害した。なぜそんな事をしたかも分からない。ジークフリードさんは疑心暗鬼渦巻く中で、騎士団をまとめ上げガルラ火山に挑まなければいけない。それが、どれだけ難しい事か。
「だからリンに頼みに来たのですよ。例の全力を出したドリンクなら、ガルラ火山内でも有効でしょう。薬が足りない状況でもなんとかなる。――リン、率直に申し上げます。私は貴方にデリバリーを行っていただきたいのです」
「つまり、こちらで準備した特製ドリンクを、ジークフリードさんの隊に送る、という事でしょうか?」
「その通りです。――ハロルド、いけますか?」
ライフォードさんがハロルドさんを真っ直ぐに見つめる。
「正直、ジークに魔法陣を渡すって言うのなら厳しい。距離がありすぎるからね。ジークの負担が重すぎる。ジーク以外でそこそこ魔力量の多い人間でないと、任せられないだろうね」
転移魔法陣は二重の魔法陣が敷かれている。一つはもちろん転移魔法だ。しかし、転移魔法を発動させるためにはハロルドさんの魔力が必要になってくる。だから、二つ目――魔力を吸い取る魔法陣が同時に仕込んであるのだ。
魔力を流すことで二つ目の魔法陣が発動し、ハロルドさんから魔力を吸い取り、一つ目の転移魔法が発動する。
ただ、魔力を吸い取ると言っても、遠ければ遠いほど発動する側も吸い取られる側も、魔力の消費量が多くなるのだ。
ジークフリードさんに任せてしまうと、騎士団の指揮、前線での戦闘、更に部下も守って、転移魔法にも魔力を吸い取られる、という事になる。
正直、過労死してしまう。無茶振りにも程があるってものよ。
「しかし……生憎と第二騎士団は出払っており、我が隊の魔力を持っている人間は水魔法ばかりで……。聖女を向かわせるわけにもいきませんし……」
「ああ、ガルラは火を司るだけあって、水の素養を持つものを毛嫌いしているからな。ハロルドやお前が行けば、噴火するやもしれんな」
「噴火!?」
私はマル君を見た。彼はさも当然そうに「ああ」と頷いた。さすが長生きしているだけあって、色々と詳しいみたい。
しかし、そうなると、ライフォードさんやハロルドさんが同行したところで逆効果にしかならない。「マル君は?」と聞くと、「あいつとはあまり面識がないから、俺が縄張りに入ったらどうなるか分からない」と返ってきた。八方塞がりじゃないの。
どうにかしたい。でも、どうにもできない。苛立ちから奥歯を噛みしめる。
ジークフリードさんに何かあったら、正気でいられる自信がない。
「選択肢は一つしかない……けど、これは、困ったなぁ」
「何かあるんですか! この件についての隠し事は許されませんよ!」
「包み隠さず言いなさい。いつものようにへらへら笑ってかわそうものなら、一戦交える事もやぶさかではありませんよ」
二人してハロルドさんに詰め寄る。「ちょっとジーク過激派たち落ち着いて。っていうか、僕に対する君たちの信頼度が悲しいんだけど」彼はそう言って、私を指差した。
「な、何ですか……」
「隠すつもりなんてないから安心して、リン。選択肢は一つ。君だけだ」
――はい?
急に降って湧いた選択肢に理解が追い付かない。
どういう事なのか。適性者は、星獣ガルラの機嫌を損ねないために水魔法の素養がなく、遠距離の転移魔法を何度も行使できるだけの魔力量を保持している人物、で合っているわよね。
「消費量が少ないとはいえ、あれだけ雷を撃ち込んだ上に、制約の環の練習もしただろう? 普通の人間なら魔力が枯れて死んでるよ」
「死!?」
「魔力を使うと疲れるだろう? それは体力と魔力が連動しているから、なんだ。魔力が100あって、体力が50あるとするだろう? 魔力を50使うと、体力が25までに減る。逆もしかり。だから減ると疲れるし、ゼロになると死ぬ」
「死ぬ……」
「ああ、大丈夫。普通はゼロになる前にリミッターが発動してぶっ倒れるから」
「ぶっ倒れる……」
初耳の情報が多すぎて、ハロルドさんの言葉を繰り返す事しか出来ない。魔法って体力と分かれているのものじゃないのね。ゲームのノリで使っていたから、ビックリである。
というか、だったらポンポン魔法を使いまくっているハロルドさんの魔力量って、どうなっているのよ。疲れた姿なんて見た事ないんですけど。
「まさかあなた、何も説明せずに魔法を教えていたのですか……?」
「さすがの俺も普通に引く」
ライフォードさんとマル君の冷ややかな視線をさらりとかわし、ハロルドさんは私に向き合った。
「かなりキツイ任務だよ。――でも、君がやると言うのなら、僕は最大限バックアップする。僕の魔力ならいくらでも持って行っていい。どうする? やる?」
遠距離の転移魔法は双方負担があるとはいえ、ハロルドさんの負担の方が大きいのは確かだ。彼が、良いと言うのなら。大丈夫というのなら。答えは決まっている。
キツイ任務なんてどうって事ないわ。ジークリードさんの役に立てるのなら、私は何だって出来る。
「やります! 当然です!」
私は笑顔で宣言した。





